アフターアワーズ

文化・社会トピック切抜き帖

松山英樹とウッズの縁【WGCブリジストン招待優勝】

元々「ゴルフ世界一決定戦」だった試合

世界ゴルフ選手権(WGC)ブリジストン招待の最終ラウンドで松山英樹選手がコースレコードタイの61(-9)をマークして逆転優勝。マキュロイ、ザック・ジョンソンなどのメジャー覇者をショットの力によって抑えた鮮やかな優勝劇。

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ブリジストン招待の前身は「ワールド・シリーズ・オブ・ゴルフ」、1976年にツアー競技入りした(それ以前から非公式戦として存在)。世界ランキングシステム確立前でメジャーには現在ほどの国際性がなく、もちろんプレジデンツカップもなかった時代。世界のツアーのトップ選手が難コース、ファイアストンカントリークラブに集って高額賞金をかけて争う、いわば「ゴルフ世界一決定戦」だった。第1回優勝はジャック・ニクラウス。そして暫くはラニー・ワトキンス、トム・ワトソンなど米国のメジャー覇者が制したが1983年にジンバブエのニック・プライスが優勝。前年の全英オープン2位のプライスが世界に知られることになった。以降デニス・ワトソン、フルトン・アレム、デビッド・フロストと南アフリカ系の実力者が相次いで優勝、また後のマスターズ覇者スペインのホセ・マリア・オラサバルが初めて勝ったビッグトーナメントもこの試合。世界の名手を一度に見られる「ワールド・シリーズ」はゴルフの国際化に大きな役割を果たした。また1984年からNECがスポンサーにつき、日本でも広く知られる試合だった。

「タイガーの試合」に勝った意味

1999年に年間4試合のWGCが誕生すると「NECワールド・シリーズ・オブ・ゴルフ」は「WGC-NEC(2006年からブリジストン)招待」に衣替えして、シリーズの1試合に組み入れられた。

折しもタイガー・ウッズ全盛期。この試合を大得意としたウッズは2回の3連覇を含めて通算8回優勝。「NECブリジストン)招待」はウッズの圧倒的強さを象徴する試合となった。2013年に今のところウッズ最後のツアー優勝となっている大会通算8回目の優勝を果たした際、第2ラウンドにコースレコードタイの61を出したがその時の同伴競技者が松山選手。4年後の同じ大会で見事同じスコアを並べた形。

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松山選手は2016年にウッズ主催の非公式戦「ヒーロー・チャレンジ」で優勝、また過去に若き日のウッズが今や伝説のホールインワンを決めた「フェニックスオープン」、ウッズのもうひとつの得意試合「メモリアルトーナメント」も制している。つまりウッズの得意とした試合に結構縁があるのだ。

飛距離、方向性、左右高低の打ち分けも求められるファイストンで松山選手が今回他を圧倒した事実は大きな可能性を感じさせるもの。最終ラウンドの17番ホールのセカンドなど以前ウッズがシンクをプレーオフで破ったショットとそっくりだった。

(しかしながらこの4年で松山選手とウッズの立場はガラッと変わってしまった。競技人生の厳しさというか寂しい話)

日本のゴルフ100年余りの歴史で洗練されたスウィングとアイアンショットの威力、言いかえれば世界の名手と同じ本格派のゴルフを武器に国際的な成功を収めた選手は殆どいない。わずかに思い浮かぶのは全盛期の中嶋常幸プロだが彼は海外の優勝に縁のないまま終わった。つまり松山選手は日本のゴルフ史上空前の「真のインターナショナルプレーヤー」、日本版アーニー・エルスになりつつある存在。今後どこまでいくのか、じっくり見守りたい。

哲学者+音楽家の鼎談から再び想った【センス、知識、クラシック音楽】

7月18日のブログで哲学者・田代伶奈、指揮者・水野蒼生、ピアニスト・三好駿(順不同・敬称略)の鼎談

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について書いた(若い哲学者+若い音楽家の対話【O.E.Tの先にあるもの】 - アフターアワーズ)。この時は簡単な紹介にとどめたが示唆に富み、学ぶところ多かった内容なので改めて取り上げる。

驚愕する田代さんの知性

まず巻頭言。クラシック音楽の核心、言いかえれば魅力の粋が記されている。たくさん見て、読んで、聞いて、考えた結果、ここまで核心のみを抽出できるのだろうと言葉の背景にある知のボリュームを想像したら眩暈がするほど。
続いて「ブラームス」と「ズラームス」の話。私みたいなバカはブラームスの同時代の作曲家の名前を出して具体的に話すが、結局対話は萎む。田代さんは「ズラームス」の一言にまとめ、後に続く対話を膨らませる。その言語センスに敬服した。真に考えられるひと、知性のあるひとは瑣末なところで知識の引き出しは開けないのだ。知識はあっても知性のない私は話すことに説得力を持たせよう、相手に刺激を与えようと知識の引き出しを開けまくるが相手は「ウィキペディアに載っている話だ」と感じるのがオチ。
全体を通して田代さんの簡潔に本質を切り出す言葉の妙は冴え、これが2人の音楽家からもすっきりした言葉で思想を引き出した原動力。単なる言葉選びのテクニックではなく、地道な勉強を重ねて身につけた知性から発せられる言葉だからこそ短いなかに目の前の相手と読み手の想像、思考を膨らませる力がある。

専門用語に頼らず話せる水野さんと三好さんの言語センス

クラシック音楽について話す、書くときに陥りやすいのは専門用語に逃げること。広く社会に発信、なんていいながらクラシックマニア以外に通じない言葉を並べて、それを説明するための〔注〕がずらずら続くパターンは「クラシック関連記事、対談あるある」。要は説明、解説の語彙が乏しいのを専門用語で誤魔化しているだけ。私自身、誤魔化している自覚はないが無意識のうちにお茶を濁していたことに気付いて、恥ずかしく思った事例は数知れず。一方水野さん、三好さんは言語化しにくい内容でも平易にテンポ良く話す。普段から色々なことを考え、専門用語に流れないで表現する訓練ができているのだろう。田代さん同様、言葉の向こう側から厚い知の蓄積を感じた。「音楽は聴衆ありき。一人でも聴いてくれる人がいる限りは、僕は弾き続けるし、そういう気持ちが音楽家には必要」(三好さん)、「僕が命をかけてやっている音楽を知って欲しいし、そのために僕はクラシック音楽の入り口になりたい」(水野さん)という思いが、音楽にとどまらない知性を蓄える原動力かもしれない。2人の言葉から感じたのは聴衆を信じ、音楽を信じる心だ。

クラシック音楽の知識って何?

鼎談を読んだ後に考えたこと。時々「クラシック音楽、聴きたいけど(興味あるけど)、知識がなくて」という声を見聞きする。逆に言えばそのひとは「クラシック音楽を聴くには(興味を深めるには)知識が必要だ」と判断しているのだろう。

では「クラシック音楽の知識」とは何だろうか。楽器演奏の経験、スキルの有無は別として楽譜の読み方、作曲などの音楽理論音楽史全般、楽器の構造、演奏技術の成り立ち、指揮法、音響、録音・オーディオ関連、音源・映像の探し方や見極め方・・・まだまだあるかも。だがひとつはっきりしているのはクラシック音楽を聴くのにこれらは全く必要ない。かくいう私が上記の知識をほぼ持っていないのに何の不自由もなく過去22年間殆ど毎日クラシック音楽を聴いている。もし「クラシック音楽を聴くには知識が必要だ」と考えているひとがいらっしゃるのならそれは完全な誤解。

私は無理にクラシック音楽をみんなに聴いてもらおうとは思わない。しかしチケット代に関するブログ(クラシック音楽コンサートは高い?【若いひとにはむしろお得】 - アフターアワーズ)でも申し上げたが、クラシック音楽からひとを遠ざけかねない事実と異なる情報や誤解は正していきたい。 

「ポスト安倍」の日本の風景を描けるか【第3次安倍・第3次改造内閣発足】

名実ともに「さあ、働こう内閣」

河野太郎外務大臣林芳正文部科学大臣茂木敏充経済再生担当大臣など発信に長けた実力者を多数迎え、防衛大臣は経験者の小野寺五典氏に委ねた。他の閣僚もおおむね所管分野の政策作りの経験があったり、党や国会で汗をかいてきた人材を揃え、現状ではベストメンバー。あとは見出しに使った福田赳夫元首相の言葉通り働くのみ。「内閣は仕事であり、政治は結果である」中曾根康弘氏)。

特に期待したいのは河野太郎外務大臣。法務副大臣時代から将来の外相就任を見据えて海外の政治家たちとのパイプ作りに励んできたし、一時期細った日米の議員同士の交流を再び活発にするため熱心に取り組んでいる。つい先日もアメリカの上院議員とのフォーラムに臨んだ。

そうした下地に加え、河野氏は統治機構・行政手続、経済、農政、文教、防災など内政全般に明るく、官僚から情報を出させ、数々の政策提言に繋げてきた。今後の経済外交や貿易交渉を考えた場合、内政と外交の一体性は重要で河野氏の識見は強みになる。

前任の岸田文雄氏は約5年間在任、広島でのG8外相サミット成功などの実績をあげ、安倍内閣の外政面の充実をサポートしてきた。河野氏には岸田氏の築いた地盤の上に立ちつつ、かねて批判してきたODAの非効率性、各国駐在大使の怠慢など正すところは正し、日米を基軸にしながら厚みのある外交を展開するために力を発揮してもらいたい。とりあえず「河野・小野寺」で次の日米2+2に臨めるのは良かった。

「クーデター」しか選択肢のなくなった石破氏の行方

今回の内閣改造、先立って行われた党役員人事で安倍晋三首相(自由民主党総裁)の胸の内がはっきりした。それは「来年9月の自由民主党総裁選での3選を目指しつつ、もし政治的体力が限界なら岸田氏に禅譲。首相は前述の通り再登板以来、ずっと外務大臣の岸田氏を本人の要望通り党三役に起用、閣僚人事では林氏、小野寺氏を始め岸田派の議員を重用した。そして総裁選出馬を公言する野田聖子氏を入閣させたことで、来年の総裁選でやはり総裁への意欲を隠さない石破茂氏と野田氏がいわゆる「2位・3位連合」することを防ぎ、安倍首相は自身の3選出馬でも岸田禅譲でもいける状況を作った。「ポスト安倍」のダークホースとしては河野太郎氏、塩崎恭久氏、西村康稔氏。

一方石破茂氏の総理総裁への道は厳しくなった。自派所属議員が「1本釣り」され、現状「ポスト安倍は岸田」の既成事実化が急速に進み、来年9月の総裁選挙に立候補しても勝算は殆どゼロ。石破総理総裁の可能性が生まれるのは大事件の発生で来年9月より前に安倍首相が退陣を余儀なくされ、いま安倍首相の周囲にいる人間は出馬しずらい事態が訪れた場合のみ。もはや石破氏は安倍首相や周辺のスキャンダル暴きといった常道を外れた行動まで検討しなきゃいけないところまで追い込まれた。

ウルトラC(古い!)としては石破氏が自由民主党から離れ、結構仲のいい小池百合子氏の「都民ファースト」と連携、非自民の政界再編を起こして「細川式」の連立政権の首班を目指す方法もありうる。折しも細野豪志氏が民進党離党を検討との報道が流れている。田中角榮氏の元秘書・朝賀昭氏がブレーンの細野氏、若き日に角榮氏の薫陶を受けた石破氏、やはり「現住所田中派」だった細川護熙氏が作った日本新党から政界入りした小池氏。3人の行き先に注目。

次世代を見据えた構造改革に取り組む重要性

安倍首相は「2期6年」のルールの下で自由民主党総裁に選ばれたのだから、本来来年9月で退くのが筋。民間企業や各種団体の場合、役職の任期を変えた場合、そのルールは次のひとから適用されるのが普通。つまり自由民主党なら「3期9年」は安倍総裁の次の総裁から適用するということ。しかし自由民主党安倍総裁の3選出馬含みでルールを変更した。事実上権力者がゴールポストを動かす行為で明らかにゴリ押しだった。

この「安倍3選ありきの3期9年への変更」から政権運営が変調をきたした。閣僚と党幹部・党所属議員の不規則発言や問題行動の頻発、政策実現の陰で「加計学園問題」に象徴される不明朗な事態の発覚など政府・与党におごりが目立ち始め、野党のふがいなさもあって国民が政治全体に失望感を抱く状況になっている。来年9月にどうなるかは分からないが安倍総理総裁は一度初心に帰り、来年9月に退く覚悟で1日1日気を引き締めて政権運営にあたることが重要。

一番求められるのは構造改革。AIの進化、世界的な内燃機関への風当たり、人口の減少などを考えると産業構造、雇用のあり方、社会保障、教育の抜本改革が必須。安倍内閣は約5年続いていながら、内政は対処療法による成果ばかりで殆ど構造改革に手をつけていない。消費増税を先延ばしにして多少政治的エネルギーの余裕ができたはずなのに獣医学部の新設が岩盤規制の突破だなんて体たらくではダメ。

もし来年9月に総裁3選がなってその任期を全うしたとしても安倍氏が総理総裁なのはあと4年。今から構造改革に取り掛かっても成果の上がるところまではいかないだろう。しかしだからこそ次の世代のためにすぐメニューを作り、スタートさせておかないと東京五輪後に日本は朽ちてしまう

歴史を見ると佐藤榮作氏の総裁4選、中曾根康弘氏の任期1年延長、鈴木俊一氏の都知事4選は何の成果も生まず、かえって当人たちの評価や日本の将来に負の要素をもたらした。安倍首相の務めは「権力の魔性」を自覚し、過去から謙虚に学び、政府与党の力を束ねて将来に光る日本の骨格を形作ること。

My Favorite Things:ロリン・マゼール指揮のシベリウス交響曲全集

昔も今もドイツ、オーストリアのオーケストラはシベリウスが嫌い。田舎者の書いたよく分からない音楽と受け止めるのか、ベリルンドがベルリンフィルでやればメンバーが指揮者には敬意を払いつつ、「変なスコアだ」などと記者にボヤいたし、晩年のバーンスタインウィーンフィルと取り組んだ映像からは指揮者とオーケストラや聴衆の間に漂う「温度差」が覗える。

ロリン・マゼール(1930-2014)は1960年代にそのウィーンフィルシベリウス交響曲全集をセッション録音した。フィンランドの次にシベリウスへの理解が深い英国の名門デッカレコードが、当時30歳代のマゼールに同社初のステレオ収録によるシベリウス交響曲全集録音の指揮を委ねたことは期待の大きさの表れだろう。

マゼールは自身の読みで堂々とオーケストラに対峙し、エッジの鋭い凝集力のあるサウンドを繰り広げる。細部の出し入れの俊敏さも破格で聴き手を刺す要素がたくさん。とりわけ1番、4番、5番、7番はトップクラスの内容。ウィーンフィルの透明な光沢に暗部の差す音色が感銘を深める。

マゼールの非凡さは、色々繰り出しても音楽の流れが滑らかで不敵な落着きすらチラつかせるところ。近年比較的低年齢で華々しい活躍を伝えられる指揮者が増えているが、若きマゼールのように名門オーケストラの前でこれだけいわば暴れてなおかつクールさを身にまとっちゃう人物は見当たらない。

交響曲と合わせて「カレリア」組曲交響詩「タピオラ」も録音されたが、なぜかボックスCDでは省かれた。2015年にようやくきちんと揃った形のボックスがCD4枚とブルーレイオーディオの再リマスタリング盤で登場。最近注目のブルーレイオーディオディスクはCDより響きが放つエネルギー、各パートの立体感たっぷりの絡みをダイレクトに伝える音質。

その後1990年代にマゼールピッツバーグ交響楽団との共演で2回目のシベリウス交響曲全集・主要管弦楽曲集のセッション録音を行った。ウィーンフィルとの録音当時のほぼ倍の年齢に達し、響きの質感こそ若干丸まったが解像度の高さと伸びやかな進行を両立させた麗々しい音楽は流石の仕上がり。日常的に聴いても疲れないところがいい。ラクリンがソロを弾くヴァイオリン協奏曲のねっとりしたバックに「円熟のマゼール節」が刻まれている。

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扉を開けた者、潜った者【それぞれのO.E.T@7/20"Opening"】

前回のブログで記した通りO.E.T(オーケストラ・アンサンブル東京)の結成記念公演が7月20日に行われた。私は残念ながら当日伺えず、やむなく母を代打に立てたが成功と言える内容だったようだ。

響きの扉を開けた日【O.E.T@7/20"Opening"】 - アフターアワーズ

公演が終わって1週間余りが経ち、楽団代表・指揮者の水野蒼生が回顧、今後に対する意欲、そして感謝の気持ちを記している。もうしっかり次を見据えているのが頼もしい。

aoi-muzica.hatenablog.com

また水野とO.E.Tに早くから注目し、水野に電話取材を行ってその心の内を瑞々しく伝える素晴らしいインタビュー記事

【インタビュー】クラシックをメインカルチャーに戻したい―「O.E.T」代表 水野蒼生さん - 跳ねる柑橘の段ボール箱

に仕立てたライターの跳ねる柑橘氏。多忙を極めるなか当日の後半(ベートーヴェン交響曲第3番)に間に合ったようで聴衆の立場からレポートをまとめられた。

hoppingnaranja.hatenablog.com

水野とO.E.Tに対する敬意、ピュアな気持ちで音楽を受けとめる姿勢が言葉に表れており、読んでいて清々しい感動を覚える文章

私の場合、ベートーヴェン交響曲第3番を聴くとなれば始まる前から「最初の2発の和音は揃うのか」「第1楽章の提示部は繰り返すのか」「再現部手前のホルンソロはうまくいくか」「コーダのトランペットの処理は」などのポイントが思い浮かび、とてもピュアに向き合えない。始まっても「あの奏者がソロを吹くのか。怪しいぞ」「第3楽章のホルンのトリオはちょっと厳しいか」「第4楽章ラストの追い込みまでもつのか」といった意識が頭を駆け巡ってしまう。

跳ねる柑橘さんの美しい心(人柄)をわずかでも見習いたい。

上記の水野の文章には私の名前が登場する。別に何もしていないので恐縮すると同時に公演の成功にわずかでも関われたのなら光栄で嬉しい。この1ヶ月半ほど水野蒼生とO.E.Tを追いかけて私自身楽しかったし、学ぶことが多かった。今後も彼らの活動を注目、応援していく。

ベートーヴェン:序曲集

ベートーヴェン:三重協奏曲-ピアノと管弦楽のためのロンド&合唱幻想曲

ベートーヴェン:交響曲第3番≪英雄≫-≪エグモント≫序曲-序曲≪コリオラン≫

tower.jp

My Favorite Things:ショルティ指揮の薔薇の騎士

Facebookで同名のアイテム紹介コラムを書いてきた。今回からこちらに引越し。

【My Favorite Things:Facebook時代まとめ】 - アフターアワーズ

日本に愛されなかった大指揮者

サー・ゲオルク・ショルティは日本のクラシック音楽ファンと相性の悪い指揮者。

まずボクシングのトレーナー風の見た目がまずかった。ヘルベルト・フォン・カラヤンの高級感、カルロス・クライバーの躍動的色気、カール・ベームとウォルフガング・ザワリッシュの伝統継承ムード、エフゲニー・ムラヴィンスキーやロヴロ・フォン・マタチッチの怪物風凄味を好んだ日本のクラシック音楽ファンにとってショルティの風貌は何の魅力もなかった。

次に日本人の愛する大陸ヨーロッパのオーケストラとしっくりいかなかったこと。ウィーンフィルハーモニー管弦楽団とは2度来日公演したが、聴衆の反応はベームの熱狂とは雲泥の差。録音もたくさん行ったが記録物としての価値を有する「指環」以外はやはりベームカラヤンクライバーによるものほどの評価は得られずじまい。そしてベルリンフィルハーモニー管弦楽団コンセルトヘボウ管弦楽団との数少ない録音はお互いにとって不幸な内容で日本の市場からすぐ消えた。結局ショルティは日本に固定ファンの多い三楽団との録音に決定打がなかったので一段低い指揮者とみなされた。

また22年間音楽監督を務めた(ショルティの自伝によれば「音楽人生で最も幸福な時間」)シカゴ交響楽団に対する日本の聴衆の評価がブラスセクションの威力ばかりに注目し、弦の緻密なアンサンブルや木管楽器の音色の多様性はスルーしたので「アメリカの楽団をバリバリ鳴らしている」というイメイジが根強く残った。

そして一部の評論家による「無機的」という事実無根の印象批評が正当な評価を妨げた。ショルティの形作る音楽は引き締められた骨格を背景にリズムが生き生きと脈動し、滑らかに進行する。確かに朝比奈隆のように主旋律をエモエモしく歌わせるということはない。だが例えばブラームス交響曲第3番の第2楽章においては暖色系の柔らかい質感を出しているし、メンデルスゾーンスコットランド交響曲シカゴ交響楽団)での明暗硬軟の使い分けなど実に細やか。「無機的」と書いた人間はちゃんと聴いていないか耳が悪いかのどちらか。

ダメ押しは日本でオペラを指揮する機会がなかったこと。カラヤンもそうだがオペラ指揮者の面を日本人に見せなかったので受容が大きく歪んだ。

ショルティの美質が凝縮された2つの「薔薇の騎士」

1985年、ショルティはコヴェントガーデン歌劇場デビュー25周年記念としてリヒャルト・シュトラウスの楽劇「薔薇の騎士」を指揮。公演のライヴ収録映像はソフト化されている。なお25年前(1960年)の元帥夫人役はシュヴァルツコップ、初日の批評を見た彼女は2度とロンドンの舞台に立たなかったそうだ。

四半世紀の時を経て迎えた元帥夫人はキリ・テ・カナワ。品がいい立ち姿、目の奥に色気の宿る演じ方が見事。ハウエルズのオクタヴィアンは身のこなしがエレガントで程よい軽さ。おなじみボニーのゾフィーとの組み合わせも上々。

当時73歳のショルティの音楽運びはリズムがシュッと刻まれ、流麗。やや薄手で音色もあっさり系のオーケストラを牽引し、動と静のコントラストを鮮明に描き出す。

演出は「マラソンマン」などで知られる映画監督のジョン・シュレジンジャー。舞台は19世紀の設定で変わったところはないが暗みを生かす見せ方に独自性がある。

こういう上演だと作品の持つ聴き手の想像を呼び覚ます力が発揮され、色々想い巡らす楽しみがある。昨今流行りの性的要素を強調するやらかし系の演出だと演出家の意図を目で追いかけるのに忙しく、オーケストラや歌唱はじっくり聴けない。しかも大体指揮も歌もスカスカ。結局珍奇な演出が増えたのは音楽で心理の綾をあぶり出せる指揮者、歌手が絶滅し、どうやって客を呼ぶかという文脈だろう(大陸ヨーロッパには20世紀初頭から演劇の手法に倣った前衛的オペラ演出の歴史はあるが)。バカバカしい話。

CDで聴けるショルティ指揮の「薔薇の騎士」は1969年にウィーンフィルとのセッション録音がある。日本で長年等閑視された音源だが2017年刊行の村上春樹の小説に出てきたとかで急に関心を集めた。アホらしい。

クレスパンの元帥夫人、ミントンのオクタヴィアン、ドナートのゾフィーいずれも芯のある美声。声の演技力全開のユングヴィルトのオックスがいやらしい。家主にデルモータ、歌手役はパヴァロッティと往年のデッカらしい遊びもある。上記コヴェントガーデンのオクタヴィアンのハウエルズがアンニーナ役で出演。

ショルティウィーンフィルをあえて辛口に響かせ、リズムのキレが鋭い。その隙間からにじむオーケストラの官能美が音楽の陰影を深める。

クラシック音楽コンサートは高い?【若いひとにはむしろお得】

特殊なものだけ見て全体をイメイジする愚かしさ

市井やネットでしばしば見掛ける声としてクラシック音楽のコンサートは値段が高い」というものがある。もし面と向かって言われた場合、相手になぜそう思うか尋ねるのだが、すると返ってくる答えは大概こうだ。

「だってベルリンフィルとか、ウィーンフィルとか何万もするんでしょ」

ちょっと待ってもらいたい。海外の超一流のオーケストラの来日公演は東京で日々行われていたクラシック音楽コンサートとは別次元の数年に一度の特別イヴェントだ。他のジャンルの音楽で例えればサー・ポール・マッカートニーやマドンナの来日公演に相当するもの。まさかポップス、ロックのコンサートの値段を連想する時にこんな別格の超大物だけ取り上げて考えるひとはいないだろう。ところがクラシック音楽コンサートでは日常的なコンサートとはかけ離れた内容、値段のものがクローズアップされがちで、一般のひとはその「特殊性」に気付くことなく「クラシック音楽コンサート=高い」というイメイジを抱いている。

日常のクラシック音楽コンサートの値段は他ジャンルと大差なし

私はクラシック音楽以外にJ-POPとV系が好きでとりわけGLAYやA9(旧称Alice Nine)のライヴには20回以上参戦している。1回のチケット代は会場にもよるが大体5,000円から7,000円

一方、日本を代表するオーケストラのNHK交響楽団定期演奏会はS席8,800円、A席7,300円、B席5,700円。つまりJ-POPのトップアーティストとそう違わない。この値段はオペラなど特別大規模な作品をやる場合以外はいずれも世界トップクラスの指揮者である首席指揮者パーヴォ・ヤルヴィなどが指揮する時も同じ。しかも大会場のJ-POPのライヴではアリーナの余程いい席を取らない限り、アーティストの細かい動きはオーロラヴィジョン越しにしか見えないが、クラシック音楽のコンサートの場合、「ソーシャルディスタンス」の中だがB席といってもアーティストは結構近い。オペラグラス持参なら女性奏者のドレスのほつれまで分かっちゃうほど。

※2020年11月現在多くのオーケストラは定期演奏会の中止もしくは様態の変更を余儀なくされている。参考として代替公演の料金表をあげておく。

コンサート詳細|NHK交響楽団

多少編成の小さいオーケストラや若手主体の楽団はもっとリーズナブルだし、同じオーケストラでも郊外のホールで行う公演(神奈川県なら相模原など)なら1,000円ほど安く聴ける。

よくJ-POP・ROCKのインディーズバンドがライヴハウスで行ういわゆる対バンでは3,000円プラスドリンク代が相場だが、クラシック音楽でもインディーズアーティストは大体そのくらいの料金。

クラシック音楽のコンサートは原則ワンマン(ピアノなど器楽の企画系のコンサートではたまに対バンある)、通常ドリンクオーダーは求められないからコンサートの行き帰りもしくは休憩時間に好きなものを飲めばいい。

若いひとなら断然お得なクラシック音楽

そしてクラシック音楽コンサートの他のジャンルにはあまりない大きな特徴が学生(若年)割引。例えば東京都交響楽団の場合、25歳以下なら主催公演の1回券が半額。S席が4,000円未満となり、いわば対バン価格で最高ランクの席に座り、一流指揮者が振る演奏を楽しめる。他の在京オーケストラも割引や廉価な学生席など若い聴衆には何らかの特典がある。

クラシック音楽は高齢層が聴くイメイジあるが実際は若いひとにとって聴きやすい環境の整っている音楽ジャンル。事実に基づかない妙な「セレブ」イメイジに惑わされて敬遠せず、どんどん演奏会に足を向けて欲しい。

今回はオーケストラ中心に記したがピアノ、ヴァイオリン、声楽などのコンサートも料金事情はほぼ同じ。万単位なのはごく一部の外タレだけで普通は数千円。昼間なら国際コンクール入賞レヴェルのピアニストを1,000円で聴けるコンサートだってある。

オペラは確かに若干値が張るがそれでも日本の団体は1万円あれば楽しめるし、やはり学生割引で安く聴ける。また舞台演出を伴わない形の上演やダイジェスト公演もあり、これらはより低料金。

マナーの心配をするひとがいるがマスク着用の上、携帯はマナーモードにして拍手は周りに合わせればいいだけ(いま「ブラボー」は禁止)。服装も在京オーケストラなら極端な話、短パンにタンクトップ(男性)だって構わない。日頃聴く音楽と同じお金でちょっと違う体験をするのは楽しい時間。何せ100年単位で世界の人々に愛されてきた音楽だから。