三浦淳史の『演奏家ショートショート』(音楽之友社;1983年)に英国の指揮者ノーマン・デル・マー(1919-1994)のユーモラスなエピソードが綴られている。
昔懐かしいSPレコードと蓄音機が静かなるブームだそうで、各地で展示即売会も催され、けっこう人を集めているらしい。多少アンティック好みの人気もあるのだろうが、現役の指揮者でありながら、いまだにハイ・ファイ・セットを持たず、SPレコード一筋に忠節をささげている奇人(?)がいる。その人の名はノーマン・デル・マー、と申し上げても、わが国での知名度は低いので、一応ご紹介させていただきますと、1919年ロンドン生まれ、同地の王立音楽院(RCM)卒業後、サー・トマス・ビーチャムの指揮するRPO(ロイヤル・フィル)のアシスタントをつとめ、指揮の道にはいった。イギリスの地方オケの首席指揮者になったり、音楽学校で指揮法を教えたりしてきたが、現在はフリーで、リヒャルト・シュトラウスの評伝全3巻なども出版されている。デル・マーという、イギリス人としては異色の姓は、遠い祖先がイタリア人だったことを示すのだそうだ。
マエストロ・デル・マーの最も大いなる誇りと喜びは、ラッパ(ホーン)付きの1936年製アコースティック蓄音機である。ファイバー針を使っているため、SP盤1枚かけたあとにはペンナイフで先端をリカットしなくてはならない。ペンナイフというのは、昔は鵞ペンを削るのに用いた懐中ナイフのことである。デル・マーは78回転SPを5,000枚秘蔵しているそうである。
デル・マー氏によれば、LPの録音の完璧度が高まるにつれて、実在しない架空のサウンドが生まれてきたというのである。最近、もてはやされているデジタル録音、省略形でいえばデジロクなど、もってのほかだという。とはいうものの、彼自身も何枚かのLP録音を行なっているのだが、録音エンジニアといっしょに曲の細部をいじくり回すのが嫌いなため、1つの曲をワン・テイクでとってしまう。さいきんは小刻みに録音する方式がすたれる傾向で、ワン・テイクに人気が集まっているが、デル・マーはその道の草分けということだろう。
LP録音の進歩に対する一種の譲歩として、デル・マーはラッパ型よりはもっとモダンな蓄音機も持っている。1948年製で、これでLPをかけているが、出てくる音はモノ・オンリーである。
そのデル・マーが、昨年の初夏の候、オーディオ賞を受賞した。ロイヤル・フェスティヴァル・ホールにおいてとり行われた『ハイ・ファイ・ニューズ』マガジン主催の授賞式に出席したデル・マー氏、記者連から感想を訊かれたとき、「痛快なアイロニーですな」と答えたそうな。
(《痛快なアイロニー?ノーマン・デル・マー》初出「音楽の窓」1981年2月号)
ベートーヴェンなどの楽譜校訂で高名な音楽学者・指揮者のジョナサン・デル・マー(1951-)の父君ノーマン・デル・マーにこんな一面があったとは。上述の通りデル・マーの録音のうちDGGに遺したエルガーはオーディオファイルとして名高い。そして泉下のデル・マーを苦笑させそうな話が明らかに。どうやらEMI史上初の曲としてまとまったステレオ録音はデル・マー指揮によるR.シュトラウスらしく収録から約65年を経て初めて発売されるという。
併録のトルトゥリエもステレオ音源は初発売。いわゆる「ステレオ初出」話はヒストリカルの主要テーマ。話題を呼びそう。
ノーマン・デル・マー(指揮)、ロンドン交響楽団/R.シュトラウス:ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら
ノーマン・デル・マー(指揮) ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団/エルガー:エニグマ変奏曲, 威風堂々第1~5番
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 サー・サイモン・ラトル(指揮)/ベートーヴェン:交響曲全集 (ベーレンライター版/ジョナサン・デル・マー校訂版)