嗄れ声なのに品を感じさせる端正な芸風の持ち主。正直言って長いこと「5代目圓楽とよくネタを交換したひと」という認識で従って高座を聞いたのも2回だけ。晩年圓朝ものに傾倒したが本当は軽いものが合っていたと思う。
5代目圓楽や米朝の色気も談志のカリスマ性もない歌丸さんはひたすら勉強し、やり続けることで自らの価値を世の中に認めさせた。いわばガリ勉噺家。わずかな不出来を恥じて退いた5代目圓楽とは対照的に歌丸さんは止めたらその瞬間に忘れられると分かっていたのでチューブ入れても何でも高座に上がった。事実歌丸さんはたくさんのCDを出し、幾つかの著書もあるがいずれもさっぱり売れていない。「笑点」を別とすれば高座にいる以外発信力はなかった。自身をしっかり見つめ、落語道に徹したのが歌丸さんの偉大さ。
もうひとつ、歌丸さんの立派な点は出身地である真金町(神奈川県横浜市南区)への愛情を貫いたこと。こういう生まれのひとの中には功なり名を遂げると過去を否定したり、出身地と距離を置くひともいる。しかし歌丸さんは同郷の夫人ともども終生故郷に住み、若いころと同じ理髪店に通い、「横浜にぎわい座」の隆盛に尽力した。
落語と故郷を何よりも大切にした人生だった。R.I.P.