アフターアワーズ

山椒系ちょくの切り抜き帖

日本に「パリダカ」を広めたひと【R.I.P.夏木陽介氏】

1980年(昭和55年)生まれの私は1月14日に81歳で逝去した夏木陽介氏が青春スターだった時代や出演作を知らない。初めて夏木氏を知ったのは1989年、「パリダカ」として知られる「パリ-ダカールラリー」の総集編をフジテレビで見たとき。最初カッコいいクルマ好きのおじさんだと思ったが「チーム三菱・シチズン夏木」の監督だと知ってビックリ。

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記事の通り、夏木氏はチームの監督に就くと当時第2次オイルショックのあおりで社業に専念していた三菱の社員ドライバー篠塚健次郎氏を抜擢した。結果1987年3位、1988年目2位の好成績。日本で「パリダカ」は一気に広まり、三菱パジェロの売上も急上昇、ずっと日陰の身だった篠塚氏は自ら発案した販売店のイヴェントに引っ張りだことなった。1993年で夏木氏は監督から退いたが1997年、篠塚氏は三菱パジェロで日本人初の総合優勝を成し遂げた。また2輪で「パリダカ」に出ていた菅原義正氏の4輪に手を貸したのも夏木氏。後年菅原氏は「こいのぼりカミオン」で「パリダカ」のカミオンクラスを席巻した。

ちなみに夏木氏が「パリダカ」の監督していた頃、ライヴァルのプジョー陣営の監督していたのはジャン・トッド。何とも輝かしい時代だった。