アフターアワーズ

山椒系ちょくの切り抜き帖

故人のネタでウソを書く舩越園子女史【ヒューバート・グリーン逝去】

切り返しの速い独特のスウィングで親しまれ、1977年全米オープンと1985年全米プロを制し、2007年に世界ゴルフ殿堂入りしたヒューバート・グリーンが6月19日に逝去。71歳だった。

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グリーンはレギュラー時代に度々来日し、ダンロップフェニックスやカシオワールドで優勝。青木功などとテレビマッチも行っている。またシニア時代は一時キャスコとクラブ契約していた。

ドライバーのヘッドの大型化、長尺化への対応に苦しみ、チャンピオンズではやや大人しかったが2002年のロングアイランドクラシックでヘイル・アーウィンとの7ホールに及ぶプレーオフの末、下りの長いバーディパットを沈めて優勝したシーンは印象深い。嬉しいことに当時時差中継のテレビで見られた。

ガンのため50代後半でキャリアが事実上終わったのは惜しい。治療後のげっそりと痩せた姿は正直ショックだった。結局60歳頃にツアー競技からは引退。昨年のアンオフィシャルマッチでやはり変則スウィングのアレン・ドイルと組んで優勝したのが最後の勇姿となった。

ときにジャーナリストの舩越園子女史がグリーンとの思い出を記しているがおかしな点がある。

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そんなグリーンの黄金時代を、当時まだ学生だった私は、実を言えば、まったく知らなかった。だが、グリーンが50歳になってシニアのチャンピオンズツアーに移り、さらに10年ほどが経過した1990年代終盤ごろ、60歳になったころのグリーンを私はシニアの大会でたびたび取材させてもらった。

 グリーンは1946年12月生まれでチャンピオンズツアー入りしたのは1997年。しかも先述したように60歳頃には殆ど試合に出なくなっている。「1990年代終盤ごろ」「60歳になったころ」のグリーンをシニアの大会で「たびたび取材させてもらった」という話は時系列、グリーンの状態の両方の観点からあり得ない話。一体いつ何歳のグリーンをどういう状況で取材したのだろうか。ここが不確かでは続く「いい話」の真偽も怪しい。

舩越女史はアメリカツアーについてたくさん記事を書いているが「エア取材」を疑わせるほど底の浅い内容で有名。今回もその一つだが故人を題材にしているのが悪質。そろそろメディアから放逐される時期だ。