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山椒系ちょくの切り抜き帖

衣笠祥雄の記録を繋いだ阿南準郎監督【三原脩からの影響】

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[https://www.instagram.com/p/BiW24bvhMGW/:title=「67年秋、近鉄へのトレードを通告された広島の阿南準郎は、引退を決意した。30歳になり、そろそろ将来の生活設計を考えねばならなかった。《パのお荷物》と軽べつされているボロ球団へ移籍しても、明るい未来が開けるとは思えなかった。だが、監督が三原になると聞かされて、引退を思いとどまった。広島の一内野手の目から見ても、敵将三原は魅力的な野球をする人物だった。
阿南が引退を考えるのも当然と思えるほど、当時の近鉄はひどかった。50年の2リーグ分立時に誕生し、67年までの18シーズン中、13シーズンが最下位。Aクラスになったのは、《春の珍事》と騒がれた54年の8球団中4位が1度あるだけだった。三原が監督に就任、阿南が移籍入団する直前も、4年連続で最下位だった。
近鉄での三原は、別人のように選手にやさしかった。阿南は三原から《先輩》と呼ばれた。代打や守備固めで出るときは《先輩、行ってくれや》と声をかけられた。選手を扱う姿勢はクールだという印象を受けていたが、情に厚いのが意外だった。万年最下位チームの意識革命などと肩ひじ張らず、ナインの顔ぶれと性格を見て、それに応じた手を打つのに、阿南は強い感銘を受けた。《先輩》は信頼のあかし。任せるから若手を引っ張れということだと解釈した。阿南はのちに広島監督に就任するが、山本浩二衣笠祥雄との接し方で《先輩》方式を参考にした」(浜田昭八『監督たちの戦い[決定版]・上』〔日経ビジネス人文庫;2001年〕pp.357-pp.358〔「三原脩 荒野に栄光を求めて」〕より)
阿南準郎氏がいた頃の広島カープの苦しい状況は有名だがバファローズは輪をかけて弱かったようだ。恐らくカープの首脳陣は阿南氏を将来の幹部候補と考え、三原さんのもとで違った野球を勉強させたかったのだと推測する。同様の意図で古葉竹識氏をホークスに移籍させたし。1986年、カープ監督1年目の阿南氏は打撃不振の衣笠祥雄さんを起用し続け、「連続試合出場記録におもねっている」と批判を浴びた。阿南氏は「アベレージは問題ではない。ラインナップにいれば背中でナインを引っ張ってくれる。見えない効果がある」と意に介さなかった。この年カープは優勝、衣笠さんは記録が続いたまま引退している。衣笠さんの死後、追悼番組に出演した阿南氏は同じ見解を繰り返し、「優勝は衣笠と山本浩二がチームを引っ張ったおかげ」「2人が《任せて下さい》と背中を押してくれたから監督ができた」と述べた。#読書 #監督たちの戦い #衣笠祥雄 #山本浩二 #阿南準郎 #三原脩 #記録 #連続試合出場 #温情起用 #気配り #打撃不振 #2215試合 #2131試合 #広島カープ #近鉄バファローズ #弱小球団]
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