アフターアワーズ

山椒系ちょくの切り抜き帖

サファテ-スタンカ-鶴岡一人【「意気に感ず」を引き出す方法】

3イニングと2連投の奇跡

福岡ソフトバンクホークスのデニス・サファテ投手は日本シリーズMVPとシーズンMVPの2冠に輝き、加えて年度球界最高の功労者に贈られる正力松太郎賞も受賞した。外国人投手として「MVP2冠」は53年ぶりと報じられた。その53年前の1964年に「MVP2冠」に輝いたの外国人投手は奇しくも福岡ソフトバンクホークスの前身、南海ホークスジョー・スタンカ氏(1931年生まれ)。

スタンカ氏は1964年、シーズン26勝(7敗)で最高勝率のタイトルを獲得。さらに阪神タイガーズとの日本シリーズ(「御堂筋対決」)の第1,3,6,7戦に先発して3勝(1敗)の活躍。文句無しの「MVP2冠」となり、ベストナインにも選ばれた。

あの人は今 南海スタンカ Joe Stanka - YouTube(1980年代半ばに日本のテレビ局の取材に応じるスタンカ氏)

サファテ投手の「2冠+α」の決め手は日本シリーズ第6戦の3イニング続投。スタンカ氏の場合、日本シリーズ第6,7戦の連続完封勝利がものをいった。しかも2勝3敗とタイガースが先に王手をかけた状況からの逆転劇だから、その鮮烈さは想像するに余りある。当時、日本シリーズでのエースの連投は普通だったが外国人投手の連投にはさすがに驚きの声があがった。対戦相手タイガースの遊撃手吉田義男氏は2008年、日本経済新聞の名物コラム「私の履歴書」で次のように回想した。

初のナイターで行われた南海との日本シリーズでは、3勝4敗で敗れた。3勝2敗と王手をかけて甲子園に戻ったが、南海・スタンカに第6,7銭で連続完封負けした。第1戦を合わせて3完封され、スタンカ一人にやられた感じだった。連投しないはずの外国人投手をどう説き伏せたのだろうか。そのあたりの人心掌握の機微を、鶴岡一人監督に伺いたかった。

-『牛若丸の履歴書』(日経ビジネス人文庫、2009年)pp.82

南海ホークスひと筋23年、史上最多通算1773勝(1140敗61分:勝率.609)をあげた鶴岡一人監督(1916-2000)は1984年に同じく「私の履歴書」で内幕を語っている。

このシリーズではスタンカが甲子園の第6,7戦で連続完封勝ちして、ファンや関係者を驚かせた。連続完封自体よりも、ローテーションにうるさい外国人投手が、完投した翌日にまた先発して完投したことが、非常に不思議がられた。

(中略)

私は投げさせる気はなかった。2勝3敗からスタンカの快投でタイに持ち込んだが、ここまでいい試合をしたのだから、最終戦はどうなってもいいというぐらいの気持ちだった。ところがコーチ連中が承知しない。主力選手も「スタンカで押すべきだ」と言う。

スタンカに聞くと、「行けるところまで行く。リリーフを用意してくれ」と言った。そうは言ったものの、リリーフ無用の完封勝ちだ。もちろん、それ相当のことはして、労に報いた。

『シリーズ私の履歴書-プロ野球伝説の名将』(日経ビジネス人文庫、2007年)pp.109,112

淡々とした述懐だが実は鶴岡監督は外国人選手が「意気に感じて」働くようシーズン前にある心配りをしていたのだ。

半世紀以上前に「お・も・て・な・し」を実践した鶴岡監督

 鶴岡監督は「私の履歴書」で外国人選手との向き合い方についてこう語った。

南海はスタンカをはじめ、ハドリ、ブルーム、ブレイザーなど、外国人選手がチームになじんでよく働いたが、なにか特別の操縦法があるかのように見られていた。しかし私は、コミュニケーションを密接にして、こちらの注文を明確にし、 働いたらそれだけの分を報いただけだった。

(中略)

選手が安心して働くためには、夫人の生活も快適にしてやることだ。アメリカで入団交渉をした時のハドリは、「私はすぐにでも日本へ行きたいが、妻と相談するまで待ってくれ」と言った。外国人は夫人を大事にするから、日本男児の感覚で接すると失敗する。

約100年前に生まれたひととは思えない先進的思考に驚く。さらに鶴岡監督はとっておきの術を持っていた。「てんぷら大作戦」だ。

選手とのコミュニケーションは密接であればあるほどいい。話し合えば通じるものが必ずある。推測するのが一番いけない。そこで私は年に二度ほど、外国人選手を夫人同伴で食事に招いた。一番喜ばれたのは、掘りごたつに入り、目の前で調理してくれる「お座敷天ぷら」だった。

座がなごんだところで、「困ったことがあれば言え」と、不安や苦痛を聞いてやる。それからおもむろに、こちらの注文を出す。

「野球に関してはアメリカが先輩である。キミらのやることは、日本人選手がみなまねをする。だから、手本になるようなプレーをしてもらわなくては困る。その代わり、働き具合によって、帰国の飛行機をファーストクラスにしてやろう。三割打てば、これだけ出してやろう」

ついでに夫人には「ご主人の収入がよくなると、あなたもうれしいでしょう」と、ご亭主にハッパをかけるようにもちかけた。もちろん、約束はしっかり守り、外国人勢には非常に喜ばれた。

昔も今も外国人の日本食1番人気は天ぷら。それでもてなし、巧みにプライドをくすぐって督励した上で夫人へのフォローもしっかり。「親分」と言われた鶴岡監督は単なる人情肌に収まらない、したたかで先を見るリーダーだった。監督時代は一早くスコアラーを置いて「データ野球」の先駆けとなり、外国人選手から得た大リーグ情報にヒントを得てファームの充実に務めた。監督退任後は少年野球のレヴェル向上、組織の近代化に手を貸している。

2017年シーズン、サファテ投手は夫人の事情で一時帰国した。球団とナインは快く受け入れ、離脱中のチームは着実に勝ち星を重ねた。この「配慮」がサファテの気持ちを強くし、日本シリーズでの熱投に繋がったと思う。昔も今も「意気に感ず」は同じ。

〔参考文献〕

浜田昭八『監督たちの戦い[決定版]・下』(日経ビジネス人文庫、2001年)