ある時期まで「現場の経験に基づいた危機管理」「国益を踏まえた治安対策」のジャンルを語れるひとは佐々さんと森本敏・拓殖大学総長くらい。従って自らの功績を誇大に語る、何でも自身の関わった事件に引き付けて話す傾向はあった。ただ佐々さんの言説には現役時代からコツコツ記録したメモとその検証が背後に潜んでおり、また専門用語をこねくり回さずに話せたので単なる「正論」以上の説得力を放った。
警察庁や内閣官房で佐々さんの上司だった後藤田正晴・元副総理は、佐々さんの言論活動に時折渋い顔をしたが自身のオーラルヒストリーであさま山荘事件を語った際に佐々さんの「メモ魔ぶり」「メモに基づいて書くことの正確性」は認めていた。
この関係のことは佐々淳行君が『連合赤軍「あさま山荘」事件』で書いていますよ。あれはいろいろ厳しいことを書いているんですが、彼はいわゆるメモ魔なんです。毎日朝からのことを全部名刺の端に書いたり、紙切れに書いたりしてあるんです。そして夜一時間かけて、それを全部整理するんです。だから彼と論争すると負けるんです。そんなことありませんと言って全部見せられる。たいへん厳しい事件ですね。
佐々君の本は間違いありませんね。
現役時代、退官後を通じて派手に立ち回った割にスキャンダルめいた話はあまり聞かなかった。知性と矜持の漂う、最後の名官僚のひとり。
佐々淳行さんは10月10日に87歳で逝去。