現役時代はもちろん、プロレス時代も記憶にない。ただ亡き父がファンだったらしく、相撲の話になると「輪島は強かった」と必ず言うので名前は子供の頃から知っていた。
映像で見ても右の絞り(押っ付け)、それをてこに繰り出される「黄金の左」からの強烈な下手投げや引き付けての寄りは雄大な見栄えのする相撲。カラーテレビが普及し、大相撲とプロ野球がお茶の間のスポーツ観戦の中心だった時代にふさわしい力士といえた。現役後半の金の締め込みはその象徴。
1972年秋場所ともに関脇での対決。両者の下半身の粘り、しなやかさに驚嘆。場所後同時に大関昇進。
1974年名古屋場所。本割、決定戦と次の場所に横綱昇進する北の湖を裏返し、先輩横綱の強さを刻み付けた。締め込みが金じゃないとえらく新鮮に見える。「貴輪」と言われていたのが貴ノ花が大関で止まり、一方北の湖が当時最年少で横綱に上り詰めて「輪湖」となっていく。
1977年名古屋場所。巻替えの応酬の末、半身からの寄りで北の湖を下した一番。翌年の名古屋では北の湖が水入りの熱戦の末に雪辱して全勝優勝。
豪放な挿話ばかり際立つが上半身と下半身をバランスよく鍛えて自身の型を身につけたことは理にかなっており、親方として成功する可能性も十分あったろう。醜聞、ありえない失態で指導者の道を絶ったのはもったいなかった。
角界を追われて23年余りがたった2009年初場所、好角家のデーモン閣下と当時の北の湖理事長の計らいでNHK大相撲中継への出演が実現した。いくらか心慰められたか。
この数年で初代若乃花、大鵬、北の湖、千代の富士、佐田の山、輪島など大相撲が子供たちの楽しみの中心だった時代の大横綱が鬼籍に入った。昭和の大相撲に文字通り幕が引かれた。
輪島大士さんは10月8日夜に逝去。70歳だった。