アフターアワーズ

山椒系ちょくの切り抜き帖

【PR】音楽・映像ソフトや書籍のレビューなどの執筆依頼受付中

https://www.instagram.com/p/B_myo0ap-i8/

Tadashi Nakagawa on Instagram: “4/30付けmikikiレビューアクセスランキング。オールジャンルでデイリー2位🥈、ウィークリー10位。クラシック部門デイリー&ウィークリー1位🥇、月間2位🥈。深く御礼申し上げます。https://mikiki.tokyo.jp/articles/-/24949 #加々見茉耶…”

表題の通り、執筆依頼を承ります。主な対応領域は以下の通りです。

  1. 音楽・映像ソフトや書籍のレビュー:クラシック音楽関連を多く手掛けていますがJAZZ、NEWAGEのアイテムの執筆経験もあります。タワーレコード発行のフリーマガジン「intoxicate」のレギュラー執筆者を通算8年あまり務めています。2015年以降に寄稿したレビューはミュージックレビューサイトmikikiに常時掲載中。上記画像の通り、オールジャンルのアクセスランキング入りしました。

    mikiki.tokyo.jp

  2. 音楽・映像ソフトのライナーノーツ:対応ジャンルはレビューと同様です。
  3. サイト、フライヤーなどに掲載するアーティストプロフィール作成:コンクール歴や師事歴を並べたものにひと花添える音楽的特徴を記した内容を提供します。
    ⇓作成例⇓

    www.artmusetaka.com

  4. CDなどの帯や直販サイト向けのキャッチ作成
    ⇓作成例⇓

    www.artmusetaka.com

条件など詳細はメイル(tadashikeene0618@yahoo.co.jp)もしくはInstagramのDMでお答え致します。

コメント欄でもお気軽にお問い合わせ下さい。

More→逆しまな歯車を仮面が嗤う。【黒田玲兎が加わり面目一新】

キーボード・ピアニスト、作編曲家、詩人、ヴォーカル、演者…多彩な才能を縦横無尽に反射させ、艶と翳の響き合う音楽世界を繰り広げる黒田玲兎については以前から取り上げてきた。
彼が6月に「逆しまな歯車を仮面が嗤う。」というバンドのメンバーになった。この長い名前のバンドはかねてMoreの名で活躍してきた4人組。私自身生で聴いた記憶もある。
白灰色の質感のヴォーカルに繊細な音構造、リズムの切れを持ちつつ、しっかりした骨格で拡がるサウンドが折り重なる音楽は心に残った。それだけに注目してきた黒田玲兎をメンバーに加え、しかも名を改めたのは二重の驚き。
既に彼らは黒田玲兎を加えた編成でMore名義の配信ナンバー「Singin'in the rain」をレコーディング済だが、7月1日に改めて新名義&新編成の配信シングル「MASK」を送り出す。そしてここから12ヶ月連続で配信シングルをリリースするという。
open.spotify.com早速2曲を聴いた(「MASK」は6月26日にNACK5で放送)が黒田玲兎のキーボードの瞬きでサウンドに輝きや翳が加わり、詩心を音で歌う。バンド総体としてはゴージャスさに射し込むほの暗い音色、ひとりひとりの鋭敏な感覚、それを響きに昇華する高い技術がうかがえる。
とりわけベースのen'yaは塩谷朋之という本名でも活動する文字通りの大型ベーシスト。細部まで血を通わせながら雄大で強靭な音楽を奏でる、破格の才能の持ち主。
ちなみに塩谷氏が中心的存在だったバンド、12012は休止していたが同じく今年6月に新たな編成でリスタートした。久々に聞く音楽絡みでワクワクする話題ゆえ、ここからの展開が楽しみ。やはりこういう音楽はライヴパフォーマンスが伴ってこそ浸りきれる。状況が整って生で味わえる日を待ちたい。
※文中一部敬称略

大平正芳没後40年【運命に殉じた謙抑の政治家】

https://www.instagram.com/p/CBVtRI9phpD/
「権力はそれが奉仕する目的に必要な限りその存在が許されるものであり、その目的に必要な限度において許されるものだということだ」「国民は百利を興すことに汲々たる大臣よりは、一害を除くことに心胆をくだいてくれる大臣をもとめているのである」1980年6月12日に急逝した大平正芳氏は政界きっての読書家。その教養を背景に多くの知識人と交わり、ボトムアップで内政、外交の両面における総合政策を構想した。「環太平洋連帯構想」は名高い。しかし皮肉にも首相在任中は自民党内の権力闘争に明け暮れ、ビジョンを具体化する機会もなく世を去った。大平氏のブレーンは主亡き後も私的に集まり、報告書を完成させた。中曾根康弘氏はこの「大平研究会」の報告書を精読して後の政権運営に生かした。辻井喬の『茜色の空』は名前を変えてフィクションの形にしつつ、親交のあった大平氏の人物像を詩的な品格漂う文章で丹念に描いた小説。#大平正芳 #没後40年 #辻井喬 #堤清二 #文藝春秋 #文春文庫 #読書 #本 #本の紹介 #日本政治 #戦後政治 #内閣総理大臣 #伝記小説 #首相 #文庫本 #小説 #長編 #長編小説

大平正芳秘書官日記

大平正芳秘書官日記

  • 作者:森田 一
  • 発売日: 2018/04/16
  • メディア: 単行本
祖父 大平正芳

祖父 大平正芳

※6/14まで+web展示あり※現代印象派画家KOH個展【放射する光に包まれる】

https://www.instagram.com/p/B_FOx4kJztN/
Login • Instagram
今までは光に向かってエネルギーの結実する、見る側が吸い込まれていく画風だったが、最近は中心から光が放たれ、見る側を包容する雰囲気に感じる。細部の磨き込みもより洗練度を増した。クールな感触に愛おしさ、暖かみが宿る。
6/14までグランドニッコー東京台場3F GALLERY21にて。今回は時節を考慮しwebでの作品紹介も行っている。

【初投稿】現代印象派画家-KOH-2020個展【#オンライン個展】#stayhome
youtu.be

【PR】音楽・映像ソフトや書籍のレビューなどの執筆依頼受付中

https://www.instagram.com/p/B_myo0ap-i8/

Tadashi Nakagawa on Instagram: “4/30付けmikikiレビューアクセスランキング。オールジャンルでデイリー2位🥈、ウィークリー10位。クラシック部門デイリー&ウィークリー1位🥇、月間2位🥈。深く御礼申し上げます。https://mikiki.tokyo.jp/articles/-/24949 #加々見茉耶…”

表題の通り、執筆依頼を承ります。主な対応領域は以下の通りです。

  1. 音楽・映像ソフトや書籍のレビュー:クラシック音楽関連を多く手掛けていますがJAZZ、NEWAGEのアイテムの執筆経験もあります。タワーレコード発行のフリーマガジン「intoxicate」のレギュラー執筆者を通算8年あまり務めています。2015年以降に寄稿したレビューはミュージックレビューサイトmikikiに常時掲載中。上記画像の通り、オールジャンルのアクセスランキング入りしました。

    mikiki.tokyo.jp

  2. 音楽・映像ソフトのライナーノーツ:対応ジャンルはレビューと同様です。
  3. サイト、フライヤーなどに掲載するアーティストプロフィール作成:コンクール歴や師事歴を並べたものにひと花添える音楽的特徴を記した内容を提供します。
    ⇓作成例⇓

    www.artmusetaka.com

  4. CDなどの帯や直販サイト向けのキャッチ作成
    ⇓作成例⇓

    www.artmusetaka.com

条件など詳細はメイル(tadashikeene0618@yahoo.co.jp)もしくはInstagramのDMでお答え致します。

コメント欄でもお気軽にお問い合わせ下さい。

「コロナ後」への提言【「予測不能」に備えるシステム作りを】

①日本は平素から国家的危機に際して公と私の関係をどうするか議論してこなかった。大きな災害や化学兵器によるテロの経験があるのに。政治家、知識人、メディアが一歩前に出て、リードして国民的議論を起こし、賛否はともかくそういうことを考えるクセを国民につけなければいけなかった。マイナンバーひとつとってもそう。とりわけ皮相な政権批判ばかり繰り返し、今なお同じ事をしている知識人の罪は重い。
②新型コロナウィルスの感染拡大は大災害や細菌テロに近い問題でどちらかといえば治安、安全保障マター。この機に乗じて良からぬことをするひとはいるし、何か企む国や地域もあるだろう。保健所なんて食中毒やインフルエンザの定期的な流行に対応する組織で扱える事態ではない。大勢のひとが動く事態に通じている警察、消防、自衛隊が全面に出てやること。
国家緊急事態基本法を作り、例えば緊急事態宣言がでたら官房長官のもとに国家緊急事態局を設けてひと、カネ、権限、情報を集約して命令する。逆に地方自治体への権限委譲が必要ならそこで決める。NSC同様、各省庁には求められたら情報の提供を義務づける。
当事者能力のない組織に役割を担わせるのは百害あって一利なし。
③休業要請などに従わないひとへの罰則の是非が浮上している。それが導入されると当然裁判にかけられるので、妥当性が争われ、もし無罪となれば下手すると内閣が倒れるくらいのダメイジになる。一方今般の「休業要請」の妥当性は誰からの検証も受けない。また従ったひとと従わないひとの間で不毛な軋轢を生む。往々にして少数派は批判されればされるほど頑なになり、結束する。
事前の国会承認と事後の厳正な検証(ます国会で行い、もし重大な人権侵害や恣意的運用が判明したら提訴を視野にいれた第三者の検証に移行)を条件に一定の強制力のある措置を講じた方が遥かに合理的。今回の緊急事態宣言に際しては「国会報告」が付帯決議に記されたが安倍首相はその延長を国会はおろか、専門家会議すらすっ飛ばして与党に伝えた。どんな検討がなされたのか何の説明もない。中途半端な制度は社会の歪みに繋がる。
強制力のある措置とセットなのは「補償」ではなく記録に残る事前承認と事後検証。
④その「補償」は言うはやすく実現は困難。他国のように職域(職能)別組合が整っていれば(逆に言うと組合に入らないと商売や活動は原則不可)、組合がメンバーの要求を取りまとめて「我々の業界はいくら必要です」と政府もしくは地方自治体に申請し、まとめて受け取り、配分するのでスムーズ。
しかし日本の場合、そういった組織やシステムがない。個々がバラバラに申請するのでは、チェックに時間が掛かり、逆に一律ならばらまきになる。
ほぼ自由だが脆弱な社会が良いか、少し制約を受けるがいざという時に横の繋がりのある社会が良いか、これも平素から考え、枠組みを作る話。
⑤とにかく平素の思索や議論、実行なしに有事の対応はできない。ジャック・アタリの言うように「予測不能」で逃げずにできることをやっておくこと。いま東南海地震がきたらどうするのか。

生誕100年、西本幸雄さんの「私の履歴書」【「育てて」「勝てる」稀有な名将】

2020年4月25日、本来なら元プロ野球監督(大毎/阪急/近鉄)の西本幸雄さん(1920年4月25日~2011年11月25日)の生誕100年記念試合が開催予定だった。残念ながらプロ野球の開幕延期により中止となったがこの記念日に寄せて生前日本経済新聞の名物コーナー「私の履歴書」で残した半生記の内容を中心にその人生と業績を振り返りたい。

https://www.instagram.com/p/BgG6KNgnAPE/

Tadashi Nakagawa on Instagram: “野球を深掘りする楽しみは人間集団の心の問題の不可思議さが感じられること。3冊はそれをリアルに検証したもの。男同士の関係が一度壊れるといかに厄介かを教えてくれる。 #プロ野球 #王貞治 #長嶋茂雄 #監督 #嫉妬 #読書 #人間関係 #日経ビジネス人文庫 #野球のバイブル…”

  • はじめに
  • 情熱と先進性
    • キャンプでサーキットトレーニングを導入
    • 驚きの「信任投票事件」
  • 金の卵を生かした育成術
    • 山田、加藤、福本をどう成長させたか
    • 登用したコーチから後の名将が
  • 大胆な人事と行動で道を切り開く
  • おわりに

はじめに

西本幸雄さんが「私の履歴書」に登場したのは1992年8月。当時71歳、ユニフォームを脱いで10年余りたち、関西テレビの解説者を務めていた。1988年には野球殿堂入りを果たし、いわば功成り名遂げた身として人生を振り返った内容と言える。

冒頭はこんな記述から。

私は和歌山中学で1年間だけラグビー部に所属し、体をぶつけ合うこの競技のおもしろさを知った。ラグビー部も退部して、中学4年の時から、野球と本格的に取り組んだ。野球は間のあるスポーツだ。息つく間もなく展開するラグビーと違って、1プレーごとに間が生じる。

だから退屈で、おもしろくないかというと、これが決してそうではない。間があるから考えるし、邪念が入る事もある。そこに野球の難しさがあるし、おもしろさもある。

中学、大学、ノンプロ、プロ野球を通じて、このスポーツの魅力にとりつかれてきた。(中略)野球は自分がプレーをしてもおもしろいが、コーチ、監督として参加しても、奥が深い。チームという人間の集合体が、苦しい鍛錬の時期を乗り越えると、上昇の機運といったものが肌で感じられるようになる。この時の楽しさは、何物にも代えがたい。

野球に限らず、鍛錬は時間をかけて、同じ事を繰り返してやらねばならない。どれだけ熱心にやっても、思うように成果が上がらぬ事がある。どうしてこんな事をやらなければいけないのかと、くじけそうになる。

私はあまりいい選手ではなかった。この程度の事しかできないかと、力の限界を何度も感じた。しかし、チームをあずかっている時は、限界というものを感じなかった。壁に突き当たっても、人と人との組み合わせを変えたりする事で、抜け出す道はあると思った。

野球の魅力と難しさを端的に表現していると思う。野村克也さんの書くものより血と汗のにおいがするのは「熱血手作り野球」と呼ばれた西本さんらしい。その特徴を3つの視点からひも解いてみる。 

情熱と先進性

キャンプでサーキットトレーニングを導入

西本さんは立教大学、兵役を挟んでノンプロの別府星野組などを経て30歳で毎日オリオンズ内野手としてプロ入り、1950年から1955年まで6シーズンプレーした。そのため選手時代の実績に特筆するものはない。しかしアマチュアでの豊かな経験が評価され、指導者の道が開けた。例えば立教大学時代から既に後の名将の片鱗が覗える。

主将で監督になった私は、練習にアクセントをつけるようにした。悲壮感をただよわせて、体力を消耗するだけではなく、やるからには効果が上がるような練習をしたかった。基礎体力をつける時期と、リーグ戦が近づいたときとでは、おのずから練習内容は違った。1週間の中でも、練習に強弱の差をつけた。

別府星野組で選手兼監督をした時には選手の給料のやりくり、興行師と招待試合のギャラの交渉まで担った。また毎日選手時代は「佐藤荒巻ライン」と呼ばれた継投策、 足を使った攻撃な当時としてはモダンな戦法を駆使して1950年の初代パ・リーグ優勝、日本一に輝いた湯浅禎夫監督の采配をつぶさに観察。引退した西本さんは2軍監督に就き、厳しい環境のなかでひとのやる気を伸ばし、育てる難しさを体験する。途中球団合併で「毎日」が「大毎」と変わり、1軍コーチを経て1960年に1軍監督の座についた。そして1年目でパ・リーグ優勝するが三原脩監督率いる大洋と対戦した日本シリーズは第2戦のスクイズ失敗が響いて流れをつかめないままストレート負けし、更迭されてしまう。この「短期決戦に弱い」一面は後々まで西本さんについて回った。

さて1年間の解説者生活を経て西本さんは1962年、阪急の2軍コーチに迎えられ、翌1963年には早くも1軍監督となった。その年は最下位、選手の体力不足を痛感したこととから翌年のキャンプで筋力トレーニングを取り入れる。

(最下位は)やむを得ないと思った。 選手に1年間をフルに戦う体力がないのだ。まず根本的に、体力から鍛えなければならないと感じた。

今でこそ各球団の間で、筋力トレーニングをするのは常識となっている。だが、当時は器具を使ったサーキットトレーニングをしている球団は、どこにもなかった。昭和39年の高知キャンプでは、高知市教委体育課長で陸連強化委員だった中川善介さんに、筋力トレの指導をお願いした。

器具といっても、最近の何千万円もするものではない。鉄アレイ、バーベルなど、簡単なものだった。ところが選手は「ボディービルをやりにきたのではない。野球の練習をしにきたのだ」と、拒絶反応を示した。特に、投手たちは、肩に余計な筋肉がつくからと、頑強に拒否した。

サーキットは何クール化のセットになっていて、一定の時間内にやらないと、効果がない。ところが、気乗りせずにやると、時間がかかるばかり。背筋を真っすぐに立てて上げなければならない器具を、いい加減な格好で扱う。やむなくコーチ陣がつきっきりで、およそプロらしからぬ、強制という形をとってやらせた。

1ヶ月もやると、体力はついてきた。きつく感じていた練習に耐えられるようになってきた。やっと選手が、筋力トレの効果を認めるようになった。それと同時に、練習というものは、つらくて苦しいものばかりでないと、かなりの選手が感じるようになってきた。

基礎体力重視、強弱のアクセント、単に身体を痛めつけるより実効性を重んじる・・・立教時代からの一貫した姿勢が反映されている。こうした取り組みが功を奏し、1964年は「本当に強くなって得た成績だとは思わない」(西本さん)が阪急は2位に浮上した。

また1966年の冬には野手強化のため当時例のなかった少人数での練習を行い、後に主力となる森本潔、阪本敏三、長池徳二の成長に繋げた。

続きを読む

追悼サー・スターリング・モス【大快挙と「騎士道」】

2020年4月12日に90歳で逝去した元レーシングドライバーのサー・スターリング・モスは1950年代から1960年代初頭にF1世界選手権スポーツカーレースで活躍。F1では66戦に出走してモナコグランプリ3勝を含む通算16勝、1955年~1958年の4年連続でドライバーズランキング2位となりながら1度もチャンピオンにはなれず、「無冠の帝王」と呼ばれた。この「無冠の帝王」という言葉はモスから広まった言葉だろう。

当時のF1マシンは殆ど上半身むき出しでシートベルトのないクルマが多かった。ヘルメットも現在工事現場でかぶっているものより簡単な形。モータースポーツが文字通り死と隣り合わせの時代をしたたかに生き抜き、晩年まで御意見番として活動したので1980年生まれの筆者でも雑誌「カーグラフィック」などのコラムで謦咳に接する機会はあり、いわゆる伝説のドライバーの中では身近に感じる存在だった。

多くの追悼記事の中でも中身の濃いのはこちら。

jp.motorsport.com

上記リンクで紹介された3レースにあえてもう一つモスの重要な勝利を付け加えるなら1955年F1イギリスグランプリ。チームメイトでワールドチャンピオンのファンジオの追撃を0.2秒差でかわしての優勝はモスにとってF1初優勝であり、同時に英国籍のドライバーによるF1初優勝だった。地元でF1初優勝だけでも快挙なのにその国のドライバーが果たしたF1における初優勝というおまけつき。「無冠の帝王」のモスが今なお英国で深く尊敬される所以である。

一方でこんな挿話もある。クリストファー・ヒルトンの『GRAND PRIX SHOW DOWN/SHOOT OUT(邦題:栄光的瞬間)』(ソニー・マガジンズ;1993年)によれば

イギリスのエイントリーのレースではさまざまな憶測が持ち上がった。メルセデスはチーム決定としてファンジオを2位、イギリス人のモスを優勝させると思われていたからだ。たしかにモスが優勝した。ただし、2位のファンジオとはわずか0秒2差であった。

モスが語る。

「私はイギリス人で初めてイギリスGPで優勝することができた。ファンジオが私を抜くことができなかったのかどうか、私に聞かないで欲しい。私は、ファンジオがその気になれば、私を抜くことができたと思っている」

モスの優勝は、チーム決定ではなく、ファンジオ自身がモスに敬意を払ったのだと誰もが思った。ファンジオ自身は黙して語らない。

1995年にファンジオが逝去した時にテレビ朝日系「カーグラフィックTV」で追悼特集が組まれ、モスのインタビューが紹介された。

(レース後にファンジオから)《かなわなかった》と言われた。ファンジオが私を追い越そうと思えばできたと思う。おそらく私にとってイギリスグランプリに優勝することがどれほど重要か理解してくれていたのだろう。

(ファンジオが譲ってくれたと考えているのかという問いに)そう感じる。彼は私に敬意を払ってくれた。私は彼を心から尊敬している。父親のようにさえ思うよ。

この挿話をひも解くたびに筆者の脳裏には「騎士道」という言葉が頭に浮かぶ。もちろん60年以上前のモータースポーツにも駆け引きはあったし、醜い確執も存在した。だが後年にあった表面上似た話、例えば1991年日本グランプリでアイルトン・セナがゲルハルト・ベルガーに勝利を譲ったシーン、とは明らかに異質の見えない何か、ある種の矜持を感じるのだ。

モスは前述の『GRAND PRIX SHOW DOWN/SHOOT OUT(邦題:栄光的瞬間)』の中でモータースポーツの核心を突くこんなコメントもしている。

レースはいちばんクリーンなスポーツだと言うひともいるが、歳をとるにつれて、そう断言する奴が嫌いになるね。だが、やはり、私もレースは他のスポーツに比べれば、純粋だと思うね。

英国のモータースポーツジャーナリスト、アラン・ヘンリーは名著『世界の有名な50レース1935-1987』(グランプリ出版;1991年)の中で1955年イギリスグランプリを「モス堂々の優勝」と称え、後年の『The Top 100 Formula One Drivers of All Time』(Icon Books Ltd;2008年)のなかで並みいるワールドチャンピオン経験者を退けてモスを第1位とした。これを自国びいきと断ずるはたやすい。しかしモスのドライバー人生、そして引退後も貫いた一本筋の通った佇まいを辿るとき、思わず頷く自分がいる。