アフターアワーズ

文化・社会トピック切抜き帖

「空席あり」の必要性【日本ジャンプ陣刷新のために】

1974年、近鉄バファローズの監督に就任した西本幸雄(1920-2011)は低迷の長いチーム刷新のために一大決心をした。クリーンアップの一翼の土井正博、元首位打者の永淵洋三、勝負強い打撃で鳴らした伊勢孝夫のベテランの主力3人を次々と放出したのだ。西本の意図を浜田昭八『監督たちの戦い・上』(日経ビジネス人文庫)はこう記している。

「沈滞し雰囲気を変えるためにベテランをはずし、空席があるぞと、若手が色めき立つ状況にしなければと思った」と、西本は74年に近鉄の監督に就任した当時を回想した。素質豊かな打者は多かったが、”けいこ場横綱”ばかり。「試合の打撃をこなせたのは、土井、永淵、伊勢の三人だけだった」。その三人をあえてはずそうとしたのだ。(pp.223)

実のところ西本は就任早々の秋の自主トレ初日にランニングで手抜きした若手、中堅選手を全員の目の前で厳しく叱責した。ベテランを外して生まれた空席に西本はその若手たちを抜擢していく。

次々とできた空席を目指して、若手は目の色を変えた。佐々木恭介、梨田昌崇、羽田耕一、平野光泰・・・・・・。西本が就任直後の自主トレ初日に、どやしつけた三年生グループが次々と空席を埋めていった。佐々木らにとって「怖いおっさん」と思った西本は、強引に空席を作ってくれた暖かい「おやじさん」だったのだ。(pp.225)

若手登用、育成を口で言うのは易しいが行うは難しい。戦う集団には結果が求められるし、目先の結果に拘る雑音も聞こえてくる。ハイリスクでリターンの保証はない。西本は自身の決断をこう語る。

 「三人のベテランに比べると、ヒヨコのような連中を前面に出すのは危険だった。だが、一大刷新のために、あえて出した。若者が、オレたちも”選手”になれるという気分になってくれた」(同)

5年後の1979年に近鉄はリーグ初優勝を果たす。

翻ってピョンチャンオリンピックノルディックスキー男子ジャンプ団体で日本はメダルに届かず、6位だった。今回も含めた直近の冬季オリンピック3大会において日本のジャンプ団体メンバーは4人のうち3人が同じ(葛西紀明伊東大貴竹内択の各選手)。銀メダルのドイツはソチのメンバーで今回残ったのは1人だけ。かくも新陳代謝が悪ければ競技力は次第に下がるのは当然。

いま日本ジャンプ陣に必要なのは西本が断行した「空席作り」。確かに実績経験豊富なベテランは頼もしい。しかし彼らの存在が若手をスポイルしていまいか。「頑張っても起用されるのはあのたちでしょ」と。もうここらで強化のトップが思い切って「もうこの三人は代表にしない」と決断すること。そして外野の雑音を封じて若手を押し出す。もし日本が2026年冬季五輪招致を本気で考えているのなら、なおのこと今から人づくりに邁進しないと悲惨な状況が訪れる。

〔参考文献〕浜田昭八『監督たちの戦い・上』(日経ビジネス人文庫;2001年)