アフターアワーズ

文化・社会トピック切抜き帖

サヴァリッシュの武道館公演⁉【バブルならではの企画】

今日、YouTubeでビックリ映像を発見。
youtu.beサヴァリッシュ指揮、ウィーン交響楽団モーツァルト交響曲K.551。引き締まった運びのなかに細かい揺れの入る好演だが暫く経つと驚倒。何と舞台上でバレエが始まるのだ。しかも会場は日本武道館!1991年9月の公演らしい。この年はモーツァルト没後200年。日本はバブル絶頂期で一大モーツァルトブームが巻き起こり、ブッ飛んだ企画がたくさん行われた事実は知っていたがサヴァリッシュまで駆り出したとは。面白いのはかつての手兵を操るサヴァリッシュが結構ノリノリなこと。明らかにN響との共演姿より愉しそう。
コンサートの前半はモーツァルトのピアノ協奏曲K.491。中村紘子がソロ。K.491は最晩年まで取り上げた彼女の愛奏曲。
この武道館公演では彼女のみ舞台上、サヴァリッシュはピットから指揮。さぞやりづらかったろう。
youtu.beいま日経平均バブル崩壊後の最高値と報じられている。2020年のベートーヴェン生誕250年にこういう出し物の質は高いがどこか変な催しを企てるひと、誰かいませんか?

モルモン教のトップ逝去

2008年から末日聖徒キリスト教会(モルモン教)の第16代プレジデント(大管長)を務めていたトーマス・S・モンソン氏が2日に逝去。90歳だった。
私はもちろんモルモン教徒ではないし、周りに教徒もいないが2つの理由によりちょっと関心はある。
1つ目は往年の名プロゴルファーのジョニー・ミラー(1947-)が教徒であるため。彼は1973年全米オープンで最終日63を出して優勝、ミラクルミラーと呼ばれ、絶大な人気を誇った。しかし1976年全英オープンに優勝して以降はメジャーに縁はなく、少しずつ出場試合数は減っていった。
その背景として取りざたされたのがゴルファーにとって最も重要な日曜日がモルモン教安息日である点。もちろんパッティングの不調も一因だったが、ミラー自身後年、安息日とゴルフの関係で悩んだことは半ば認めている。事実1980年代後半以降、彼はゴルフ解説者に転身したがあまり解説の試合数の多くないNBCと契約している。 なおミラーの息子のひとりはモルモン教の伝導師になった。
2つ目は超長寿音楽宗教番組「Music and the Spoken Word」の存在。アメリカ最古の合唱団と言われるモルモン・タバナクル合唱団が出演して、毎週日曜日の朝9時30分から公開生放送されるこの番組はラジオで約90年、テレビも約70年の歴史を誇る。収録会場はソルトレイクシティのテンプルスクエア。原則観覧は無料でクリスマスに大物ゲストを呼ぶスペシャル(3万人収容の公会堂で収録)のみ20ドル程度の観覧料が必要。
モルモン・タバナクル合唱団は世界トップレベルの技量を誇るアマチュア合唱団。何度もアメリカ大統領就任式に招かれているほか多数の録音を行っている。かつてはオーマンディバーンスタインとも共演した。
番組の様子はYouTubeの合唱団公式チャンネルで見られる。リアルタイムの生中継も行っている。
視聴すれば分かる通り、決して宗教曲ばかりではなく、ミュージカルなど多彩なジャンルを取り上げる「癒し系」。両会場とも世界最大級のパイプオルガンが設置されているのでオルガンとの絡みが多い。途中でアナウンサーの「今日のためになる話」が入るのが宗教性を感じさせるところ。
クラシック音楽や合唱好きの方は結構楽しめる番組なので一度御覧になってはいかがだろうか。宗教のメディア活用という観点からも面白いと思う。
http://www.musicandthespokenword.com/index.shtml
https://www.mormontabernaclechoir.org
https://www.youtube.com/user/MormonTabChoir

癒される1980年代のF1動画

1987年日本グランプリをきっかけに約30年間、F1世界選手権をテレビ観戦した。今は興味が薄らぎ、結果をチェックする程度になったが、1988年から1993年までの6シーズン、私はF1にドップリはまっていた。
ここ数年の癒しの時間はYouTubeでその時期F1の動画を見ること。よくクラシック音楽で癒される方がいらっしゃるが私の場合、どうしても余計な思考が発動してしまうので難しい。その点、F1の動画は身も心も解放され、疲れがとれる。ベッド視聴だと大概寝ちゃって気付いたら表彰式だったりする。
また私がF1を見始める少し前の時期、1981年から1986年の動画を見るのも楽しい。ラウダ、アンドレッティ、ジョン・ワトソン、ロズベルクなど1970年代のF1がまだ血なまぐさかった時代の名手が登場する一方、次第にピケ、プロスト、マンセル、セナの時代に移ってゆく。またF1自体も喜怒哀楽の入り交じる様々な出来事やテクノロジーの進化により、ある意味近代化した。この時代、1984年のロサンゼルスオリンピックが象徴するようにスポーツ界全体が大きく変容し、当事者同士の手作り的雰囲気からシステム化したスポーツビジネスの様相が強まっていく。F1も例外ではなかった。1981年から1986年の動画には蛮勇の残り香と新しい時代の胎動が交錯する面白さが潜んでいる。

謹賀新年【究極のニューイヤーコンサート】

あけましておめでとうございます。
2017年6月末から初めて半年余り、昨年中お読み下さった全ての皆様に感謝します。本年も御高覧頂ければ幸いです。

1月1日といえばウィーン・フィルハーモニー管弦楽団恒例のニューイヤーコンサート。幾多の名指揮者が登板し、ライヴCD・DVDも発売されている。その中で一点選ぶなら1987年のヘルベルト・フォン・カラヤンソリストとして当時人気絶頂のキャスリーン・バトルが花を添えた。男性合唱団以外のゲストが出演したのは空前絶後
これぞウィンナワルツ、これぞニューイヤーコンサート。柔らかくエレガント、どこかはかない透明感。被せ物の味付けではなく音楽が自ら動き出し、リズムを刻む。ウィンナワルツが日々の音楽としてあった時代を生き、愛着持っていた指揮者ならではの音楽。
カラヤンの最初で最後の登場とライヴCDの反響から「ニューイヤーコンサート」は世界ブランドとなり毎年ライヴCDが発売される流れができた。でもカラヤン級の余韻は誰も産み出せない。強いて挙げればカルロス・クライバージョルジュ・プレートルインパクトあった。
http://tower.jp/item/2171381/New-Year's-Concert-1987----Herbert-Von-Karajan(cond),-Vienna-Philharmonic-Orchestra,-Kathleen-Battle(S)
http://tower.jp/item/1590103
http://tower.jp/item/2656416/New-Year's-Concert-2010---Georges-Pretre,-Vienna-Philharmonic-Orchestra

戦場と動物にひそむhumanityを紡ぐ【マイケル・モーパーゴ叙勲】

最も敬愛する児童文学作家、マイケル・モーパーゴに2017年末の叙勲でナイトの称号が贈られた。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171230-42521024-bbc-int
彼は主に第1次大戦の時代を舞台に戦争の周辺で生きる人々や動物に纏わる物語を作ってきた。『戦火の馬』など映画化された作品もある。
特にお気に入りなのはクリスマスストーリー『世界で一番の贈り物』。戦争は人間同士が良心や思いやりを捨てて、互いの祖国のために相手の殲滅を目指すという残酷なもの。しかしあのストーリーはそうした状況下であってもやはり人間には一滴の良心や思いやりがあるのではないか、もしくはそう信じることはできないかと思わせる。
モーパーゴの小説はとても抑制された透明感ある筆致で戦争が市井のひとたちの人生に及ぼす運命の苛烈さを浮かび上がらせる。メッセージが剥き出しでないため普遍性があり、長く心に残るのだ。
では皆様、良いお年を。

池上彰のつまらなさ【本質と解決策の不在】

日頃、民放地上波は殆ど見ないがいま神社実習のために福岡県北九州市に滞在中で宮司を務める祖父の家に身を寄せており、宮司の見たがる民放地上波に付き合っている。
28日はテレビ朝日系の「池上彰のニュースそうだったのか!!」を見た。
http://www.tv-asahi.co.jp/ikegami-news/sphone/backnumber/?f=0066
全くつまらない番組。だらだらと「こういうニュースでした」「こういうことでした」と話すだけで物事の本質や解決策の提示は全く無し。あとは政党の名前当てなどの下らない企画が絡む。
例えば大磯町の「まずい給食」問題を取り上げたが私がblogで触れた現代における給食の目的、「まずい給食」の態様が留置施設のものに酷似している、つまり業者が共通の疑いがある点を指摘しなかった。
http://choku-tn.hatenablog.com/entry/2017/09/17/143858
PKO日報問題」に関してもPKO5原則がまやかしでそれが問題に繋がったのになぜか言わない。
http://choku-tn.hatenablog.com/entry/2017/07/22/214424
こんな本質や解決策が示されない単なる事実の羅列を見て何が面白いのかと思う。
私の中でテレビニュースショーの最低基準はBSフジ「プライムニュース」。反町解説委員の司会は好悪の分かれるところだが当事者の話をきちんと聞けるので、視聴者は考えながら見られる。