アフターアワーズ

文化・社会トピック切抜き帖

2024年(令和6年)1月28日(日) / 町田 樹講演会「本と生きる、本を書く」

www.instagram.com

www.threads.net

www.threads.net

【要約】

「本を読む私」「フィギュアスケートと本」「本を書く私」の3部構成の講演。

「本を読む私」では小説からのインスピレーションがもたらしたもの、知識同士のつながりの重要性、自身の本の選び方を語った。

フィギュアスケートと本」はタイトル通り現役時代のプログラムを振り返りつつ、演技作りの本質が「アダプテーション(翻案)」にあると話した。

結びの「本を書く私」では一般書、学術書の間にある執筆過程の違いと共通項を説明した後、本が社会に果たす役割について論じた。

1時間30分の枠でうち1時間15分が講演、質疑応答15分の予定と告知され、実際その通りに収まった。

現役時代のニックネーム「氷上の哲学者」と異彩を放ったプログラム、解説の語彙のパレット、やや斜めに立つスタイルなどのイメイジを抱いて出かけたが、明快な話しぶり、質疑応答における丁寧な対応など、上品で知性あふれる人物だと感じた。

「本を読む私」

町田樹氏は「本を読みます(本が好きです)」と言うとよく交わされる話題、質問として以下の4点を挙げてそこから話を展開した。

  • 本を読むようになった理由→小学生時代にお母様から日々学んだ作品などを音読するよう言われ、毎日繰り返される「行事」を退屈にしないため、登場人物の気持ちを想像したり、自身に置き換える習慣がついた。
    成長するとミステリー中心に小説を多く読むように。後のプログラム作りのもとになるイマジネーションが形成。
    読書の楽しみの一つがイマジネーション。逆に小説の映画化で「違和感」を覚える場合は、個々の持つイマジネーションと目の前の映像に「ズレ」を認知した場合だと考えられる。
  • ジャンル→幅広く読む。蔵書は約2,000冊。知識は繋がっているもの。イノベーションは白紙から何か湧いて出るものではなく、既存の材料を結び付けた結果生まれたケースが殆ど。視野を拡げ、知の連携のため幅広いジャンルを読むことに利がある。
  • 本の選び方→
    ①作家・テーマで
    ②ランダムチョイス(CDで言うところのジャケ買い
  • 影響を受けた本→「チームバチスタの栄光」シリーズ
    思春期の頃、本シリーズを含む小説の人物との「出会い」から生かせる要素を見つけて自己を形成した(それが「個性的」と言われる理由かもと仰っていた)。

フィギュアスケートと本」

アダプテーション(翻案)が自身のプログラム創作の本質と話した。

アダプテーションの例としてグリム童話→ディズニーアニメ「白雪姫」を挙げている)

具体的に東野圭吾白夜行』からインスピレーションを得る→ドラマのサウンドトラックの検討→町田樹のプログラムの順に過程を説明し、実際の演技映像を見せてくれた。

「本を書く私」

学術書→専門性・詳細さ

一般書→普遍性・分かりやすさ

一方でひとつの本が成立する道のりは割と似ていて、学術書が論文の積み重ねから構築していくのに対して、一般書は雑誌・サイト等の連載(これは締切に追われる厳しさはあるものの、本を成立させる手段として一番やりやすく収入面でも助かると率直に話しておられた)やコラムの積み重ねで編まれるケースが多い。つまり積み重ねがオーソドックスなやり方と言える。

結び

書籍は他のメディアと並べた時、信頼性(編集過程でひとの目が入るし、出版後でも重大な問題があれば訂正もしくは絶版になるから、信憑性の乏しい情報の拡散がある程度止められる)、公共性(国会図書館に代表されるライブラリーで長く残る)、リーズナブル(手間のかかっている割には決して高くない)の面で優れている。

複雑な事柄を単純化して歪めずに解きほぐせる媒体はいまのところ本以外見当たらない。他方瞬発力の点で活字が不利なのは事実。映像なら一瞬で伝えられるから。題材、用途に合わせた媒体の使い分けが大切。どちらと偏る話ではない。

また書籍は色々なメディア発信のベースを成すもの。従って出版の衰退はそうした基礎の喪失であり、社会にとって大きな危機になりかねないと考えている。

中川 直によるエピローグ

2014年ソチオリンピックと世界選手権における「火の鳥」、同年12月の日本選手権の「第九交響曲」など町田樹氏は、私にとって「記録より記憶」のスケーター。

研究者、大学教員に転身後もテレビ解説で聞かせる他者とは違う切り口、論理構成のコメントが印象深く、失礼をお許し願えれば「クセの強いひと」だとみなしてきた。

今回の講演でそれは少々覆された。確かに並外れた学識と感性の鋭敏さから発する言葉は「独自性」に富むが、論旨は明確で話の組み立て方、時間管理も巧みだった。

最後の質疑応答は優しい言葉で受け答え。

私は幸運なことに男性の聴衆が少なかったので指してもらえた。

町田氏が監修した『フィギュアスケートと音楽』(音楽之友社)の企画、編集過程について質問し、

音楽之友社から監修を打診され、目次と企画書を出したこと。

・編集者と何度かやり取りして目次が固まった後は、8割方自ら執筆。

・重層的題材を扱うのに活字は好適だが、反面視覚や聴覚が基盤のものを言葉で表す難しさも感じた。

と丁寧に応じて下さった。

町田氏と私は10歳違うが、学識や感性はともかく、物の考え方、本はきれいに持ち続けたいところなど共通面も結構あって楽しく聞けた。

氏はもとより企画者に感謝したい。

ちなみに町田氏は学術論文を読むのはタブレットだが、書籍は完全紙派だそうである。

2024年1月14日(日)/ ザ・シンフォニカ 第75回定期演奏会

ミューザ川崎シンフォニーホール

指揮:海老原光

~曲目~

エルガー:創作主題による変奏曲《エニグマ》から第9変奏「ニムロッド」(故・飯守泰次郎に献奏〔拍手なし〕)

エルガー:演奏会用序曲「コケイン(ロンドン・タウン)」

ブリトゥン:歌劇「ピーター・グライムズ」より4つの海の間奏曲

-休憩-

ウォルトン交響曲第1番

英国音楽の傑作を堂々と

ザ・シンフォニカは35年以上の歴史を持つアマチュアオーケストラで年に2回、内容の濃いプログラムの演奏会を開催している。

choku-tn.hatenablog.com

本公演は上記の通り、英国の傑作が並ぶプログラム。

日本は本国以外で最も英国音楽が愛されている国だと思うが、演奏家にとってはなかなか大変な曲目ばかり。

金管、打楽器の技術的難易度が高いことに加えて、例えば同時代のリヒャルト・シュトラウスならススッと進むところを、何となく行きつ戻りつしながら起伏が形成される特有の波長に「乗っていく」難しさがあり、縦の線やバランスの決めにくいポイントも結構多いのだ。

今回、ザ・シンフォニカは全体にシャープネスのきいたサウンドで楽想の浮き沈みをくっきり描いた。

「コケイン」は早めのテンポで凝集感のある音楽。静と動の切り替えがきっちりしていた。

ブリトゥンは凹凸の処理がうまく決まり、第4曲の総力戦も骨格の見通しを保ってやり抜いた。

ウォルトンシベリウスマーラーアマルガム的作風で、山と谷のつけ方がやっかいだが、ホルンの充実を軸に強靭なアンサンブルが構築され、楽想の推移を明確に響かせる。フィナーレ終盤、パート間の出し入れの難しい箇所で管打が大健闘していた。

演奏会冒頭、楽団に複数回客演し、指揮の海老原光とも縁の深かった飯守泰次郎への追悼演奏が捧げられた。

飯守泰次郎と英国音楽・・・と考えた時、随分前にテレビ視聴したホルストの「惑星」が頭に浮かんだ。ちょっとクセのある棒捌きで多少の乱れに頓着せず、グイグイ牽引する姿を懐かしく想い出した。

※文中敬称略

【参考ディスク】

【2024年(令和6年)1月13日】2023年10月中旬以降鑑賞公演まとめ

あけましておめでとうございます

新年早々災害や事故が相次ぎ 胸の痛む日々が続いています

苦しい状況に置かれている皆様 お見舞い申し上げます

どんな投稿から始めるか 正直迷いました

表題の通り 2023年終盤に行った公演を写真で振り返ります

10月13日(金)Tiara Monthly Concert Vol.244「伝承の調べが紡ぐ世界」

メインプログラムは、1920年初頭に北原白秋が英国の「マザーグース」を翻案に近い形で訳出した「まざあ・ぐうす」を、打楽器奏者・作曲家の會田瑞樹が音楽つき舞台にしたもの。

約1時間の長尺だが、芸達者な歌い手・語り手の奮闘により、明暗の交錯する多面的な詩の世界を面白く可視化した。いくつかの場面を抜粋できそうなので、部分的再演は早期に十分望める。

11月5日(日)吉例顔見世大歌舞伎夜の部

11月25日(土)京都市交響楽団 第684回定期演奏会

12月7日(木)東京交響楽団 第137回東京オペラシティシリーズ

12月20日(火)Moonside Xmas late Show 2023

過去にも取り上げた友人の音楽家・黒田玲兎のバースデーイヴェント。

choku-tn.hatenablog.comLoki、Seth(Moi dix Mois)の排気量は図抜けていた。
レジョン・ルイとSHIGの繊細な声感覚も耳に残る。
黒田玲兎はもとより、ドラムの上岡憲外も出ずっぱりで下支え。大拍手。

12月22日(金)弓代星空 (violin & vocal)Eternal Starlight"Christmas 2023"

www.threads.net

背筋の伸びた佇まいの音色が美しかった。これは歌も同様。

変にクネクネせず、腰の座った品のある情感の込め方に好印象を抱いた。

全てのアーティスト、表現者に感謝。

※文中敬称略

【My favorite things special】2023年クラシック音源私的ベスト10

本年もスロー更新のなか、御覧下さった皆様ありがとうございました。

昨年同様、クラシック音楽の音源からマイベスト10を(順不同・敬称略)。

トーマス・ダウスゴー(指揮)、ベルゲン・フィルハーモニー管弦楽団 / ブルックナー交響曲第4番〔1878・80年稿〕(BIS)

尖鋭なサウンドでメリハリよく運ばれる。いたずらに重くせずに作品のスケール感の可視化に成功。オーケストラのピシっと締まったアンサンブルも貢献している。

最近の同曲録音では異稿異版により新味を出そうとするものが目立つが、いわゆる普通の「原典版」を使いながら清新な表現を成し遂げたこのコンビはあっぱれだ。

日本語帯・解説付

ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー(指揮)、BBC交響楽団ロンドン交響楽団 / ベルリオーズ:劇的交響曲「ロメオとジュリエット」(抜粋)、スクリャービン:法悦の詩(ICA CLASSICS)

読売日本交響楽団の名誉指揮者として日本で親しまれた才人の真価を刻印したライヴ録音。英国のオーケストラが変幻自在の棒捌きに応え、めくるめく響きのカレイドスコープをくりひろげる。静から動への展開の妙が耳をひく。音質良好。

尾高忠明(指揮)、大阪フィルハーモニー交響楽団 / エルガー交響曲第2番(オクタヴィア)

若干ゴツゴツした起伏の懐の深い音楽作りが曲想に合っている。大阪フィルハーモニー交響楽団のアンサンブル、個々の質感の洗練度が高いのも立派。

秋山和慶(指揮)、広島交響楽団 / チャイコフスキー:後期交響曲集・管弦楽曲集(東武レコーディングス)

先に発売されたベートーヴェンブラームスより若干収録年代が後のためか、オーケストラの安定感が増し、音質もいい。きっちりしたテンポを軸にした正攻法で時折さりげない揺さぶりが入る。安っぽい感傷におぼれず、品の良さを保つのはこの指揮者らしい。「デンマーク国歌による祝典序曲」など珍しい曲も含む。

安永徹(リーダー)、市野あゆみ(ピアノ)、オーケストラ・アンサンブル金沢 / モーツァルト:ピアノ協奏曲第24番、ハイドン交響曲第88番「V字」(ナミレコード)

演奏内容以前に選曲がいい。古典派音楽の好きな方なら間違いなく手が伸びる組み合わせ。各パートが立体的に位置づけられた音楽がきびきびと動き、室内管弦楽団を聴く喜びが横溢する。

野島稔(ピアノ)、山田一雄(指揮)札幌交響楽団 / ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番ほか(キングインターナショナル)

日本楽壇の重鎮ピアニストでありながら、録音の少ない奏者だったのでこのリリースは驚き、喜んだ。山田一雄の骨太で生気に富むバックのもと力強いコントロールが冴える「皇帝」は際立つ内容。

野島稔の芸術(キングインターナショナル)

上記の好評を受けてリリースされたソロリサイタルの未発表ライヴ録音。シューマンの交響的練習曲が圧巻。

佐藤晴真(チェロ)、久末航(ピアノ)/ メンデルスゾーン作品集(ドイツグラモフォン)

俊英チェリストのサードアルバム。音楽への誠実さが清々しい。まずきちんと再現することに徹した結果、澄んだ詩情や憂いが浮かび上がる。

ルドルフ・ゼルキン(ピアノ)/ ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第21番、第23番(ドイツグラモフォン)

「ザ・ロスト・テープス」なる新シリーズ。巨匠晩年の収録で編集が済む前に奏者が世を去った。行き届かない部分はかなり目につくが、随所から湧いてくる、壮者も裸足で逃げ出すエネルギー感と強靭な歌い込みには敬服する。

UHQCDxMQA-CD

ジェシー・ノーマン(ソプラノ)/ 未発表録音集(デッカ)

先述のシリーズのパイロット版風に登場したセット。オペラ、歌曲の両面で大歌手の表現領域の広さ、卓越したコントロール術を堪能できる。この種のセットにありがちな凹凸がなく、いずれも聴き応えある。共演指揮者ではやはりレヴァインとの相性が良好。

2023年10月11日(土)/ 坂入健司郎指揮、タクティカートオーケストラ

タクティカートオーケストラ×坂入健司郎 ブルックナー交響曲特別演奏会

~曲目~

アントン・ブルックナー(1824~1896):

モテット「Locus iste(この場所は神によって創られた)」WAB23

モテット「Os justi(正しい者の口は知恵を語り)」WAB30

以上 伊藤心指揮 Coro Oracion

-休憩-

交響曲第9番 WAB109(第1楽章~第3楽章コールス校訂版〔2012〕、第4楽章 石原勇太郎補筆版)

説得力ある補筆

ブルックナー交響曲第9番は、作曲者が第4楽章を完成できずに亡くなり、殆どの指揮者、オーケストラは第3楽章までの交響曲として演奏してきた。

他方、第4楽章は未完ながら例えばシューベルト交響曲第7(8)番(いわゆる未完成交響曲)の後半楽章よりは、遥かに多くの草稿、参考資料が現存する。

そのため1980年代後半以降、近年まで音楽学者による何点かの補筆完成の試みがなされ、実演や録音に至ったヴァージョンもある。ただ、これまでのものは30分に及ぶ長大なもので私は「試み」に敬意を払いつつも、どこか違和感を覚えた。

第6番以降のブルックナー交響曲を見ると、フィナーレは比較的シンプルな音楽にまとめている。

第8番にしても第3楽章のアダージョの重みから比すると、壮大ながら良くいえば洗練された、意地悪な言葉だと「俗物的によくできた音楽」(岩城宏之さんがベートーヴェンの第9交響曲のフィナーレをたとえた言葉。ブルックナー交響曲第8番はベートーヴェンの第9交響曲と連続性あり)。

となれば、第9番もブルックナーはもう少し簡潔に締め括るつもりだったのではと私は想像してきた。

今回の石原勇太郎による補筆完成版は過去のそれに比してずっと短く20分少々。しかも、響き自体もすっきりした質感で展開する。僭越ながら私の思いに応える音楽で聴いていて比較的すんなり耳になじんだ。締めをブルックナー交響曲第1番の終わり方に近くしたあたりはある種の遊びで好悪を分かつかもしれないが。

幕間のトークコーナーにおける補筆者自身の説明では、遺された資料の中からブルックナーが本当に使おうとしていたものを慎重に選び出したそうだ。また交響曲第4番の1888年稿(最初の出版に際して弟子たちが編んだいわゆる「改訂版」)に、ブルックナーが加えた修正などから晩年のブルックナーの音楽的方向性を読み取り、補筆作業の参考にしたという。

このスタンスに対する賛否はともかく「石原版」は結果として説得力のある内容に結実したと私は考える。

表現から感じた作品との向き合い方の世代間ギャップ

演奏の面では苦い後味だった。破綻はないものの、音自体が何とも軽薄で簡単に弾き流し、吹き飛ばした印象がつきまとう。

(私はブルックナーだからといって重厚で厳かなサウンドが必須とは思わない。例えばBISレーベルで進行中のトーマス・ダウスガードの録音は、見通しの良いサウンドが闊達に移動するブルックナーだが、決して薄っぺらい感触はなく強靭で芯のある音楽だと受け取り、繰り返し聴いている)

本公演から私が「軽さ」を感じた所以は、指揮者や楽団員の下意識と私の作品観の「溝」だと考える。

昭和生まれで1995年秋からクラシック音楽を聴き始めた私にとって、ブルックナー交響曲第9番は、コンサートもとより録音物でも無意識のうちに「構えて」聴く作品。

また録音で親しんだ演奏自体、マタチッチ、ヴァント(後にだった1度だが生を聴けた)、朝比奈隆、スクロヴァチェフスキ(複数回実演で接した)といずれも指揮者、オーケストラの一定の覚悟を感じさせるものばかりだった。

これらはあくまで個人的体験だが、一般的にもある時期まで洋の東西を問わず、ブルックナー交響曲はやる側、聴く側ともに「覚悟」しながら向き合ったと私は推測する。

しかし、本公演の指揮者、オーケストラの楽団員はいずれも平成生まれ。みんな技量は高く、スマートフォン古今東西の音楽と演奏を簡単に聴ける世代だ。

従ってもちろん真剣ではあれど「ブルックナー」だと構えず、数多ある名作交響曲のひとつとして取り組んだと思われる。

こうした演奏者側の下意識と聴き手の私の間にある作品観のギャップが、今回の彼らの演奏になじめない理由だろう。

これは誰が悪いとかではないので、私が彼らの演奏を聴かなければいいだけのこと。

※文中一部敬称略

【参考CD】

第77回読書週間(10月27日~11月9日)に読んだ本

読書週間については下記リンクを御覧下さい。

choku-tn.hatenablog.com

www.dokusyo.or.jp

2014年刊行

タイガース監督(第1次)辞任から6年後、その後就任したオリックス監督更迭の2年後のリリースなので両球団に関する筆致はかなり辛辣。

とりわけオリックスに関しては、もし彼が書いていることの半分でも本当なら当時の編成、スカウトは全く機能していなかった。

オリックスの長期低迷は必然だし、岡田氏がやればどうこうというレヴェルに達してすらいなかった、言葉を変えれば野村克也さんが監督した頃のタイガースみたいな状態だったと実感する。

しかし、「あとがき」には「タイガースとオリックス日本シリーズが私の望み」と記している。約10年後、それが実現し、自らが率いるタイガースが日本一。

岡田彰布氏の場合、地頭の良さ、その具体化の際に表れる特異な「引き出し」と「言語化回路」に加え、旧い流行語を使えば「もっている」ことが成功の理由だ。

2023年刊行

加山雄三氏こそ特別な星のもとに生まれたひと。

父が大スター上原謙、母方の高祖父は岩倉具視。子供の頃のお向かいさんは日本楽壇の恩人のひとり、大ピアニスト・指揮者のレオニード・クロイツァー(1885~1953)でピアノの音色に誘われて家の前をうろついていたら、何と邸内に入れてもらえたというエピソードまで。

戦後日本を代表する映画スターになり、同時並行の歌手稼業(一部のナンバーは自ら作曲)で数々のヒットを飛ばす。さらに趣味の世界でも絵画や陶芸は品評会で入賞、そして船でのもてなしから始めた料理まで玄人はだし。

現在は芸能界の一線を退いた加山氏が、作ってきた料理のレシピを軽妙なコメントと共に紹介する。グルメというより美味しいものをみんなでたくさん食べたいタイプのようで材料に時折高級な食材が出てくるほかは、さほど気取らない料理ばかり。

子供を想って作ったら大人にウケた辛くないホワイトカレー、生の玉ねぎがアクセントのステーキライス、あの周富徳さんが参考にしたというエビのオーロラソースなど前菜のサラダ系からデザートまで盛りだくさん。

凝り性の加山氏は、ゲストに配るメニューカードの原稿まで手作りした。印刷したメニューにはちょっと余白があり、食後に「おいしい」と言ったひとにだけサインしたそうだ。もちろんみんな分かっているためダイニングは「おいしい」の声で満ちた。

文庫初出1957年の超ロングセラーアイテム

家中の本が字の小さい頃の版だったので再購入。

列車消失、怪しい者の失踪、奇妙な募集・・・名探偵抜きでもドイルの短編における着想の妙とテンポのいい展開の巧さは冴え渡る。ホームズ物語と共通の「におい」が随所に漂うのも面白いところ。ラストの「五十年後」は一種のメロドラマだが、すんなり心に浸みる。

ドイルの認識ではホームズ物語は創作のごく一部。自身が本分と考えた歴史小説を筆頭にホラー系、海洋スリラー、ボクシング絡みの小説まで多彩な作品をものした。

また文筆の枠から冒険、政治、スピリチュアル的要素へと関心を拡げたあたりは、ちょっと石原愼太郎さんを想わせる。そういえば石原さんも短編で持ち味を発揮する作家だった。

2023年9月18日(月・祝)/ シュッツ・コレギウム・ニッポン「命をうたう」

www.instagram.com

気鋭の二刀流に誘われて

日頃あまり縁のない合唱の演奏会に足を運んだのは、ピアニストの松本陽さんからご案内頂いたから。

1998年生まれの松本さんは慶應義塾大学出身、子供の頃から舞台を踏み、十代以降数々のコンクールに入賞。以降多彩なフィールドで演奏活動を行い、コンサートやイベントの企画・制作にも取り組んだ。

加えて音楽家と予備校講師という異色の「二刀流」を続けている。

www.youtube.com

25歳を迎え、更なる進化のためソロピアニストとしての活動は現在充電中だが、様々な楽器や声楽との共演で、持ち前の反射神経の良さと二枚腰のタッチを生かした表現を響かせ、演奏オファーはひっきりなしの売れっ子だ。

そして今回の演奏会では何と合唱団の一員として歌声を披露。

「三刀流」(?)に踏み出すのかはともかく、新しい引き出しを開いてみせた。

武満、三善それぞれの面白さ

この合唱団は慶応義塾大学コレギウム・ムジクム出身者を中心に4年前に結成された。

正直、合唱のうまい、へたは分からないが、現代日本の作曲家による合唱作品の重要作の違い、妙味がはっきり伝わったことは間違いない。

最も感銘が深かったのはやはり武満の「うた」。本公演で私は初めて作曲年代順に聴き、作曲者の詩選び、言葉と音楽の関係性の変化など想うところがあった。

音楽として「よくできている」のは三善作品。かつて石原愼太郎さんは、三善晃を「代表作のない作曲家」と断じて東京文化会館の館長から下ろした。確かに門下生の多さのおかげで業界人から過大評価されている要素はあるひと。

ただ、今回聴けた「地球へのバラード」は持ち前の緻密なスコアリングに言葉への共感が結びついた佳品で後世に遺る音楽の1つだと思う。

ありそうでない機会をくださった合唱団と松本陽さんに心より御礼申し上げる。

※文中一部敬称略

【参考CD】