27日放送のNHK-Eテレ「ねほりんぱほりん」のテーマ は「養子」。養子として育ったひとの葛藤の人生が語られた。しかし正直あまり面白くなかった。
2015年2月、安倍首相の実弟で生まれてすぐ母方の実家岸家の養子となった岸信夫・元外務副大臣が祖父と自身の半生を語るインタビューに応じた。こちらの方が数段面白い。
http://www.sankei.com/smp/premium/news/150215/prm1502150015-s.html
なお安倍首相、岸信夫両氏の祖父である岸信介・元首相は佐藤家に生まれ、岸家の養子となった。また岸信介氏の実弟の佐藤栄作・元首相も佐藤本家から婿養子に迎えられた。
現在、安倍首相夫妻には子女がいない。一方で岸信夫夫妻は男子を2人もうけている。この家が繰り広げてきた「華麗なる養子」はまだまだ続くと思われる。
「Mr.ロータリーエンジン」の光と影【山本健一氏逝去】
東洋工業(現、マツダ)のエンジニアとしてロータリーエンジンの実用化に尽力、後にマツダの社長や会長も務めた山本健一氏が12月20日に老衰で逝去した。95歳だった。
困難とされたロータリーエンジンの実用化の成功に貢献し、マツダに特徴ある自動車メーカーとしての顔を与えたことは文句なく山本氏の功績。オイルショック後の「フェニックス計画」の陣頭指揮もとり、社長時代の1991年にはロータリーエンジン搭載のマツダ787Bがル・マン24時間自動車レースの総合優勝。エンジニア、そして経営者として山本氏は人生の頂点を迎えた。だが当時、既にマツダの足下は崩壊寸前だった。
「飽くなき挑戦」が座右の銘の山本氏は経営者となってから積極的な生産、販売拡大策をとった。バブル崩壊でこれは完全に裏目に出て、マツダは業務提携先のフォードグループの傘下に入って再建する事態に陥った。もっとも山本氏がアメリカ工場建設などの事業でフォードとの信頼関係を深めていたことがスムーズな再生、ロータリーエンジン開発継続に繋がったのは事実。
生前の山本氏はロータリーエンジン開発に関しては雄弁に語ったが社長、会長時代になると口が重かった。名エンジニアが経営者に就いたときの難しさ、その苦悩や葛藤をもっと伺いたかったし、山本氏の功罪が冷静に分析されても良かったと思う。R.I.P.
日本が常に良い関係を保つ必要のある6カ国
アメリカ、チャイナ、UK、ロシア、フランス、ドイツ。
日本は上記6カ国と常に密接な関係を保つことが求められる。逆に言えばこの6カ国との関係が良好なら他の国との関係はおのずからうまくいく。世界の殆どの国は歴史上この6カ国の支配下におかれた経験を持ち、独立後も旧宗主国の影響が残っているケースが多いから。
以下個々の国について日本にとっての重要性をまとめる。
①アメリカ…日本の唯一の同盟国、比較的近い国のうち価値観をある程度共有する唯一の国。また苛烈な戦争を経て、現在は大切なパートナーというあり方は世界のお手本。
②チャイナ…地域の大国でアジア、アフリカに多大な影響力を有する。またアメリカとチャイナは結構へその緒で繋がっている。在北京の大使館にはアメリカ通を、在ワシントンの大使館にはチャイナ通を置く情報収集は不可欠。
③UK…日本同様王室を頂く島国。またかつて7つの海を支配し、今なお世界に独自の情報網を張っている。安全保障関係を一層深める方向なのは喜ばしい。
④ロシア…北方領土問題という骨が刺さっているがエネルギーから文化まで幅広い交流の可能性が拡がっている。肥沃なのに未開の大地を拓くため、懸案の打開が望まれる。
⑤ドイツ…大陸ヨーロッパの盟主。蓄電、自動運転、生産性向上などの分野の技術革新で世界の中心に座ろうと着々と手を打っており、動静に注目する必要がある。チャイナとの蜜月も見逃せない。
⑥フランス…アジア、アフリカにパイプを持ち自主外交の展開力に定評。観光や文化交流でお互い親しみを持つひとがそこそこいる。
韓国とか余計な国に目配せするより6カ国との関係のメンテナンスに力を入れる方が国益にかなう。一見当たり前の話だが分かっていない連中が意外にいるのであえて取り上げた。
※追記あり※遅すぎた特別招待【エルス24回目のマスターズ】
2012年マスターズに石川遼が特別招待されたとき、一部の選手から「エルスこそふさわしかったのではないか」と声があがった。
18年連続出場中だったエルスはこの年のマスターズ出場を逃した。確かに実績、ゴルフ界への貢献、そして殿堂入りの翌年という要素を考えればエルスこそ特別招待に値する選手と言えた。なおエルスは2012年の全英オープンに優勝、翌年から5年間(2017年まで)のマスターズ出場権を自らの力で獲得している。
あれから5年を経て、2018年マスターズにエルスが特別招待されることが明らかとなった。エルスにとって嬉しいクリスマスプレゼントだろう。近年、ジュニア育成や慈善事業に注力するエルスだがシニア入りをもう一花、ぜひ咲かせてほしい。
http://www.afpbb.com/articles/-/3156710?act=all
※日本時間27日に「エルス特別招待」は誤報だったと判明。エルスに対する気持ちは変わらないので記事は削除せず、このまま掲載する。
平成29年新春の富岡八幡宮の社報
「宮司代務者」富岡長子は当時、どんな心境でこれを書いたのだろうか。
4ヶ月後、富岡八幡宮は神社本庁包括下を離れ、富岡長子は「宮司」と名乗った。そして正月を控えたいま、この世のひとではなくなった。
神社神道の側から言えば離脱していたおかげで横溝正史もビックリの事件に巻き込まれずに済み、ある意味良かった。一方で氏子崇敬者のことを思うと胸が痛む。嗣子が宮司として不適格と見なされた後、1度退いた先代が復帰、そして娘・長子を宮司代務者にした。こうした「たらい回し」から本来共同体の保全のためにある神社の持つ「公共性」が揺らぎ、かくも凄惨な結果に至った気がする。やはり神様は見ておられるのだ。
※敬称略。富岡八幡宮は現在、包括下の時から権宮司の地位にあった人物を宮司代務者としている。
【年末にしのぶ】スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ(1923-2017)
青春の一部だった指揮者・作曲家
今から20年ほど前、NHK教育「N響アワー」で「長い名前の指揮者だなあ」と思いな
「スコアにX線をかける」-インタビューで語られたこの言葉が指揮者スクロヴァチェフ
きれいに階層化された奥行きの深い響きが軸の麗々しいブルックナー。連綿たる歌い込み
X線をかけた結果、設計図通りだとうまく建築できないと見るとほんの少し、だが結構大
またショパンのピアノ協奏曲の管弦楽パートには一家言持ち、アーティキュレーションなどを改変。彼の指揮でショパンの協奏曲聴く時はピアノより管弦楽パートが楽しみなくらいだった。
スクロヴァチェフスキの訃報を耳にした時、ショックや悲しさはあまりなかったが「これで私の青春は完全に終わったな」という何とも言えない喪失感が心を覆った。音楽好きなら「私の青春だった」と言える音楽家がひとりはいるはず。私にとってスクロヴァチェフスキは青春の1ページだった。10代後半から20代にかけてスクロヴァチェフスキの音楽を聴けて、幸せだった。楽しかった。素晴らしい時間を下さり本当に感謝しますと天国のミスターSに申し上げたい。
My Favorite Things Special【Christmas Album5選】
カラヤンから3大テノールまで
①ユージン・オーマンディ指揮、フィラデルフィア管弦楽団/THE GLORIOUS SOUND of CHRISTMAS(ソニークラシカル)
きよしこの夜~グローリアス・サウンド・オブ・クリスマス
LP時代、アメリカにおけるベストセラーアルバム。バーンスタインの同種のアルバムを売上で
②サー・ネヴィル・マリナー指揮、アカデミー・オブ・セントマーティン・イン・ザ・フィールズ/
Christmas with the Academy
サー・エドワード・ヒース元英国首相は年に一度地元へ帰ってクリスマスキャロルを指揮しながら歌う時が
本アルバムはそんな英国でおなじみのクリスマスキャロルを中心に大作曲家の作品
③ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団/
Berliner Philharmoniker-The Christmas Album Vol.2
カラヤンのクリスマスアルバムといえばレオンタイン・プライスと共演したもの(デッカ)がロ
④3大テノール、ウィーン国立歌劇場少年合唱団、スティーヴン・マーキュリオ指揮、ウィ
3大テノールのクリスマス~クリスマス・イン・ウィーン1999~[Blu-specCD2+DVD]
1999年12月23日ライヴ収録。ゴージャスな雰囲気の音楽でクリスマスを過ごしたいなら無敵の1枚。カレーラス、ドミン
「ハッピー・クリスマス/
⑤ゲリー・カー〔コントラバス〕、ハーモン・ルイス〔オルガン〕/聖しこの夜(キングレコード)
ラストは低音楽器が渋く歌うクリスマスナンバー。サンタクロース姿のおじさんによる絵本の読み聞かせの雰囲気。部屋が暖かくなる1枚。
それでは皆様、良いクリスマスを。