ここ暫くなかった身体の芯から「いいものを聴いた」という思いのわいた演奏会。リズムの扱いの論理性に支えられた峻厳で美麗な音楽。井上道義はスコア、先人のしてきたこと、自身の読みの連立方程式を完璧に解いた。読響の反応、日下紗矢子コンサートマスター率いる弦楽器の透明で音の粒の際立つさま、コクのあるティンパニ、オーボエの陰影、最高だった。
聴衆のマナーも最高で残響が完全に収束した後、熱い拍手と歓声がわいた。最後は団員が退いていくなか、指揮者とコンサートマスターが舞台に呼び出され、片付け中のティンパニストとともに大喝采を浴びた。
開演前のプレトークで版のことには触れないと言いつつ「ハース版はちょっと余計なものがあるのと(師匠格の)チェリビダッケがノヴァーク版だったので僕もノヴァーク版を使っている。ただ《あばたもえくぼ》でブルックナーがすごく好きなひとのなかにはハース版が好きというひともいる」と。
またリハーサルでのカラヤンに触れ「もちろん眼なんかつぶらないし即興的な(音楽上の)身振りの面白さがあった。ただ彼は本番になると(真似しつつ)《指揮者》になってしまい、かなりオーケストラに《どうぞ》という感じだった」「カラヤンのブルックナーは悪くない。色々悪口言うひといるけど」なんて話もしてくれた。
そして1968年、ヴァントを迎えた読響が日本のオーケストラで初めてこの曲を取り上げた時にリハーサルを見た思い出に触れつつ、当時のヴァントの写真を掲げて「随分ジイサンに見えたけどまだ56歳。今の僕より若かったんだよね」。
「ブルックナーはジイサンが振ったほうがいいという話がある。ある程度年齢を重ねないとうまくないと。まあダメなひとは一生ダメなんだけど」「(自身が)72歳になって思うのはある程度オーケストラに任せる、そのへんの加減が若い頃より分かってくる。そういうものがブルックナーには必要かもしれない。だからジイサンがいいのかな」「朝比奈さんが使っていたスコアを見たがテンポとか試行錯誤の形跡がすごくて色んなことをやろうとしていた。でも実際には(書き入れたことを)していない、できなかっただろう。色々考えた果てに、それが大事なんだけど、最後はオーケストラに《どうぞ》と預ける。それが彼のやり方だったのかと」とブルックナー演奏の極意に近い話までさらっとして下さった。
掛け値なしの名演奏。井上道義と読売日本交響楽団に感謝したい。
井上道義(指揮) 大阪フィルハーモニー交響楽団/ショスタコーヴィチ:交響曲第11番
ヘルベルト・フォン・カラヤン(指揮)ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団/ブルックナー:交響曲第8番(1988年11月)
ワレリー・ゲルギエフ(指揮) ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団/ブルックナー:交響曲第8番
※文中敬称略