アフターアワーズ

文化・社会トピック切抜き帖

箴言の宝庫『村山富市回顧録』が文庫に

日本における改革の実現や大きな外交成果達成は保守安定政権で周到な準備した場合が殆ど。早期講和、社会保険、安保改定、日韓国交回復、沖縄返還日中国交正常化、三公団・公社民営化、全てそう。
革新勢力が騒いで実現したことなど皆無に近い。革新のひとで国や社会のために何かを成したひとなんて故・飛鳥田一雄さん(元横浜市長)と村山富市氏くらい。

その村山元首相が元朝日新聞記者で村山内閣当時の首相官邸記者クラブキャップだった薬師寺克行氏(東洋大学教授)のロングインタビューに応じ、2012年に岩波書店から出版された『村山富市回顧録』が2018年1月、岩波現代文庫に入り、単行本の約半額になった。「革新の側から見た戦後日本政治史」としてなかなか中身の濃い内容でまた随所に村山氏の箴言がちりばめられた面白い回想録なので文庫化は喜ばしい。

回想録中の村山氏の発言をいくつかご紹介する。

「選挙をするということは国民に対して自分の所属する政党はこれであり、こういう信条でこういう政策をやるということを宣言することであり、有権者に約束することだ。途中でその約束を破って党を出るのというのは、僕は反対だ。だれでもいい時もあり悪い時もあるが、悪い時もやっぱり踏みとどまって頑張るところに、有権者の政治家に対する信頼があるんだと思う。どんなことがあっても党を出るとか替えるということに、僕は抵抗を感じる。そういう人は保守革新を問わず信頼しない、信頼できないね。」(単行本〔以下同じ〕pp.46-47)

政権交代民主党に風が吹いたのではなく、自民党があまりにもひどかったから政権が民主党に移ったんだ。だけど誕生した民主党政権はだめだったなあ。その最大の原因は、やはり官僚機構という生きている組織を活用できなかったことだ。官僚に政治家が使われるのではだめだが、使いきれないのもだめだ。民主党は出発点で間違っていたな。各省で大臣、副大臣ら政務三役が官僚を入れないで会議を開いて物事を決めていった。これではだめだ。必要に応じてそれぞれの政策の担当者を入れて意見を聞き相談して物事を決めていかなきゃだめだ。結局政策の整合性がなくなり、人気取りの政策ばかり目立った。そこ民主党政権の限界だったな」(pp.255)

「日本は三権分立だから行政の役割を無視したらだめだ。つまり官僚を無視してはいけないということだ。たとえば沖縄の普天間飛行場の移転問題で総理の鳩山由紀夫さんが《県外・圏外》と言ったとき、これまでの日米合意などの積み重ねを無視するわけだから、よほど何か見通しや確信があって言ったんだと思った。ところが何もなかった。そのときどきの空気におもねるような発言をするのは間違いだ。やっぱり事前に十分検討して、役人の意見も聞いて、最後に自分で判断して決めるべきだ。何か判断する前にきちんと現状について役人から話を聞いておかないと誤りを犯しかねない。できもしないことを総理が言ったらおしまいだ。(中略)民主党のいう《政治主導》は官僚を排除したり無視したりすることを意味しているように見える。それは違うだろう」(pp.255-256)

「やはり小選挙区制がよくないんじゃ。各選挙区で過半数の支持がないと当選できない。支持を増やすために自分とは違う意見についても迎合しなければならない。それは政治家を誤らせる。また小選挙区の選挙はある意味で総理大臣を選ぶ選挙でもある。小選挙区候補者は当選するために自分の考えや意見を語らず人気がある指導者に流れていく。そうなると自分の志と違うことをやらなきゃならんし、大衆迎合的な政治になってしまう。それもよくないんじゃないかと思う。
(中略)やはり中選挙区制度がいいんじゃないかな。そもそも僕は政界が二大政党に収斂していくことが必ずしもいいとは思わない。」(pp.257-258)

ピアノの大技小技が熱空間で弾ける!【2018/2「東京ピアノ爆団」第3回】

「爆団」の中身を少し解剖

指揮者・水野蒼生が2016年から主宰し過去2回大成功を収めた自由に楽しめる超一級ピアノライヴ「東京ピアノ爆団」の第3回が2018年2月、東京(2月4日)と神戸(2月16日)で開催。以前ブログでその概要を記した。

choku-tn.hatenablog.com

今回は一部発表済みの3人が弾く予定の曲目について書いてみる。

鶴久竜太(ブラームス:ヘンデルの主題による変奏曲とフーガ作品24ほか)

簡単に言えばピアニストの能力が全てテストされる作品。指の回転スピード、パワー、反射神経、音と音の間を埋めるロマンティックな練り込み、論理的構成力・・・これらの要素が高次元で揃うと曲の妙味が引き出され、聴き手はゾクゾクする。クララ・シューマンシューマンの奥さん)がハンブルクで初演、ウィーン滞在時に楽譜を見たワーグナーが感動したという逸話まである名品。

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高橋優介(ストラヴィンスキー:「ペトルーシュカ」による3つの楽章)

「人間の心をもった人形の悲劇」という結構エグいプロットのバレエのエッセンスを三場面、ピアノで魅せる。リズムの爆発、狂乱の和音、色彩の洪水。かつては楽譜をなぞれれば一仕事達成と言われた難曲だが、高橋優介ならそんなところはスッと潜り抜け、ライヴハウスに劇空間を作り出すはず。

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三好駿(ベートーヴェン:創作主題による15の変奏曲とフーガ〔エロイカ変奏曲〕作品35)

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2017年7月の水野蒼生指揮、O.E.Tの結成公演を聴いた方ならすぐ気付くと思うが、あの日のメイン曲目だった交響曲第3番の第4楽章のテーマが使われている。元々バレエ「プロメテウスの創造物」のフィナーレに使われた材料でベートーヴェンはこのテーマがお気に入りだった。喜怒哀楽、屈折したユーモアなどを内包する一筋縄ではいかない変奏曲。演者の三好もこれまた良い意味で普通じゃないひとだからきっとハマるだろう。

クラシック音楽を聴くのに格別の知識や「予習」など本来不要。その反面事前にちょっとかじっておくと一層楽しめるのも確か。この駄文が「爆団」への出発点になれば幸い。もちろん本番が始まったら余計なことは考えず、繰り出される音楽のエネルギーに酔いしれて欲しい。

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※文中敬称略。

「辞書の新版には飛びつくな」が常道【広辞苑第7版誤り指摘される】

約四半世紀前、小学校高学年の頃、国語や英語の時間に大人用の辞書の引き方を教わった。当時双方の科目の先生が同じことを仰った。

辞書はなるべく新しいものを使った方がいい。但し、新しい版が出た時にすぐ飛びつくのは良くない。どうしても新しい版には間違いがある。少し待って増刷が行われ、その過程で間違いが正されたところで買うのが賢い選択。

この先生の言葉を常識と心得てきたので先頃広辞苑の第7版が発売された時、「初日に買いました」と嬉々としてテレビのインタビューに応じていたひとを見て「ああ、分かっていない気取り屋だな」と感じた。そしたら案の定、誤り云々という話が。もちろん間違いはないに越したことはない。でも広辞苑を買うくらいの人間なら出版物に関する一定の常識は備えているのが当たり前。今の学校では教えないのだろうか。つくづくしっかりした学校に行き、立派な先生に教わって良かったと思う。

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安全、定時運行以外余計なことはしなくていい【日比谷線BGM試行】

公共交通機関の役割は乗客を安全にしかも定時運行で輸送すること。他のサービスはこれが100%できた上で考えるのが当然。電車の遅延があちこちで常態化しているいま、下記のような遊びにかまけるなど言語道断。そんなカネがあるなら施設の構造改革を進め、多数の乗客がスムーズに移動できる環境を整備し、ラッシュでも安全に遅延なく運行するのが公共交通機関の務め。

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大体学校の芸術鑑賞や給食時間のBGMと同じで個人の趣向に関係なく音楽を押し付けられるのは極めて不快。まずい給食の時間に流れていたから大人になっても特定の曲が嫌いと話すひとが結構いる。電車BGMは「遅延する電車内で聴いたからあの曲が嫌いになった」というひとを確実に生み出す。クラシック音楽をつまらない目的の道具にして、その価値を貶めるのは天に唾する行為。

また悪知恵の働く人間がプロモーション目的で「これを流してくれ」などと鉄道会社に持ち込むケースもありうる。もし車内で例えばAKBが流れてきた日にはこの世の終わり。

My Favorite Things【1988年F1世界選手権セレクション】

30年前の1988年、初めてF1世界選手権を1シーズン通してテレビ観戦した。そこからの数年間、頭の中の過半はF1のことが常にグルグルしていた。F1に夢中となる出発点だった1988年シーズンの記憶は未だに思い出すたびに胸がジーンとする。

①第7戦フランスグランプリ(ポールリカール):遺恨発生前のセナとプロストによるクリーンなバトル。中嶋悟も入賞目指して健闘するが及ばず。マンセル何と開幕から7戦連続リタイア。テンション高い今宮純、森脇基恭両氏の解説が面白い。

②第8戦イギリスグランプリ(シルバーストーン):当時我が家のビデオデッキが壊れていて母の友人が代わりに録画してくれた。その方の家で見せてもらった時嬉しかったのを覚えている。レインレースの醍醐味が詰まったレース。非力なマシンを駆って2位入賞のマンセルのファイト、それに対する観衆の大歓声は何度視聴しても涙もの。プロストの不可解なリタイアはシーズンのターニングポイントになった。

③第12戦イタリアグランプリ(モンツァ):1988年シーズンで唯一マクラーレン・ホンダが勝利を逃したレース。前戦ベルギーGP直前に逝去したエンツォ・フェラーリの「神の手」。笑い飛ばされそうだが「見えない力ってあるのかも」と感じたのは1988年F1イタリアグランプリと1991年ル・マン24時間をテレビ観戦した時。

④第15戦日本グランプリ鈴鹿):セナとプロストによるドラマティックかつ美しいタイトル決定戦。中嶋悟は予選2日目にチームメイトの元王者ピケと1/1000秒まで全くの同タイム。規定で先にタイムを出したピケが5位、中嶋氏は自己最高の予選6位。お母様を亡くす不幸があったなかの好タイムに決勝への期待が高まった。しかしスタートで大失敗、怒涛の追い上げを見せたが惜しくも7位に終わった(当時入賞は6位まで)。

決勝前のウォーミングアップ時に撮影されたと思われる映像。もちろん当時は見られなかったとても貴重なもの。タイヤ交換練習風景の後、足回りやディフューザーなど通常クルーが隠す部分を撮っているのでプラモデル作るひとの参考にもなりそう。ラストは決勝のスタート。

F1 鈴鹿ピット秘蔵映像1988 - YouTube

⑤第16戦オーストラリアグランプリ(アデレイド):もう絶対に見ることがないホンダの1-2-3フィニッシュ。フェラーリのベルガーは燃費度外視で自由に走った。この後キャリア終盤にミニブレイクしたパトレーゼが健闘、前戦に続く入賞で翌年の契約を勝ち取る。1,500ccターボ最後の1戦、プロストが歴史に名を刻む勝利。

F-1 総集編 1988 R16 オーストラリアGP - YouTube

60年前の遺物「国防の基本方針」の再策定が先だ【防衛大綱見直し表明】

安倍内閣は内政、外交ともに各論(対症療法)を次々と繰り出して一定の成果をあげるのがうまい反面、安定した政権基盤を持ちながら物事の根っこの改革や再構築には消極的なのが特徴。

23日に小野寺防衛大臣が正式表明した防衛大綱の見直しもしかり。

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厳しい安全保障環境を考えれば大綱の見直し自体は妥当。その一方で大綱の背景にある日本の「国防の基本方針」は、約60年前の第1次岸内閣時代の1957年5月20日に閣議決定されたものが現在なお有効なものとして残っている。内容は以下の通り。

国防の目的は、直接及び間接の侵略を未然に防止し、万一侵略が行われたときはこれを排除し、もって民主主義を基調とするわが国の独立と平和をまもることにある。この目的を達成するための基本方針を次のとおり定める。

  1. 国際連合の活動を支持し、国際間の協調をはかり、世界平和の実現を期する。
  2. 民生を安定し、愛国心を高揚し、国家の安全を保証するに必要な基盤を確立する。
  3. 国力国情に応じ自衛のため必要な限度において、効率的な防衛力を漸進的に整備する。
  4. 外部からの侵略に対しては、将来国際連合が有効にこれを防止する機能を果し得るに至るまでは、米国との安全保障体制を基調としてこれに対処する。

御覧の通り、前文に掲げられている「目的」は立派だが肝心の「基本方針」は全くなっていない。日本の国防の基本方針なのに「国際連合の活動を支持」、「国際間の協調」(意味不明のフレーズだ)、「世界平和の実現」が最初にきており、領土・領海・領空・国民の生命財産を自らどう守るのかについての方針は皆無。2.と3.は悪くないが4.は今となっては噴飯もの。繰り返すがこれは現在も有効である。

どんなに立派な防衛大綱を作ったとしても国防の基盤である「基本方針」が日米安全保障条約改定前のこんな中身のままで、きちんとした戦略を立てて、日本を守れるのだろうか。やはりまず化石状態の「基本方針」は撤廃し、現在の日本の体制、置かれている地政学的状況、アメリカとの安全保障協力関係のあり方に沿ったものを再策定する。その上で新しい防衛大綱を作って背骨の通った防衛力整備、国防体制の構築を進めることが日本を守るためにいま求められている。対症療法の接ぎ木で済む時代は終わった。