入念な解析で作品の論理と核心に宿す風土感を瑞々しく響かせる俊英指揮者、坂入健司郎のことは幾度か取り上げた。
2019年3月10日、彼らが再びベートーヴェンの交響曲に対峙する。第5番と第8番。前者は「運命」「ジャジャジャジャーン」のキャッチとともにあまりに有名。
一方、第8番は「のだめ」の第7番と「歓喜の歌」の第9番に挟まれて咲く月見草だが実のところは結構な毒饅頭。とりわけフィナーレの激しい響きのパンチの応酬は現代の一流オーケストラでもかなりの難物。
岩城宏之さんの音楽エッセイ集『音の影』(文春文庫)にこんな一節が。
ぼくがオランダのハーグ・フィルハーモニーの指揮者だったころ、コンセルトヘボー・オーケストラが、ハーグに演奏しにきた。指揮はブルーノ・マデルナだった。素晴らしい作曲家で、そして現代音楽専門の指揮者だった。彼は、ベートーヴェンの書いたメトロノームの指定数字がどんなに変であるか、という世界中の常識を無視して、作曲者の書いた通り、忠実に演奏するので有名だった。
そんな勇気を持つ指揮者は、非常に数少ないのである。だから実際の演奏に節することは、普通あり得ないので、ぼくは楽しみにして客席にいた。
特に第四楽章のベートーヴェンの指定は、一小節、つまり全音符が○=84であり、メチャメチャに速すぎる。コンセルトヘボーのヴァイオリン奏者たちは、なんとかマデルナのベートーヴェンへの忠実な演奏解釈に従おうとしても、半拍で六つ音がある六連音符を、手を痙攣させて四つ弾くのがやっとだった。
ぼくは一生に一度だけこのテンポで聴いたわけだ。勇気をもって信念を実行したマデルナを、ぼくは好きだった。
いまだに論争の絶えないベートーヴェンのメトロノーム指定のなかでもこの○=84は常軌を逸したものとされる。ただ近年は音楽学的解析とオーケストラの演奏技術の相互作用で結構近いところを狙う指揮者も増えてきた。果たして坂入、東京ユヴェントスはどこまでキレた音楽を聴かせるか、ワクワクする。