アフターアワーズ

文化・社会トピック切抜き帖

My Favorite Things:メニューインとフルトヴェングラー【本当の共演とは何か?】

サー・ユーディ・メニューイン(1916~1999)は音楽史上に輝く「神童」ヴァイオリニストだった。エネスコが指揮したショーソンの詩曲など10代の録音で聴ける妖気の漂う音色、大胆かつしなやかな起伏の付け方が特徴の演奏は「・・・歳としては」なんて次元を超えた内容。

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幸か不幸かあまりの才能ゆえに基礎訓練を受ける機会のなかったメニューインは20代の半ば以降、次第に技術面の不安定さが表面化、30代には脊椎の故障もあって右手の震えが生じやすくなり、両手の動きが不一致になる危険をはらみながら音楽活動を続ける状況になった。

神童期以降のメニューインが一瞬眩しく輝いたのが1947年から1952年にかけて20世紀最高の巨匠指揮者、ヴィルヘルム・フルトヴェングラーとの共演録音。戦後ナチスとの関係を問われて活動停止処分が下ったフルトヴェングラーに面会したメニューインは失意の巨匠を励まし、自ら積極的に擁護した。エリザベートフルトヴェングラー夫人はこの時期のメニューインの行動に深く感謝すると後年志鳥英八郎氏に語った。

1947年9月、フルトヴェングラーは無事楽壇復帰を果たし、ベルリンでメニューインベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲で共演した。

さすがはフルトヴェングラー、第1楽章のソロが出てくるまでの音楽が破格。すうっと涌きあがる、しなやかな奥行きの深い音楽の品位、スケール感、密度。ここまで情報量の多い響きを展開されるとソリストはかえって緊張しそうだが、メニューインは細身の伸びやかな瑞々しい音で登場。ほどよく艶のある音色で力まず、じっくり弾き込む。もっとも美しいのは第2楽章。澄み切った響きの導入部に続き、メニューインが一音一音、しみじみと情を通わせて奏でる。そしてフィナーレではメニューインが生き生きと弾み、フルトヴェングラーはテンポや強弱を結構動かして豪快にドライヴ。このあたりはライヴならではのスリル。最後、メニューインにやや疲れがにじむも終盤の聴かせどころは渾身の力で立ち向かう。

両者は決して合わせよう、整えようとはせず、自身の信ずる音楽を奏でているから事実若干のズレはある。しかし大きな視点で見ると2人が持つ音楽的磁場は美しく重なっており、フルトヴェングラーのバックはメニューインのソロを引き立て、メニューインは真摯かつ自在に振る舞う。内心で響き合った音楽家同士だからこそ演奏、本当の共演とはこれではないか、聴くたびに思い返す。

メニューイン、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー:BPh/ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲