~プログラム~
【シンポジウム】
モデレーター:岡部真一郎〔明治学院大学文学部芸術学科教授〕
第1部:個別テーマ「近衞秀麿の人と芸術」
- 近衞秀麿の生涯と音楽活動:三枝まり〔小田原短期大学講師〕
- 欧米における近衞秀麿の音楽活動:近衞一〔近衞音楽研究所所長〕
- 近衞秀麿編曲「越天楽」(1931)-近衞の作曲活動を方向付けたもの(事前発表の「日本のオーケストラ史における近衞秀麿」から変更):楢崎洋子〔武蔵野音楽大学教授〕
- 近衞秀麿の創作-声楽作品を中心に-:西原稔〔桐朋学園大学教授〕
第2部:クロストーク「近衞秀麿の編曲-音・楽譜・証言」
パネリスト:モデレーターと第1部の4名に加えて岩野裕一〔編集者・音楽ジャーナリスト〕、藤田由之〔指揮者・音楽評論家〕、水谷川忠俊〔近衞音楽研究所〕
【トークコンサート】
マーク・ゴトーニ〔ヴァイオリン〕
水谷川優子〔チェロ〕
黒田亜樹〔ピアノ〕
シベリウス:《5つの小品》作品81より第2曲「ロンディーノ」、《4つの小品》作品78より第2曲「ロマンス」〔以上2曲、ヴァイオリンとピアノ〕(事前発表では《5つの小品》作品81の第1曲「マズルカ」も予定されていた)
リヒャルト・シュトラウス:「ロマンス」Av.75ヘ長調〔チェロとピアノ〕(短縮演奏)
シューマン(近衞秀麿の編曲譜に基づく):《子供の情景》作品15より「トロイメライ」〔チェロとピアノ〕
近衞秀麿:「忘れた蓑」「鳥の手紙」(以上2曲、近衞秀麿編曲・チェロとピアノ)「ちんちん千鳥」(水谷川忠俊編曲・ヴァイオリンとチェロ)
近衞秀麿(水谷川忠俊編曲):「大礼交声曲」より第4楽章(ヴァイオリン・チェロ・ピアノ)
☆アンコール☆
ドヴォルザーク:ピアノ三重奏曲第4番「ドゥムキー」より第5楽章
※台風接近の影響でプログラムの一部が短縮、変更された。
近衞秀麿については過去以下の通りブログで取り上げた。
生誕120年、没後45年の節目で音楽面に中心の催しが開かれたのは喜ばしい。貴重な記録音源の一部を再生しながらの独自の演奏スタイルや「近衞版」の考察は特に興味深かった。日本フィルとのチャイコフスキー「悲愴」(1971年3月10日ライヴ)、読売日本交響楽団とのストラヴィンスキー「火の鳥」など全体を聴いてみたいもの。また藤田由之は近衞がピットで指揮する時にオーケストラ、歌手から見やすいようワイシャツの袖を長めにしていたというエピソードを披露。
コンサートで聴けた室内楽アレンジの「大礼交声曲」の第4楽章はメンデルスゾーンの「讃歌」第1部、「宗教改革」第4楽章、「エリア」フィナーレを想起させる質感。水谷川優子は中間部に近衞が共感していたシベリウスの影響があると仰っていた。
会場の後方には展示スペースが設けられ、晩年に使った指揮棒(軽めが好みだったそうで長さもやや短い)、戦前のパスポート、フィンランド政府から授与された勲章の略章、そして集めた手形のコピーなどを見られた。手形はストコフスキー、クレンペラー、アンセルメ、クロイツァー、リリ・クラウス、ゴールドベルク、ピアティゴルスキー、シャリアピン、ヒュッシュといった往年の巨匠以外に戦後共演した園田高弘、バドゥラ・スコダ、ハイドシェックのもあって生涯の趣味だったようだ。
面白い会だった一方、近衞秀麿がどんな音楽家(演奏の長所短所)で何を遺したかの像はくっきり結ばなかった。でも「こう」と言い切れない残像の彼方に漂うムズムズした浮遊感、それが近衞の本質かも知れない。
端的に言えば日本のクラシック音楽の受容初期、オーケストラ界が十分に組織化される前の過渡期に旺盛な興味で色々な楽曲を紹介し、実践した魅力たっぷりの「大人物」の姿が浮かぶ。近衞が欧米で活躍したのも両大戦間の過渡期。特有の育ちと音楽センスに加え、日本の地位向上で入れる隙間が拡がっていたからと推測できる。
事実戦後、共に渡欧した齋藤秀雄を中心に日本の楽壇、オーケストラ界、人材育成術のシステム化が急速に進むと近衞の居場所は無くなり、微妙な立場に追われた。
藤田由之いわく「親方(近衞)の棒は分かりにくいと言われたが一緒に音楽をやっている者には全て分かった」。
こうした近衞流のいわば「分かるひとには分かる」音楽は、戦後楽壇が普遍化、大衆化に進むなかで傍流とみなされたし、それは無理からぬこと。一方で戦後70余年が経過して価値観が多様化するなか、忘れ物を取りに行く感覚で近衞の音楽を「再発見」するのは楽しいし、その味はほろ苦くも示唆的だ。
1973年に近衞が逝去した後の追悼演奏会で特別オーケストラが組まれた際、前年に分裂した日本フィルと新日本フィルの団員有志が集った。不幸な形で別れた音楽家同士が再びステージに立つ機会を作ったことこそ近衞秀麿の最大の功績だと思う。
※文中敬称略
近衛秀麿(指揮) NHK交響楽団/レーガー:祖国への序曲Op.140