妹ヘプツィバを失った翌年、新しい共演ピアニストにポール・コーカーを選んだメニューインは1982年11月に11年ぶりの来日を果たし、昭和女子大学人見記念講堂でのリサイタルに臨んだ。
渡辺和彦氏の著書によれば最初の曲目、ベートーヴェンの「クロイツェル」は大事件だったらしい。冒頭の音から景気良く間違え、その後は持病の両手の動きの不一致が止まらず、とっちらかったまま終わったという。「クロイツェル」を音で検証できないのは残念だが、続くバルトークの無伴奏とフランクのソナタはありがたいことに音が聴ける。
バルトーク/無伴奏ヴァイオリンソナタ/ユーディー・メニューイン(1982年11月17日)
フランク/ヴァイオリンソナタイ長調/メニューイン(ヴァイオリン)コーカ(ピアノ)(1982年11月17日)
確かにコーカーとのアンサンブルを含めて様子の変な箇所は多いが音楽としての骨格は一応保たれ、フランクのラストなど熱っぽく強靭に語る。1951年の初来日の際、フランクなどを聴いて「私はあなたに感謝する」と記した小林秀雄はこの時死の床にあった。果たして放送を聴けたのか。
年が変わり、1983年の初頭にメニューインとコーカーはベルンでリサイタルを行う。そのライヴ録音がメニューインの没後10年以上経ってCD化された。
日本公演よりも遙かに安定した内容でコーカーとの歯車も合っている。かつての「神童」が様々な傷を心身に刻んだ後にたどりついた「音楽思想家」としての自由な表現が生々しい音質で聴ける。
Mikiki | 生誕100年迎えたユーディ・メニューイン、神童ヴァイオリニストから洞察力とヒューマニティの音楽家として歩んだ道程を辿る | COLUMN | CLASSICAL
ユーディ・メニューイン(ヴァイオリン)、ポール・コーカー(ピアノ)/フランク:ヴァイオリン・ソナタ イ長調