「相撲ブーム」と言われた昨今。私は内心戸惑っていた。「土俵の充実」は全く感じられず、稽古不足のタポタポした力士が立ったそばから手をついている相撲ばかり。90日間「満員御礼」の内実はお寒い限りだった。そこに起きた土俵内外の騒動は大相撲の屋台骨である師匠、横綱、立行司が腐っていることを知らしめた。
元日馬富士の暴行事件は師弟揃って救いようがない。伊勢ヶ濱親方が事件直後に「貴乃花親方、貴ノ岩、申し訳なかった。日馬富士は休場させ る。私も理事長に報告して休場する。貴ノ岩の治療費は私と横綱が払う。もし貴ノ岩が休 場なら私が身体を張って幕内に止まるように計らう。貴ノ岩への今後の制裁など私が絶対 させない。もし再発したら師弟で廃業する」と丁重に申し出て、日馬富士も歩調を合わせ て謝罪すれば良かっただけの話。自らの当事者能力の無さを棚にあげて、礼節がどうしたなんてちゃんちゃらおかしい。
そして九州場所中の横綱白鵬の振舞い、言動は元日馬富士以上に問題。元日馬富士の暴行はあくまで私行上の問題だが、白鵬はいわば仕事中に騒動を起こしたのだから。大鵬さんや初代若乃花の回想録を読めば明らかだが昔の角界は現在より遥かに荒っぽい要素にあふれていた。しかし土俵上とその周囲でおかしな振舞いをする横綱はいなかった。一連の行動から浮かび上がってくるのはモンゴル人は「横綱」が表象するものを真空化し、ボクシングや総合格闘技のチャンピオ ンと同じにしたという事実。相撲道の背後にある要素を理解しておらず、敬意も払わない。土俵入りで締める綱はチャンピオンベルトくらいに思っているのだろう。これは彼らが悪 いのではなく、彼らを入れて、教育も怠った師匠たちの責任。
師匠の資質の激しい劣化によりモンゴル人、日本人問わず力士がダメになった。かつて曙が横綱になった時、当時の東関親方
ついでに言うなら立行司も凋落した。いまの式守伊之助は非常に下手くそだがひと
師匠、横綱、立行司。いま大相撲は屋台骨が全て腐っている。ここを直視して事態に当たらなければブームが去るどころか、大相撲はたとえ続いたとしても溶解する。