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文化・社会トピック切抜き帖

テミルカーノフが語るラフマニノフとロシア革命

もう好きなものしか指揮しない ロシア革命は悲劇

ロシアの重鎮指揮者で読売日本交響楽団名誉指揮者のユーリ・テミルカーノフ(1937-)が2018年2月の客演を前に読売新聞のインタビュー取材に応じた(サンクトペテルブルク、モスクワ支局花田吉雄、12月7日朝刊掲載)。

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コンサート | 読売日本交響楽団

「私はもう好きなものしか指揮しない年齢になりました」とテミルカーノフ交響曲第2番を取り上げるラフマニノフについて「どれも好きです。もっともロシア的な音楽の1つで常に美しい。しかしその背後には悲劇性が潜んでいます」とした。テミルカーノフがセッション録音した交響曲第2番(BMG-RCA)は割合淡白なアプローチだが、ライヴ録音の交響的舞曲(ワーナーとシグナム)では澄んだ質感のサウンドに心震えるやるせない悲しみがにじんでいる。

また2017年11月で起きてから100年経ったロシア革命について「これは必ず書いてほしい」と語気を強めた上で「ロシアにとって悲劇だったと考えます。ソ連体制の歴史全体が示している通り、それは恐るべき時代で、ロシアにとって大きな試練でした」「我々はまだ過去に引きずられています。過去がどんなものであったかを解明せずには、今後何をするべきか、どの方向に進むべきかを決めることはできません」と結んだ。

プーチン政権は時折「ソ連回帰」志向をうかがわせ、ソチ五輪の開会式ではソ連の栄光らしきものが謳われた。しかしロシア革命100年に際して式典等は行わなかった。その中でロシア楽壇の長老テミルカーノフがはっきり革命を「悲劇」「試練」と位置づけたのは興味深い。

思えばラフマニノフは革命により祖国から離れ、2度と戻れなかった。テミルカーノフによればラフマニノフの背後に潜む悲劇性は「彼の人生の悲劇であり、ロシア的性格のもの」。1958年にチャイコフスキーコンクールを制したヴァン・クライバーンがロシアの土を持ち帰り、アメリカのラフマニノフの墓前に供えたのはよく知られた話。

革命を受けてロシアから他国に移った芸術家の中には日本へ身を寄せたひともいた。服部良一朝比奈隆の師匠格となった指揮者のエマニュエル・メッテル、巖本真理などを育てたヴァイオリン教師の小野アンナが代表格。ロシア革命は結果として日本の西洋音楽受容を大きく進めることに「貢献」した。

テミルカーノフの結びの言葉は日本とロシア(ソ連)の関係にも当てはまる。過去を丁寧に解きほぐし、懸案の解決と平和条約締結のためにどの方向に進むか。両国首脳、両国民の意思が試されている。

ラフマニノフ:交響曲第2番&パガニーニ狂詩曲

Rachmaninov: Symphonic Dances

Dvorak: Symphony No.9

プロコフィエフ:ヴァイオリン協奏曲第2番