ストーリーと音楽を巡って
以前に取り上げた田代伶奈、水野蒼生、三好駿(順不同・敬称略)の鼎談にこんなやり取りがある。
-引用開始-
水野 ヒットする人は「ストーリー」を持つアーティスト。みんな物語を持っているけど、例えばベートーヴェンが聴覚障害を患っていたこと、それでもなお第九を作曲したことなど壮大なエピソードが大事。実力よりも、マーケティングがうまい人が生き残る。ズラームスは下手だった(笑)。
伶奈 だけど、それは現に「ベートーヴェンの曲がいい」からその「ストーリー」が生きるのであって、ひどい曲だったら「哀れな人生でしたね」ってスルーされるだけだよね?
水野 じゃあ「音楽のクオリティ」と「人々が語り継ぎたくなるエピソード」の両立が大事なのかな。
三好 よく東京でコンサートに行くんだけど、とても素敵なコンサートがガラガラだったり、「これ?」って思う演奏が注目されてて驚く。たしかにマーケティングは非常に大事なんだけど、最終的に「お涙ちょうだいストーリー」に行き着いてしまうことが多々ある。だから「音楽自体のクオリティ」についてもう少し考えないと。
-引用終わり-
読んでいて2015年と2017年NHK-BSプレミアムで計2度取り上げられた近衞秀麿(1898-1973)のことが浮かんだ。
音楽家としての評価はいずこ
指揮者・作曲家の近衞秀麿は私がクラシックを聴き始めた22年前、名前が事典にあるだけで殆ど忘れられていた。その後読売日本交響楽団とのセッション録音の再発、日本フィルを振った貴重な映像のDVD化、大野芳の評伝の出版が数年おきにあったが基本的な状況に変化はなかった。
ところが2015年8月、NHK-BSプレミアムで「戦火のマエストロ・近衞秀麿」が放送、菅野冬樹の同名の元ネタ本が出版されると状況は一変。
前記読売日本交響楽団との音源のリマスタリング再発、札幌交響楽団やNHK交響楽団との初出ライヴ録音の発掘、さらに近衞管弦楽団とのソノシートの復刻まで登場。
2017年7月には続編として玉木宏が近衞の戦時中の足跡を辿る紀行番組が放送された。
言うまでもなく近衞秀麿は日本のクラシック音楽受容史を彩る巨人であり、その名前が思い出されるのはいかなる形であれ喜ばしい話。
しかし、気になるのは2015年8月・2017年7月の番組がいずれも近衞の戦間、戦中期の行動の描写に偏り、音楽面の描写が乏しいこと。
近衞秀麿が欠点を含め、どんな特徴を持つ音楽家かの考察が近衞版への言及を除けば殆どなく、予備知識なしに見た場合、単なる「人道的文化人」と勘違いしそうな構成だった。近衞は音楽家であり、まずは指揮者・作曲家としての分析が行われ、次にエピソードを拾うのが正攻法。
原田三郎の『オーケストラの人びと』(筑摩書房)の記述に近衞は音楽と人間の両面で欠点の多い「偉大なしろうと」とある。これは言いすぎとしてもヒューマンストーリー偏重ではなく、音楽面の冷静な再評価が求められる。
※文中敬称略