アフターアワーズ

文化・社会トピック切抜き帖

中内功に疼いた『野火』の記憶

日本文学史上屈指の傑作

8月14日、NHK-Eテレ「100分de名著」は大岡昇平の『野火』の2回目だった。『野火』は言わずと知れた日本文学史上の傑作。飢えが覆い尽くす戦場での人間の暗部、異様な心理を簡潔な文体によって抉り抜く。私見だがこれ一作で大岡昇平ノーベル文学賞に値するし、事実同賞の候補だった。しかし大岡昇平のこと、受賞辞退したかもしれない。

流通の巨人が抱え続けた戦場

『野火』といえば元ダイエーホークスのオーナー、中内功氏を思い出す。氏は『流通革命は終わらない 私の履歴書』の序盤で毎年8月15日が近づくと『野火』を読むと記し、続く章に自身がフィリピン戦線で経験した言語に絶する飢餓、人間の仲間意識と猜疑心や裏切りが交錯する光景を激しい筆致で刻みつけた。他の章、例えばダイエー創業後、幾多の軋轢を乗り越えて成長する日々などは割合抑えた語り口なのでこの『野火』と戦争体験の部分における感情の揺れが際立つ。ビジネスの成功を経てなお消えない戦場で受けた傷。戦場で人間の醜い部分を見せつけられたことが、晩期の中内氏に目立ったビジネスでの近親者依存、権限委譲拒否に繋がったと考察するひとまでいる。
中内氏はこうも書いている。国民には誰でも「御国のため」という意識がある。それをあえて国が国民に対して持ち出したとき、物の流通は滞り、食べ物は行きわたらず、悲惨な敗戦に至った。だから戦後「よい品をどんどん安く」で創業したし、まず取り掛かったのは肉の流通構造の改革だったと。
氏の仰る通り、権力者が「御国のため」と切り出すのは国策を誤る序曲。経営者が「会社のため」と言うのもある意味同じ。