かつてのF1世界選手権ではポールリカール、シルバーストーン、ホッケンハイム、エステルラリヒリンク、ザントフォールト、モンツァと夏~初秋に高速コースの連戦が組まれた。バトル、心理戦、サバイバルなどが繰り広げられ、タイトル争いを左右するケースも多かった。リアルタイムで知らない時期を含めて一挙にご紹介する。
- 1981年第9戦イギリスグランプリ
- 1982年第13戦オーストリアグランプリ
- 1983年第11戦オーストリアグランプリ
- 1983年第12戦オランダグランプリ
- 1984年第12戦オーストリアグランプリ
- 1984年第14戦イタリアグランプリ
- 1985年第11戦オランダグランプリ
- 1988年第7戦フランスグランプリ
- 1988年第8戦イギリスグランプリ
- 1990年第9戦西ドイツグランプリ
1981年第9戦イギリスグランプリ
3年余りの低迷から経営陣と技術陣が一新され、カーボンファイバーモノコックを採用したマクラーレンの復活優勝。シルバーストーンの観客の熱量に驚く。サバイバルレースを生き残りABBAのサポートドラマーだったスリム・ボルグッドが最初で最後の入賞。
Formula -1 British Grand Prix 1981
1982年第13戦オーストリアグランプリ
メチャクチャなサバイバルレースで7台位しか走りきれない。ブラバムのピットストップ作戦が史上初めて成功したがその後、危うく観客を巻き込む大アクシデント発生。最後は0.050差の大接戦となった。
1982年 F-1 第13戦 オーストリアGP のコピー - YouTube
1983年第11戦オーストリアグランプリ
プロスト=レース巧者というイメイジが作られたレース。ドライバー同士の不思議な人間模様が勝負の行方に影響した。復帰(第2期)したばかりのホンダが何とか完走しようと奮戦する。ホンダにとって当地での勝利が後々まで悲願となった。達成は1987年。
1983年 F-1 第11戦 オーストリアGP - YouTube
1983年第12戦オランダグランプリ
賢いはずのプロストがしでかした大失態。これはタイトルの行方のみならず、以降のF1の歴史にも微妙な影響を与えた。TAGポルシェ初登場、ホンダが速さの片鱗を見せる。
1983年 F-1 第12戦 オランダGP のコピー - YouTube
1984年第12戦オーストリアグランプリ
F1世界選手権通算400戦目。プロストにまさかのアクシデント。ラウダが悲願の地元優勝でタイトルへの足固め。燃費に苦しむルノーエンジンは次々に壊れる。ゲルハルト・ベルガーがデビューした。
1984年 F-1 第12戦 オーストリアGP - YouTube
1984年第14戦イタリアグランプリ
エンジン勝負の運命の悪戯。かつてフェラーリで活躍したラウダがレース巧者ぶりを見せつけて優勝。ラウダを別とすれば当時のF1でフランス、イタリアがどれほど大勢力だったか実感する。
1984年 F-1 第14戦 イタリアGP のコピー - YouTube
1985年第11戦オランダグランプリ
ラウダ伝説の集大成。早めのタイヤ交換で優位に立ち、この年初めてチャンピオンになるプロストを抑えて最後の優勝を果たした。マクラーレンTAGは前年を含めて2台がピシっと最後までいくことが意外に少なく、ラウダとプロストはあまりコース上でぶつかりあわなかった。この点が2人の人間関係が良好に保たれた背景だろう。表彰台の顔ぶれが豪華。
1988年第7戦フランスグランプリ
マクラーレンホンダのセナ、プロストの場合、2台の信頼性とパフォーマンスが揃いすぎていたので両者がコース上でまともにぶつかる場面が頻繁に発生し、最終的に確執へ繋がった。本レースではまだ互いに敬意を払っていた時期のクリーンなバトルが見られる。個人的にはベストグランプリ。中嶋悟選手が奮戦するもマイナートラブルで入賞を逸した。
F1 Paul Ricard 1988 French Grand Prix - YouTube
1988年第8戦イギリスグランプリ
高速サーキットでの雨中戦。ドライヴィング、シャシーセッティング、燃費の連立方程式を解いてセナが制した。一方プロストは不可解なリタイア(キャリアで何度かあった)。これがチャンピオン争いのターニングポイントになった。また開幕戦から1度も完走できていなかったマンセルがクラブコーナーで前のマシンを次々としとめる会心のレースで2位。観客を沸かせた。