アフターアワーズ

文化・社会トピック切抜き帖

田中-キッシンジャー会談の舞台を訪ねて【軽井沢万平ホテル】

1972年8月19日、田中角栄首相はアメリカの国家安全保障担当補佐官ヘンリー・キッシンジャー博士と会談した。来日にあたって田中首相との会談を望んだキッシンジャー博士だが、当初首相は「なぜ一国の首相が補佐官と差しで会談しなきゃいけないのか」と難色を示した。そこでキッシンジャー博士は旧知の中曾根康弘氏に調整を依頼。中曾根氏は田中氏に対して「博士が首相のもとを訪ねるという形ならいいじゃないか」ともちかけ、結局軽井沢の万平ホテルで会談することになった。
会場の万平ホテルを2017年10月に訪ねた。軽井沢を代表する名門でかつてジョン・レノンが定宿にしていたことでも知られる。f:id:choku_tn:20180109231625j:plain
ホテルの史料室には階段で使われたソファが展示されている。
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使われた「桜の間」はブティックに改装されていた。
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会談の主な議題は日米の貿易不均衡の是正だった。田中首相は特定の品目をあげて、アメリカからの輸入拡大を表明した。キッシンジャー博士は回想録で田中首相について「はっきりした意思表示と決断のできる人物」「曖昧さがもどかしい他の日本の政治家とは違う」と好意的な記述。
しかし、実のところキッシンジャー博士は次第に田中首相を危険人物と認識し、何らかの動きに出たとみられる。中曾根氏によれば博士は後年「ロッキード事件の対応はアメリカとして間違いだった。田中氏の扱いも含めて」と漏らしたという。
最初の会談から10年経った1982年、来日したキッシンジャー博士は目白の田中邸を訪ねている。アメリカの元要人が刑事被告人となっていた日本の元首相のもとに赴くという異例な出来事。2人は何を語り合ったのだろうか。
〈参考リンク〉https://www.dailyshincho.jp/article/2017/01030559/?all=1