アフターアワーズ

文化・社会トピック切抜き帖

響きの扉を開けた日【O.E.T@7/20"Opening"】

とうとうやってきた。2017年(平成29年)7月20日、渋谷区文化総合センター大和田さくらホール。オーケストラ・アンサンブル東京の結成記念公演。オール・ベートーヴェン・プログラム。当日は予定のプログラムに先立ち、オープニングに指揮者・楽団代表の水野蒼生の指揮で「プロメテウスの創造物」序曲が演奏された。

orchestra-ensemble.tokyo

twitter.com

私は15日から24日まで福岡県北九州市に滞在していたので残念ながら行けず、母を代打に立てた。

その報告によれば客席は8割がた埋まっており、ステージの転換に手間取るなど進行面のもたつきは見られたもののコンサート全体としては良かった。

演奏内容では両指揮者のやりたいことは伝わってきて三重協奏曲の大井駿の弾き振りに好印象受けた一方、後半の交響曲第3番は若干長く感じたと。大曲2本を捌くにはもう少し奏者のパワーとアンサンブルのシャープさが必要だとも。

ともあれ今回は演奏会をきちっと行い、一定の成功収めたのだから万々歳。アーティストの顔ぶれや演奏内容以前に、大和田小学校の跡地という渋谷近辺ではよく知られた場所にある、ほど良いの大きさのホールを選び、ごった煮にせずベートーヴェンの中期作品オンリーのプログラムにしたことが成功の理由。

もちろん課題は当然あるはずだし、あるほどいい。それを洗い出し、先に進めば、日本でよくある「第1回が最高であとは先細り」なんてことは起こらず、逆に御客様から見て「来るたびに新鮮で向上している」団体になる。

次に聴き手と一緒に扉を開ける日が楽しみ。

※文中敬称略

無能さとまやかしの結果【稲田朋美防衛大臣「日報」問題】

http://www.jiji.com/sp/article?k=2017072101049&g=pol
おそらく稲田防衛大臣は目の前で話し合われている事柄や了承を求められた内容が何を意味するのか理解しないまま、裁可したのだろう。
なので後から聞かれても「ああ、もしかしてあれがそうだったのかしら」程度の認識しかないのだ。

就任以来、稲田氏のバカさ加減は目に余る。
本来安倍首相の真珠湾訪問直後に行った靖国神社参拝の時点でクビにするのが妥当だった。あれはせっかくの日米新時代を印象付けた安倍首相とオバマ大統領(当時)の努力に水を差し、自らの心情(信条)からではなく応援団にいい顔をするためだけに靖国神社を政治利用した卑怯で浅はかな行動で許しがたい行動。

しかし安倍首相はまるで弱みでも握られているかのように稲田氏をかばい続け、結果内閣が傾きかけ、防衛省自衛隊への信頼も揺らいでいる。安倍首相の責任は重大。絶対に辞めさせないとダメ。

またこの機会にまやかしのPKO五原則なるものも考え直す必要がある。本気で国際貢献するなら危険なところにも赴き、血を流す覚悟を自衛隊にも国民にも持ってもらうのが当たり前。そもそも不安定な要素が残っている場所だから国際社会の関与、部隊の派遣が求められるのだから。
占領下で作られた日本国憲法は日本が国連の枠組みで国際貢献して自国の部隊を派遣するなんて想定していない。そんな憲法の整合性をつけるためにまやかしの五原則付きで派遣してきたことが、今回のように五原則との矛盾を突かれる恐れのある事案は実質隠蔽するという行動に繋がった。
次にPKOへの部隊派遣を行う前にまやかしの五原則は撤廃し、国益に根差した派遣ルールと徹底した情報公開の枠組みを作り、一方で国民や自衛隊の覚悟を醸成しなければ同じ過ちを繰り返す。

鍵の開いた扉からどうぞ中へ【O.E.T@7/20"opening"】

本ブログで何度か取り上げてきたオーケストラ・アンサンブル東京(O.E.T)の結成記念公演がいよいよ明日7月20日に迫った。
https://twitter.com/o_e_tokyo/status/887099634367176705

40人編成のオーケストラが最適なサイズのホールで繰り広げるクラシック音楽不動のセンターのベートーヴェン。これだけでも聴く価値十分。日本には自らが展開するパフォーマンスに適したホールを選べていないアーティストがやまといるから。

楽団代表の水野蒼生はクラシック音楽の受容が拡がらないことへの強い危機感、音楽から社会、文化の歪みを斬る意思からO.E.T結成に向かった。彼の音楽観、文化観、ものごとを見る視点が明らかになっているインタビューと対話はこちら。
http://hoppingnaranja.hatenablog.com/entry/2017/06/25/%E3%80%90%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%93%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%80%91%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%B7%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%92%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%81%E3%83%A3
http://nebulaph.com/dialog/classicalmusic/

日本は学生ならJ-POPのライヴの半額程度で一流指揮者の振る、一流ソリストの出るオーケストラ公演が聴けるのに若い聴衆の腰は重く、会場にいる若者は音大生ばかり。つまりアウトサイダーの若者は取れていない。そうした絶望的内輪感に風穴を開け、一般の音楽好きの選択肢にクラシック音楽を入れてもらうための第一歩になりうるのが今回のO.E.Tの公演。ひとりでも多くの方に彼らの開ける扉の向こうのクラシック音楽の自由で厚みのある世界に足を踏み込んでほしい。

若い哲学者+若い音楽家の対話【O.E.Tの先にあるもの】

哲学者の田代伶奈、ピアニストの三好駿、そして指揮者・O.E.T代表の水野蒼生の鼎談。
http://nebulaph.com/dialog/classicalmusic/
若い音楽家2人がいまクラシック音楽をフレッシュな形で世に問う背景を中心にしながら、それぞれが想う古典を学ぶ意義、古典と現代、残るもの消えるものなどについて語り合う。

抽象論でもわもわ拡がりがちな内容を具体性のある、分かりやすい言葉で語れる3人の若者。実に頼もしい。
水野蒼生が代表を務めるO.E.T
https://orchestra-ensemble.tokyo
7月20日の結成公演"opening"チケットはこちら。
http://pinoko.eplus.jp/eplus/eplus.jp/m/msys/main.jsp;sjid=7FDE2432FB166688E6088A3CE1F2BDF0.B2C01_001;jsessionid=D1CB27CA7E9C51229AA8FAC5BB0FC469.m368?uji.id=main&uji.bean=G.apl.web.bean.JOAG010701Bean&uji.verb=GGMC01_ticket&selectRadioIndex=0&uketsukeInfoKubun=001&siteCode=0175&ZScreenId=GGMC01&showSubListIndex=1&C=2&uid=NULLGWDOCOMO
※文中敬称略

強すぎて嫌いだった千代の富士

7月17日、横綱白鵬は大相撲名古屋場所9日目に通算1045勝目を挙げ、第58代横綱千代の富士に通算勝利数で並んだ。

白鵬千代の富士を敬愛し、2015年に千代の富士が行った還暦土俵入りでは太刀持ちを務めた(露払い日馬富士)。この時「九重親方(当時)は人望がないため誰にも太刀持ち、露払いを引き受けてもらえず、やむなくモンゴルの現役横綱2人に頼んだ」なんて陰口も聞かれたが結果としては堂々たる土俵入りだった。
https://youtu.be/gNXySp2hgUw
https://sportiva.shueisha.co.jp/smart/clm/othersports/other/2015/06/27/post_505/index_3.php
まさか白鵬千代の富士がその後1年あまりで急逝するとは思わなかったろう。逝去の報から暫くして心のこもった追悼文を寄せた。
https://ameblo.jp/hakuho-69/entry-12186691829.html

ときに私は現役時代の千代の富士のことは強すぎて嫌いだった。洗練された綺麗な土俵入り、勝負の速さ、切れ味鋭い寄り、縦に容赦なく叩き付ける投げ…全てが憎たらしく、たまに旭富士大乃国千代の富士に勝つと気分爽快。
逆に引退してからは母と同い年であることや解説の分かりやすい語り口によって親しみがわいた。従って逝去の報に耳を疑ったし、未だに信じられない気持ちでいる。

一方、白鵬に対しては殆ど何の感情もわかない。「ああ、良くやっているねえ」程度。色々言うひとの意見に接しても「まあ、別にいいんじゃない」としか感じない。

「強すぎる。嫌だー」という強烈な気持ちを私に抱かせた千代の富士はやはり大横綱、印象度ナンバーワン力士。それは不動。
※文中敬称略

あの人は今【全英オープンに寄せて】

7月20日-23日に全英オープンゴルフ選手権がイングランドのロイヤル・バークデールゴルフクラブで行われる。
この大会では幾多の名勝負が繰り広げられたが不思議なことに過去の40年で優勝したり、活躍を見せた選手のなかにその後フェイドアウトしてしまったひとが結構いる。

ビル・ロジャース(1951-;1981年優勝)
端正な容姿と美しいスウィングでピンクパンサーと呼ばれて人気を集めたロジャース。日本のトーナメントでも優勝し、ゴルフファンの注目を集めた。1981年の全米オープン2位、そして同年の全英オープン(ロイヤルセントジョージス)で圧倒的な強さを発揮して優勝。トップ選手の座を不動にしたと思われた。
しかし2年後の1983年に1勝して以降、いわゆる燃え付き症候群に陥り、表舞台から姿を消した。テキサスのゴルフクラブのディレクターに転身。その後はコース設計家として活動。シニア入りしてからレジェンズ・オブ・ゴルフ(アンオフィシャル部門)でブルース・リッキーと組んで優勝した。

ボビー・クランペット(1960-)
マチュア時代数々のタイトルを獲得し、鳴り物入りでプロ転向。爽やかな雰囲気のクランペットはすぐ人気者に。1982年全米オープン3位、そして同年の全英オープン、予選ラウンドでロケットスタート。ところが第3ラウンドの後半大失速、何とか第4ラウンドの最終組スタートに踏み止まったが、結局崩れて10位。結局以降はパッとせず、レギュラーツアー通算わずか1勝に終わった。過去の人気を武器に解説者として活動。2000年の全米オープンで地区予選から本選出場、予選も通過して人々を驚かせた。シニアになってからチャンピオンズでツアー復帰を果たしている。

イアン・ベーカー・フィンチ(1960-;1991年優勝)
理想のスウィングの持ち主と言われ、洗練されたショットで全英オープンを制した。が、スウィング改造に失敗、イップスに陥り、ゴルフが崩壊。4年後の1995年のセントアンドリュースでは18ホールの左のOBにティショットを打ち込み、同組のアーノルド・パーマーに慰められた。これを機に事実上引退し、解説者に転身。落ち着いた口調で人気を集めている。

ブライアン・ワッツ(1966-)
日本ツアーで活躍して、1998年の全英オープンに登場。堂々のプレーで優勝に手を掛けたが、プレーオフの末、オメーラに敗れた。その後アメリカを主戦場にするもパッとせず、数年後に背中や膝の故障で姿を消した。いまどうしているのだろう。

ジャン・バン・デ・ベルデ(1966-;1999年「カーヌスティの悲劇」)、デビッド・デュバル(1971-;2001年優勝)はあまりに有名なのであえて省略。

よくオーガスタは魔物が棲むコースだという。確かに挑戦者に牙を剥くコースだ。一方でコースに認められ、マスターズチャンピオンとなった選手のゴルフ人生はおしなべて充実している。
逆に全英オープンは勝ってから、活躍してからに魔物が棲むのかも。

極私的未知との遭遇【神社のお祭りと御巡幸にコミット】

15日から24日まで祖父が宮司を務める神社のお祭りと御巡幸に奉仕するため、福岡県北九州市に滞在する。

私は完全に生まれも育ちも東京・神奈川の人間。今までここは遊びに来るところだった。
今回初めて神職の端くれとしてやってきた。

10日間、どんなことに出会うのだろう。
一応いまは楽しみにしている。