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山椒系ちょくの切り抜き帖

My Favorite Things:浜田昭八『監督たちの戦い』【我が野球のバイブル】

日本経済新聞の運動部長で野球取材ひと筋50年以上、現在も同新聞にコラム「選球眼」を執筆する浜田昭八(1933-)が20世紀終盤に新聞連載し、書籍化されたのが『監督たちの戦い』(日経ビジネス人文庫、上下巻;2001年)。プロ野球監督の本質であるグラウンドの内外の戦いを描き、プロ野球を窓に個人と組織の関係に鋭く迫った傑作。本書の狙いを著者はこう記す。

勝てば名将、負けると、ただの人である。プロ野球の監督の評価は一日ごと、シーズンごとに変わる。

なにはともあれ、監督は敵と戦う前に味方と戦わねばならない。難敵は球団のサイフを預かる人間と、誇り高いスター選手だ。監督ならだれでも有り余るほどの戦力を欲しがる。だが、球団には企業の論理がある。「強化」と「採算」は激しく綱引きをして、抗争を生む。

監督は選手を育て、引き立てる。その一方で「名監督が名選手を作るのではない。名選手が名監督を作る」というジョークが、球界でまかり通る。成長した選手は、監督やコーチが考えるほど恩義を感じてはいない。

米大リーグで言われていることだが、監督は「解雇(ファイア)されるために雇われる(ハイア)」苛酷な職業である。それでも、ユニホームを着た人間なら、一度はやってみたいと思うほど魅力があるらしい。そんな監督たちの喜びと、苦しい戦いにスポットを当てたストーリーを書き留めておきたい。ただの名将賛歌を歌い上げるつもりはない。 (「はじめに」より)

通算最多1773勝を挙げた鶴岡(山本)一人から執筆当時現役監督だった長嶋茂雄王貞治星野仙一の軌跡を淡々とした筆致で綴り、戦う人間同士の情熱、愛憎、そして野球の奥深さをあぶりだしている。読めば読むほど得られるものは多い。例えばこんな一節は野球以外のスポーツ、ひいてはビジネスにもあてはまる。

選手にとっては、自分を使ってくれる監督が名監督だ。千勝監督であろうと、駆け出しの監督であろうと、関係はない。しかし、使う側の監督から見ると、選手は例外なく”うぬぼれ屋”だから、始末が悪い。自分を使わない監督の用兵が妥当だと思う選手は、まずいない。いたとしても、それは体力も気力も衰えた、引退寸前の選手だろう。

それだから、監督は悩む。今シーズンだけなら、あるいはいけるかも知れないというベテランを、あえて退けるときが一番難しい。功績のあった選手に、マスコミはおおむね同情的だ。それでも監督は、新旧交代の断層を大きくしないために、常に二、三年先を見据えなければならない。(上巻pp.173-174)

例えばオリンピック種目で「新旧交代の断層を大きくしないため」の行動を怠る人間が強化の責任者だと暗黒時代行き。長野からトリノにかけての日本の凋落の原因は「長野の遺産」に溺れ、「新」を磨き、送り出す努力を怠ったから。ピョンチャンオリンピックで日本は過去最高のメダルを獲得した。つまり今がピークの選手が多いわけ。ならばここから「新」を磨く必要がある。でないと20年前の過ちを繰り返す。

※文中敬称略