アフターアワーズ

文化・社会トピック切抜き帖

※告知※2019/10/13第6回園田高弘Memorial Series「ロマン派撰集」【没後15年】

日本が生んだ偉大なピアニスト園田高弘(1928-2004)の遺徳をしのび、ゆかりのあったピアニストがリレー方式で演奏を披露するコンサートが今年も行われる。

2018年のコンサートの様子。

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2019年のテーマはロマン派撰集。生前の園田が得意にしていたシューマン、リスト、ブラームスの名曲がズラリと並ぶ。

https://t.pia.jp/pia/event/event.do?eventCd=1930541

園田高弘については何度も取り上げたのであえて多くを記さないが舞台姿の威厳、熱いロマンを秘めた強靭な骨格の起伏の大きい響きは時を経てなお、脳裏にすぐよみがえる。思い出はつきず、ますます大切になっている。

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下記のCDには当日のプログラムのひとつ、シューマンの花の曲を収録。

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2018年のコンサート会場で購入したCD。恐らく邦人ピアニストによるラフマニノフ:ピアノ協奏曲第3番の初録音。無為に叩かず、流麗な運びで陰陽の変化が豊か。

https://www.instagram.com/p/BorKANUBnn-/

虹の光が淡く明滅する音色で難所をグイグイ乗り越えるラフマニノフ。若干鈍くさいオーケストラは時折置いてけぼり。ストラヴィンスキーの斜に構えた粋、グラズノフの寂しさの滲む優雅な風景も繰り返し聴きたくなる。#園田高弘 #クラシック音楽 #cd #ピアノソロ #ピアノ協奏曲 #ラフマニノフ #ストラヴィンスキー #グラズノフ #ピアノ協奏曲第3番 #若き日 #1960年代 #放送録音 #シュトゥットガルト放送交響楽団 #意外なお宝 #人は見かけによらず #エヴィカ #練習曲 #ピアノソナタ #cd紹介 #rachmaninoff #classicalmusic #音源紹介

※文中敬称略

※告知※2019/8/31坂入健司郎指揮、川崎室内管弦楽団【荘村清志との共演が実現】

「音楽のまち・かわさき」からの発信を掲げて活動する川崎室内管弦楽団については過去にも取り上げた。

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来る8月31日に第3回の演奏会を行う。

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曲目は以下の3曲。

https://www.instagram.com/p/ByVcJMlFjVZ/

スカッ、パリッ、ズシン。オーボエのペロンとした音色がまた面白い。#アンセルメ #スイスロマンド管弦楽団 #ハイドン #交響曲 #王妃 #パリセット #decca #spotify #ユニバーサルクラシックス #クラシック音楽 #セッション録音 #classicalmusic #没後50年

https://www.instagram.com/p/B1rGmwBn4yP/

予習病の特効薬を開発したひとにはノーベル賞をあげたい。8月31日に(@kawasaki.chamber )で聴く。ギター独奏は重鎮の荘村清志さん。粒立ち細やかな音色が冴え渡るだろう。#ロドリーゴ #ある貴紳のための幻想曲 #rodrigo #bream #julianbream #brouwer #leobrouwer #川崎室内管弦楽団 #坂入健司郎 #白寿ホール #ハクジュホール #クラシック音楽 #classicalmusic #セッション録音 #rca #sonybmg #spotify #chamberorchestra #荘村清志

https://www.instagram.com/p/B1pgb-dnaOy/

予習病は不治の病。8月31日に川崎室内管弦楽団(@kawasaki.chamber )で聴く予定。皆さんはまっさらな耳で俊英の棒捌きに接して欲しい。#ストラヴィンスキー #ブーレーズ #シカゴ交響楽団 #cso #csoresound #chicagosymphonyorchestra #stravinsky #pulcinella #spotify #classicalmusic #クラシック音楽 #ライヴ録音 #boulez #川崎室内管弦楽団 #公演曲目

聴きものはロドリーゴソリストにギター界の重鎮、荘村清志を迎えること。緻密に構築された一音一音が織り成す、光と影の世界はスペインものにぴったりで破格の充実感をもたらすだろう。サウンドの風土感を大切にする坂入の指揮との響き合いも楽しみ。

※文中敬称略

エルネスト・アンセルメとバレエ・リュス

Stravinsky Conducts Stravinsky - The Ballets

ストラヴィンスキー:火の鳥, 春の祭典, ペトルーシュカ, プルチネルラ (1988-95) / ベルナルト・ハイティンク指揮, BPO

ハイドン:交響曲第85番≪王妃≫/シャルル・デュトワ

Haydn: Paris Symphonies No.82-No.87 / Ernest Ansermet, SRO

ハイドン: 交響曲第6番「朝」, 第85番「王妃」, 第97番 / ウィーン・コンツェルト・フェライン, ミラン・トゥルコヴィッチ

Haydn: Symphonies No.41-No.47, No.50-No.52, No.64-No.65, No.82-No.90/ブルーノ・ヴァイル、ターフェルムジーク・バロック管弦楽団

ロドリーゴ:アランフェス協奏曲 カステルヌオーヴォ=テデスコ:ギター協奏曲 他/ジョン・ウィリアムズ(ギター)

【夏休みスペシャル】F1いにしえの夏の高速バトル10選

かつてのF1世界選手権ではポールリカール、シルバーストーンホッケンハイムエステルラリヒリンク、ザントフォールトモンツァと夏~初秋に高速コースの連戦が組まれた。バトル、心理戦、サバイバルなどが繰り広げられ、タイトル争いを左右するケースも多かった。リアルタイムで知らない時期を含めて一挙にご紹介する。

1981年第9戦イギリスグランプリ

3年余りの低迷から経営陣と技術陣が一新され、カーボンファイバーモノコックを採用したマクラーレンの復活優勝。シルバーストーンの観客の熱量に驚く。サバイバルレースを生き残りABBAのサポートドラマーだったスリム・ボルグッドが最初で最後の入賞。


Formula -1 British Grand Prix 1981

1982年第13戦オーストリアグランプリ

メチャクチャなサバイバルレースで7台位しか走りきれない。ブラバムのピットストップ作戦が史上初めて成功したがその後、危うく観客を巻き込む大アクシデント発生。最後は0.050差の大接戦となった。

1982年 F-1 第13戦 オーストリアGP のコピー - YouTube

1983年第11戦オーストリアグランプリ

プロスト=レース巧者というイメイジが作られたレース。ドライバー同士の不思議な人間模様が勝負の行方に影響した。復帰(第2期)したばかりのホンダが何とか完走しようと奮戦する。ホンダにとって当地での勝利が後々まで悲願となった。達成は1987年。

1983年 F-1 第11戦 オーストリアGP - YouTube

1983年第12戦オランダグランプリ

賢いはずのプロストがしでかした大失態。これはタイトルの行方のみならず、以降のF1の歴史にも微妙な影響を与えた。TAGポルシェ初登場、ホンダが速さの片鱗を見せる。

1983年 F-1 第12戦 オランダGP のコピー - YouTube

1984年第12戦オーストリアグランプリ

F1世界選手権通算400戦目。プロストにまさかのアクシデント。ラウダが悲願の地元優勝でタイトルへの足固め。燃費に苦しむルノーエンジンは次々に壊れる。ゲルハルト・ベルガーがデビューした。

1984年 F-1 第12戦 オーストリアGP - YouTube

1984年第14戦イタリアグランプリ

エンジン勝負の運命の悪戯。かつてフェラーリで活躍したラウダがレース巧者ぶりを見せつけて優勝。ラウダを別とすれば当時のF1でフランス、イタリアがどれほど大勢力だったか実感する。

1984年 F-1 第14戦 イタリアGP のコピー - YouTube

1985年第11戦オランダグランプリ

ラウダ伝説の集大成。早めのタイヤ交換で優位に立ち、この年初めてチャンピオンになるプロストを抑えて最後の優勝を果たした。マクラーレンTAGは前年を含めて2台がピシっと最後までいくことが意外に少なく、ラウダとプロストはあまりコース上でぶつかりあわなかった。この点が2人の人間関係が良好に保たれた背景だろう。表彰台の顔ぶれが豪華。

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1988年第7戦フランスグランプリ

マクラーレンホンダのセナ、プロストの場合、2台の信頼性とパフォーマンスが揃いすぎていたので両者がコース上でまともにぶつかる場面が頻繁に発生し、最終的に確執へ繋がった。本レースではまだ互いに敬意を払っていた時期のクリーンなバトルが見られる。個人的にはベストグランプリ。中嶋悟選手が奮戦するもマイナートラブルで入賞を逸した。

F1 Paul Ricard 1988 French Grand Prix - YouTube

1988年第8戦イギリスグランプリ

高速サーキットでの雨中戦。ドライヴィング、シャシーセッティング、燃費の連立方程式を解いてセナが制した。一方プロストは不可解なリタイア(キャリアで何度かあった)。これがチャンピオン争いのターニングポイントになった。また開幕戦から1度も完走できていなかったマンセルがクラブコーナーで前のマシンを次々としとめる会心のレースで2位。観客を沸かせた。


1988 Formula1 R8 イギリス

1990年第9戦西ドイツグランプリ

東西ドイツ統一直前に行われた。セナが得意コースにおける速さと上手いレース運びで完勝。ベネトンのナニーニの健闘も光った。

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【夏休みスペシャル】タクトの残影~元ヴィオラ奏者の語る平成の読響

はじめに

1998年から2012年くらいまで読売日本交響楽団(以下読響)の会員だった。

三浦淳史の『20世紀の名演奏家』(音楽之友社)との出会いでクラシック音楽を聴き始めて約3年が経ち、いずれかの在京オーケストラの会員になろうと考えていた折、1996年のハンブルク州立歌劇場の来日公演(ワーグナー:歌劇「タンホイザー」)で感銘を受けたゲルト・アルブレヒトが常任指揮者に就くと聞いて読響を選んだ。なお、ほぼ同じ期間、東京都交響楽団の演奏会にもよく行った。

足繫く演奏会に通うなかで読響の進化、充実を実感し始めた。

単なる個人的印象にとどまらず、雑誌「音楽の友」「モーストリークラシック」の読者投票で読響の順位は上昇、満足度1位にも輝いた。

令和を迎えたいま、平成後期の在京オーケストラを思い返したとき、「読響躍進」はまぎれもない事実と言える。

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上記リンクの記事で取り上げたように1978年~2012年まで読響のヴィオラ奏者を務めた清水潤一氏に平成の読響を振り返ってもらう意図で主に尾高忠明、ゲルト・アルブレヒト、スタニスラフ・スクロヴァチェフスキの3代の常任指揮者とその時代、加えて長年共演した名誉指揮者ゲンナジー・ロジェストベンスキー(ロジェストヴェンスキー)に関する書面インタビューを行った。

便箋11枚に及ぶ全文(※)をここに掲載する。

※清水氏の了承を得て当方の責任で見出しをつけ、段落の順序や数字・語句の表記を一部修正した。

前史:昭和末期から平成初期の読響

私の読響入団が1978年(昭和53年)で4年後の1982年に読響創立20周年を迎えたわけですが、この頃の読響はオーケストラの組織としてまだ不十分な点が多々ありました。長いことオーケストラ内のトラブルが続き、コンサートマスターや各セクションの主席や私達オーケストラメンバーのオーディションもきちんとした制度の中で決まっておらず、そういう中で1980年にようやく久しぶりの常任指揮者としてフリューベック・デ・ブルゴス氏が就任しました。ご存知のように読響には(音楽団体として)日本で最初に労働組合ができました。当時、音楽団体に労働組合はそぐわないのではないか、というようなご批判もあったようですが、以降組合と財団との協力によって私達の労働条件や制度的な問題が飛躍的に改善されて行きます。そして前述のフリューベック氏(在任1980-1983)を皮切りにレークナー氏(同1984-1989)、尾高氏(同1992-1998)がそれぞれ常任指揮者に就任しました。

リューベック氏はスケールの大きいラテン系の色彩あふれる音楽づくりをする、私の大好きな指揮者でしたが、2ヵ月にもおよぶ欧州公演の成功にもかかわらず、読響がまだ技術的についていけなかったこともあり、残念ながら2年で退任となりました。

続くレークナー氏も我々が当時もっとも期待をもって招聘した指揮者でしたが奥様を亡くされてから、大変な愛妻家であったためか気落ちしてしまわれました。

昭和から平成に移り、1992年(平成4年)に常任指揮者となった尾高氏は20代で東フィルの常任指揮者に抜擢、その後BBCウェールズ響の首席指揮者に就任したりして日本の若手指揮者のホープとして最も期待された指揮者でした。

2回の欧州公演を成功に導き、当時はあまり演奏機会のなかったイギリスの作曲家の作品、エルガー交響曲ブリテンの「ピーター・グライムズ」などを意欲的にとりあげ常に未来志向でした。しかし残念ながらここでも進化途中の読響とは空回りしているような印象がありました。現在、名誉客演指揮者として再び読響との関係が深まり、お互いに落ち着いた成熟した音楽を聞かせてくれることに期待しています。

常任指揮者がフリューベック氏からレークナー氏、尾高氏と受けつがれて行く流れの中でオーケストラの体制もどんどんと整っていきました。まずコンサートマスターに岡山氏、尾花氏、続いて藤原氏が着任。さらにチェロの毛利氏、嶺田氏、ヴィオラの店村氏、生沼氏、ホルンの山岸氏らがソロ奏者に就任し、その他のセクションの主席奏者もオーディションで次々と決定していきました。

1997年のアルブレヒト氏との初共演は当然、尾高氏の常任指揮者任期満了にともなう次期常任指揮者候補としてのお手合せでした。

我々は自分達の仲間となるオーケストラメンバーはもちろん、先に触れたコンサートマスターや各主席奏者、そして常任指揮者を投票により自分達の手で決められます。アルブレヒト氏はほぼ満票で私達の常任指揮者に就任しました。

ハインツ・レークナー(指揮) 読売日本交響楽団/ドヴォルザーク: 交響的変奏曲 Op.78, 交響曲第7番, スラヴ舞曲第10番

ハインツ・レークナー(指揮) 読売日本交響楽団/マーラー: 交響曲第1番

ゲルト・アルブレヒト:躍進の立役者

アルブレヒト氏は9年間(1998-2007)の在任中、私達楽員が想像していなかった多くの実績を残しました。

まず演奏会と並行してなされた、ベートーヴェンブラームス交響曲全曲のレコーディングです。

私達にとってこのように短期間で集中的に一人の作曲家の作品を演奏することはかつてないことであり、その作曲家の全体像をつかむためにもたいへん有意義だったと思います。

そして2回の欧州公演がありました。今までの海外公演は、日本の他のオーケストラもそうだったと思いますが、ほとんどが自主公演でした。しかし読響のこの2回の海外公演は、カナリア音楽祭では、五大陸オーケストラ・フェスティバルのアジア地区代表としての招待であり、ザルツブルク祝祭大劇場での公演は日本のオーケストラとして初めての「シリーズ公演」への招聘でした。

現地の批評には「奇跡的な成功」「記念碑的な演奏」と評されていました。

これは、まぎれもなく、アルブレヒト氏のヨーロッパでの知名度、実力、政治的手腕であります。

私達にとっても欧州公演の成功は大きな自信となりました。またカナリア公演でのヘンツェの「オーケストラの為の七つのボレロ」の初演の成功により、この後積極的に現代作品をとりあげるようになります。

正直、私の世代までの演奏家は現代作品には非常に消極的でしたが、2003年に再びヘンツェの「午後の曳航」を初演し、三島文学とドイツ現代音楽の出会いによる幽玄な世界を体験したこと、下野竜也氏の読響正指揮者就任もあり、近代の演奏機会の少ない作品や委嘱作品を含む現代作品の演奏機会が飛躍的に増えました。

(アルブレヒトは速いテンポと独特の「撥ね上る」棒が目についたとの質問に関して)

彼のバトンテクニックには、正直なところ、最初は随分戸惑いました。あまり器用な指揮者ではないのです。現代作品の複雑な変拍子などでは振り間違いもしばしばありました。そして私は彼のテンポは決して速くはないと思います。ベートーヴェン交響曲の緩徐楽章はむしろ遅いくらいだとみなしています。多分、ドイツ的な重厚な解釈からするとそう感じるかもしれませんが彼の音楽はそうではなく、テンポが速いというよりもアグレッシブとでも形容できる、とても劇的な推進力をもつからそう感じるのだと考えます。

古典音楽にも現代作品にも言えましたがこの推進力が彼のバトンミスまでをカバーしてしまうのです。

彼のリハーサル初日は、いつも恐ろしいくらいの速いテンポで始まりました。これは彼の音楽に対するアグレッシブというべき解釈のアピール、メッセージだったと思います。

オーケストラ内部のアルブレヒト時代の大きな出来事としてはコンサートマスター陣にデヴィット・ノーラン氏が加わったことが挙げられます。ロンドンを中心にヨーロッパでバリバリ活躍するコンサートマスターの来日と聞き、我々は期待と共に日本人だけのオーケストラで本当に大丈夫かと不安もありました。

しかし奥様も日本人(ヴァイオリニスト)で親日家ということで、彼が加わり、今までとは違ったスケールの大きい、ヴァイオリンセクションの出す響きに大変驚きました。

たとえどんなに素晴らしいソリストでも、誰でも出来るとはかぎらないコンサートマスターの仕事の重要性を、改めて認識しました。

アルブレヒト氏に話を戻せば興味深いエピソードとして私が印象に残っているのは、ヘンツェの作品のリハーサル中に何か自身に迷いがあると必ず次のリハーサルの時に「昨晩、ヘンツェに電話したら、こういう返事をもらったのでここをこう変更する」と言い楽譜を書き変えてしまいました。ヘンツェとは友人関係にあったのですから、当然本当の話と受け止めましたが、後日ベートーヴェンのリハーサルの時も、今までとは違った要求をする時に「昨晩ベートーヴェンに電話をしたらこのように変更してくれと言われた」と言い練習を進めました。はたしてヘンツェの楽譜変更の電話は本当だったのだろうか?

もう一つ個人的な思い出を付け加えるなら2012年6月14日、正に私の誕生日当日、もう常任はしりぞいていましたが、偶然にも私が最も信頼していたアルブレヒト氏の指揮による大好きなブラームス交響曲でオーケストラメンバーとして最後の舞台に立つことができました。40年近い音楽生活で最も幸せな瞬間でした。

大きな感謝です。

ブラームス: 交響曲 第1番、 悲劇的序曲、 大学祝典序曲

ヘンツェ:「午後の曳航」/ゲルト・アルブレヒト(指揮) イタリア放送交響楽団

ゲンナジー・ロジェストベンスキー:マジシャン

ロジェストベンスキー氏とは、私が入団した翌年の1979年の初客演、そして9年後の1988年に再び来日してからほとんど毎年のおつきあいでした。

初客演のリハーサル初日、我々は大変緊張していました。なぜならば、ロシアの重鎮、大変練習が厳しく、妥協がない指揮者だという噂が流れていたからです。

曲はショスタコービッチの7番の交響曲、私達のリハーサル時間は、11:00から15:15です。定刻に現れた彼は最初に「グッドモーニング」とだけ言うと、すぐにタクトを振り始めました。第1楽章から第4楽章まで通しました。そして「シーユーアゲイン」と言って帰ってしまいました。その間およそ90分間、何も言わないのです。

我々は演奏の出来の悪さゆえに彼が怒って帰ってしまったと思い、明日は大変なことになると覚悟を決めました。しかし4日間の練習すべてが同じでした。

その後、度々来日するようになってもほとんど同じような状態で、あるときチャイコフスキーの「弦楽の為のセレナード」と「くるみ割り人形」第2幕全曲というプログラムのリハーサルで4日間のリハーサル中、3日目まで弦楽セレナードの練習をしないのです。我々弦楽器の人間としてはむしろセレナードの方をたくさん練習してほしいのですが、4日間の練習の最後の15分間だけ、それも部分的に、しかもうまくいかない所はコンサートマスターの尾花さんの方を向いて「そこは君のソロでやってくれ」と。尾花さんは苦笑いでした。

翌日、本番でのGPでもやはり練習せず、正にぶっつけ本番でした。緊張の極地での本番でしたが、後で録音を聞いてみたら最高の出来なのです。正に「棒の魔術師」、棒がすべてを語り、伝えるのです。

ロジェストベンスキーが天才的な棒のテクニックをもった職人だとすると、アルブレヒトは、頭の中で計画的に音楽を構築していくのですが、ただそれだけではなく、劇的なパッションをもってどの時代の音楽でも我々を興奮に導く非常にすぐれた、理想的な学者だと思います。

Rachmaninov: Symphony No.2/ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー、ロンドン交響楽団

スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ:偉大な音楽の体現者

最後にスクロヴァチェフスキですが、2007年に常任指揮者に就任するまでに、何回かの客演があり、着実に関係を深めてはいましたが、世界的な巨匠をまさか我々の常任に迎えることになるとは夢にも思っていませんでした。しかも84歳での常任指揮者就任は、世界的に見てもあまりなかったことと思います。

常任指揮者を3年間務めた後も亡くなる2017年までのあわせて10年間のお付き合いは読響にとって最も大きな財産だと思います。

彼の音楽に捧げる情熱は生半可ではありませんでした。エピソードとなりますが、彼はロジェストベンスキーとは正反対にリハーサル時間を1秒たりとも無駄にしません。それどころか、時間をオーバーして、インスペクターが止めに入ると、老歳のために耳が聞こえないふりをしたり、目が見えないので時計が見えなかったと言ったりするのです。オーケストラのほんの少しのリズムのずれや音程の乱れはすぐに指摘するのに!練習中はすべて暗譜ですが、休憩中はいつもスコアーを勉強しています。はっきり見えているのです。

そして驚くことに練習4時間の間、90歳を過ぎても椅子にすわらないのです。この姿を見て、どんなに練習がきびしくても彼に苦情を言う楽員はいませんでした。

本番の結果は皆さんもよく知るとおりです。

正にミューズの神の化身のような人でした。

スクロヴァチェフスキ(指揮)、読売日本交響楽団/ブラームス:交響曲第2番

スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ(指揮)読売日本交響楽団/ブルックナー:交響曲第8番(2010)

ベートーヴェン:交響曲第3番≪英雄≫/第4番/第5番≪運命≫

ショスタコーヴィチ:交響曲第5番 ベルリオーズ:愛の情景~劇的交響曲≪ロミオとジュリエット≫より

ブルックナー:交響曲第8番(2016)

シューマン:交響曲全集

終わりに:「令和の読響」へ

昭和から平成にかけて、私たちは多くの巨匠と共演する機会にめぐまれ、同時に先程から申し上げているようにきちんとした制度のもとでオーケストラの機能を作りあげ、想像をこえる音楽的進歩をとげることができました。

今、私が退団してからも、若い優秀な人材が厳しいオーディションを通りぬけ、入団し活躍しています。

私が退団したのが丁度創立50周年でした。

次の創立100周年には私は立ち会うことはできませんが、その時の読響を想像しつつ応援しつづけていきたいと思っております。

シルヴァン・カンブルラン(指揮) 読売日本交響楽団/マーラー:交響曲第9番

メシアン: 歌劇《アッシジの聖フランチェスコ》

アンコール:マゼールの「復活」の思い出

(返書を頂戴した後、ロリン・マゼールが1987年に読響に客演した際のマーラー:交響曲第2番「復活」のライヴ録音が突如発売された。そのことを清水氏にお知らせしたところ、お手紙を下さった。一部を御紹介する)

二夜連続で行なわれた文化会館での特別演奏会であの感動と興奮は、私の中で読響の演奏会の中でも一、二を争う名演だったと思います。

普段の練習日程を大幅に延長してむかえた練習初日。会場に現われた彼の姿は圧倒的で、正にカリスマそのものでした。「復活」の冒頭、低弦の動機がなったとたん、もう、今までの読響の響きではないのです。

あとから聞いた話しですが、マゼール自身も一週間練習以外はホテルから外出せず、食事も最小限にして本番に向けて集中していたそうです。

本番のあとの我々オケメンバーとお客様の興奮は正にすさまじいものでした。

私も仲間と上野の山をおり、感動を語りあい終電をのがし、二日つづけてタクシーで帰宅しました。

mikiki.tokyo.jp

ロリン・マゼール(指揮) 読売日本交響楽団/マーラー:交響曲第2番

最後になったが清水潤一氏と御子息の章雅氏の御協力に心から感謝申し上げたい。

※文中一部敬称略

7/31:井上道義指揮、読売日本交響楽団【令和最初の名演に出会う】

https://www.instagram.com/p/B0saJC5l6QW/

近年最高のコンサート。リズムの論理的処理の上で各パートは美麗に磨き込み、峻厳な響きを構築、展開した。第3楽章冒頭の低弦の刻みから高弦への移行の精妙さは身震いするほどで録音には収まらない水準。読響の強靭で機動力もあるアンサンブルが指揮者の求めに応えており、主張の濃さと普遍性がうまく均衡していた。#井上道義 #ブルックナー #交響曲第8番 #ノヴァーク版 #7月31日 #2019年 #令和元年 #フェスタサマーミューザ #ミューザ川崎 #ミューザ川崎シンフォニーホール #読売日本交響楽団 #読響 #クラシックコンサート #コンサート #クラシック音楽 #classicalmusic #bruckner

ここ暫くなかった身体の芯から「いいものを聴いた」という思いのわいた演奏会。リズムの扱いの論理性に支えられた峻厳で美麗な音楽。井上道義はスコア、先人のしてきたこと、自身の読みの連立方程式を完璧に解いた。読響の反応、日下紗矢子コンサートマスター率いる弦楽器の透明で音の粒の際立つさま、コクのあるティンパニオーボエの陰影、最高だった。

聴衆のマナーも最高で残響が完全に収束した後、熱い拍手と歓声がわいた。最後は団員が退いていくなか、指揮者とコンサートマスターが舞台に呼び出され、片付け中のティンパニストとともに大喝采を浴びた。

開演前のプレトークで版のことには触れないと言いつつ「ハース版はちょっと余計なものがあるのと(師匠格の)チェリビダッケがノヴァーク版だったので僕もノヴァーク版を使っている。ただ《あばたもえくぼ》でブルックナーがすごく好きなひとのなかにはハース版が好きというひともいる」と。

https://www.instagram.com/p/B0x5G1lH0Qh/

ミクロの美感に執着し、音楽の到達点へ向かう各パートの役割分担の可視化を徹底する。余分なメッセイジや文学性は絡めない。ここはカラヤンとの共通項。時に仰々しい言葉で形容されるチェリビダッケだが録音で聴く限り、その音楽趣向は割とシンプル。第1楽章5小節目の改変(クラリネット→オーボエ)にはいつもギクッとする。チャイコフスキー悲愴のラストのティンパニ重ねといい、結構小技を使った。音質や一部の出来映え点は東京ライヴに分があるが聴衆のマナーはミュンヘンの圧勝ゆえこちらを取る場合が多い。#チェリビダッケ #ブルックナー #交響曲第8番 #emi #cd紹介 #音源紹介 #ライヴ録音 #クラシック音楽 #classicalmusic #ミュンヘンフィルハーモニー管弦楽団 #mphil #celibidache

またリハーサルでのカラヤンに触れ「もちろん眼なんかつぶらないし即興的な(音楽上の)身振りの面白さがあった。ただ彼は本番になると(真似しつつ)《指揮者》になってしまい、かなりオーケストラに《どうぞ》という感じだった」「カラヤンブルックナーは悪くない。色々悪口言うひといるけど」なんて話もしてくれた。

https://www.instagram.com/p/B026EUIlrHQ/

マクロの美感に執着し、鳴り響きつつ動く音楽の形式美を徹底的に磨いた。精神論や物語性は削ぎ落とす。後の全集に先立つこと約10年前に単品で録音した。#カラヤン #ブルックナー #交響曲第9番 #1960年代 #dgg #ユニバーサルクラシックス #ドイツグラモフォン #セッション録音 #bruckner #classicalmusic #クラシック音楽 #karajan

そして1968年、ヴァントを迎えた読響が日本のオーケストラで初めてこの曲を取り上げた時にリハーサルを見た思い出に触れつつ、当時のヴァントの写真を掲げて「随分ジイサンに見えたけどまだ56歳。今の僕より若かったんだよね」。

ブルックナーはジイサンが振ったほうがいいという話がある。ある程度年齢を重ねないとうまくないと。まあダメなひとは一生ダメなんだけど」「(自身が)72歳になって思うのはある程度オーケストラに任せる、そのへんの加減が若い頃より分かってくる。そういうものがブルックナーには必要かもしれない。だからジイサンがいいのかな」「朝比奈さんが使っていたスコアを見たがテンポとか試行錯誤の形跡がすごくて色んなことをやろうとしていた。でも実際には(書き入れたことを)していない、できなかっただろう。色々考えた果てに、それが大事なんだけど、最後はオーケストラに《どうぞ》と預ける。それが彼のやり方だったのかと」とブルックナー演奏の極意に近い話までさらっとして下さった。

掛け値なしの名演奏。井上道義読売日本交響楽団に感謝したい。

井上道義(指揮) 大阪フィルハーモニー交響楽団/ショスタコーヴィチ:交響曲第11番

ヘルベルト・フォン・カラヤン(指揮)ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団/ブルックナー:交響曲第8番(1988年11月)

ワレリー・ゲルギエフ(指揮) ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団/ブルックナー:交響曲第8番

※文中敬称略

渋野日向子選手2019全英女子オープン優勝【日本人のメジャー優勝の近道は巡り合わせと運】

1986年全英オープン中嶋常幸選手は第3ラウンドを終えて首位と1打差につけ、グレッグ・ノーマンとの最終組で最終ラウンドを迎えた。当日の朝、解説者の戸張捷氏は中嶋選手からセーターを着てスタートするか、脱いでいくか相談されたという。その言葉にのしかかる大きなプレッシャーを戸張氏は感じた。

セーター着用で臨んだ1番ホール(パー4)、3打目を寄せきれず、パーパットを外すと「お先に」と打った約50センチのボギーパットも入れらず、まさかのダブルボギー。結局そこから沈んでしまい77(7オーバー)を叩き、8位タイに終わった。

2019年全英女子オープン、2打差の首位で最終ラウンドをスタートした渋野日向子選手が3番ホールで4パットのダブルボギーを喫したとき、嫌な記憶が頭によぎった。ところが渋野選手はその後の4ホールで2バーディを奪い、態勢の立て直しに成功して折り返すとセカンドナインは着実にスコアを伸ばし、最終18番ホールのバーディで見事優勝。今年メジャー2勝のコ・ジンヨン、過去のメジャー覇者のパク・サンヒョンやモーガン・プレッセルを72ホール目で突き放す圧巻の内容だった。終始笑顔でテンポよくプレー、時折食べ物を頬張る姿は現地のギャラリーの心を掴んだ。

渋野選手は海外の試合初挑戦。海外渡航自体2回目だという。実は2013年にチャンピオンズツアーのメジャーの全米シニアプロゴルフ選手権を制した井戸木鴻樹選手も初めての海外試合、それまでの渡米も1度ハワイに行ったのみだった。2人の快挙からひとつの可能性が思い浮かぶ。

21世紀に入る頃から海外の環境での積み重ねがメジャー優勝への道と言われた。つまり米ツアーに腰を据え、厳しいコースセッティングや様々な状況に対する適合性を高めてこそ、メジャーが見えてくるという考え。実際そのスタンスで福嶋晃子選手、丸山茂樹選手、宮里藍選手などが米ツアーに勇躍、優勝を重ね、メジャーにも挑んでいった。

しかし彼らはメジャー優勝に手が届かず、それどころかみんな最後はボロボロになって引退へと事実上追いやられた。
逆にメジャーで勝った井戸木鴻樹選手、渋野日向子選手は先述の通り、いずれも海外の試合出場自体が初めてだった。
ガチンコの実力勝負を挑み続けて疲弊していく選手より、運よく自身に合ったコースで行われるメジャーに巡り合った時にポンと良いものを出せた選手の方が勝利に近づける・・・渋野選手の笑顔を見ながらそんなことを考えた。

それにしても1977年の全米女子プロゴルフ選手権の樋口久子氏以来、42年間男女通じてレギュラーツアーの日本人メジャーチャンピオンが出なかったのは恥ずかしい話。次が42年後にならないために選手、関係団体が一体で広い視野を養い、日本のゴルフの競技力向上を図り続けることが必須だ。

天才ヴァイオリニスト鍵冨弦太郎、13年ぶりのソロアルバム【身につけた艶とスケール】

2003年日本音楽コンクール第1位に輝き、翌年メジャーデビューした鍵冨弦太郎。小澤征爾秋山和慶から絶賛された瑞々しくスピード感のある音楽作りは聴き手の心をつかみ、将来の大器と目された。

一時のブームを経て2010年以降は華々しいソリスト活動より室内楽に軸足を置き、自ら結成したレスパス弦楽四重奏団のコンサート活動や現代音楽コンサートシリーズ「Point de Vue」への出演などで地道に音楽性を深めてきた。

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そして2019年7月、久々にソロアルバムをリリースする。2018年9月に狛江で行われたリサイタルのプログラム(ショーソン:詩曲/プーランク:ヴァイオリン・ソナタ/鈴木輝昭:スピリチュエルⅢ)にフランクのヴァイオリン・ソナタを加えた。ピアノは沼沢淑音。

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かつてと比べて格段に音自体の強靭さや艶が増し、響きの稜線の起伏が大きい。元々フランス系の曲目に適性を示していた奏者なので今回の選曲は大成功。特にショーソンの神秘と官能美、フランクのエネルギーの凝縮されたサウンドは聴く者の胸をつかむ。色彩の明暗が鮮やかなピアノのサポートも見事。全編通じてヴァイオリンを聴く喜びが一杯に詰まった好盤だ。

雌伏の時を経て新たな境地に上った鍵冨弦太郎の更なる飛躍が楽しみになった。

鍵冨弦太郎オフィシャルウェブサイト

レスパス弦楽四重奏団ブログ

www.yoshitonumasawa.com

鍵冨弦太郎〔vn.〕、沼沢淑音〔p.〕/フランク:ヴァイオリン・ソナタ

鍵冨弦太郎〔vn.〕/歌い出した鳥

鍵冨弦太郎〔vn.〕/ヴィヴァーチェ

鈴木輝昭(作曲)室内楽の地平