アフターアワーズ

文化・社会トピック切抜き帖

「Mr.ロータリーエンジン」の光と影【山本健一氏逝去】

東洋工業(現、マツダ)のエンジニアとしてロータリーエンジンの実用化に尽力、後にマツダの社長や会長も務めた山本健一氏が12月20日に老衰で逝去した。95歳だった。
困難とされたロータリーエンジンの実用化の成功に貢献し、マツダに特徴ある自動車メーカーとしての顔を与えたことは文句なく山本氏の功績。オイルショック後の「フェニックス計画」の陣頭指揮もとり、社長時代の1991年にはロータリーエンジン搭載のマツダ787Bル・マン24時間自動車レースの総合優勝。エンジニア、そして経営者として山本氏は人生の頂点を迎えた。だが当時、既にマツダの足下は崩壊寸前だった。
「飽くなき挑戦」が座右の銘の山本氏は経営者となってから積極的な生産、販売拡大策をとった。バブル崩壊でこれは完全に裏目に出て、マツダは業務提携先のフォードグループの傘下に入って再建する事態に陥った。もっとも山本氏がアメリカ工場建設などの事業でフォードとの信頼関係を深めていたことがスムーズな再生、ロータリーエンジン開発継続に繋がったのは事実。
生前の山本氏はロータリーエンジン開発に関しては雄弁に語ったが社長、会長時代になると口が重かった。名エンジニアが経営者に就いたときの難しさ、その苦悩や葛藤をもっと伺いたかったし、山本氏の功罪が冷静に分析されても良かったと思う。R.I.P.