アフターアワーズ

山椒系ちょくの切り抜き帖

中曾根-故耀邦最後の会談【外交文書公開より】

2017年12月20日に外務省が公開した外交文書ファイルのうち、最も興味をひかれたのは1986年11月、中曾根康弘首相が訪中、失脚2ヶ月前の故耀邦総書記と行った日中首脳会談の記録。
http://www.sankei.com/smp/politics/news/171220/plt1712200040-s1.html
私は子供の頃、故耀邦氏の身に起きたことで初めて「失脚」という言葉を聞き、その響きに周囲の大人に意味を尋ねられなかったほどの恐怖を覚えた。今なお「失脚」と聞くとドキッとする。なので今回の外交文書公開で最後の会談の中身を読み、感慨深いものがあった。雄弁能筆過剰の中曾根氏の著作以外の視点から1980年代の外交を検証可能になったのは喜ばしい。
故耀邦氏は戦後日本の歩みを踏まえて真の改革解放、経済成長には政治改革が必要と考え、そのために日本を重視し、中曾根氏と肝胆相照らす関係を築いた。一方、最高実力者の鄧小平氏にとって改革解放とは文化大革命で傷付いた中国共産党の正統性を回復し、政権の永続を確かにするための事業にほかならず、政治改革など眼中にない。従ってかつて自ら「後継者」と中曾根氏に紹介した故耀邦氏は次第に鄧小平氏にとって危険な人物となった。
1986年11月の中曾根氏との会談で鄧小平氏は政治改革や引退を事実上否定。そして1987年1月、故耀邦氏は失脚、2年後に急逝した。
中曾根、故耀邦の両氏は会談の後、書を交換した。たっぷりの墨で豪快、自己顕示欲満々の中曾根氏に対し、故耀邦氏の書は繊細で品のあるタッチだった。中国共産党の最高指導者としては故耀邦氏はまともすぎたのかもしれない。
2012年、中曾根氏は訪中し、その際に故耀邦氏の墓参を希望した。だが先方は慇懃に断り、代わりに故耀邦氏の家族を中曾根氏に引き合わせた。2010年頃、温家宝氏が人民日報のエッセイで故耀邦氏に触れたことはあるものの、まだ名誉回復は図られておらず、外国の元要人を墓に案内するのは難しいのだろう。
仮にチャイナの元要人が訪日した際に田中角栄氏の墓参を希望したなら、田中家の理解が得られれば何の問題もなく可能なはずだし、政府与党が口出すことはあり得ない。
「日本はありがたい国でね。私は没落もしないで、のうのうとしてやってきた。しかし、中国においては胡耀邦が、韓国では全斗煥が、政局の波に揉まれて、憂き身をやつさなきゃならんという立場になっていった。そういう面で、中韓の政治というのは安定性が日本と格段に違う。日本は、皇室を抱き2000年の長い歴史と伝統があるから、政治と社会の枢軸は固まっている。しかし、中国や韓国は易姓革命とか植民地とか、様々な経験を経ているから、日本のようにはいかないのだろう。中国、韓国の場合、権力闘争が生死と直結しているというところがありますね。そこにやはり、国情の相違があるわけです」
中曽根康弘が語る戦後日本外交』(中島琢磨ほか〔聞き手〕、新潮社;2012年)pp.379
中曾根氏の回想は至言。