日生劇場の誕生にあたって石原慎太郎氏と浅利慶太氏がいわばオープニングプロデューサーを務めたことは以前に記した。
そしてこけら落とし公演として招聘されたのはベルリン・ドイツ・オペラ。海外オペラハウスの引っ越し公演は史上初、日本洋楽受容史上に残る快挙だった。石原氏は『わが人生の時の人々』(文藝春秋;2002年〔文春文庫;2005年〕)に次のように記している。
さてその劇場のこけら落としの出し物だが、多少の金がかかってもその分の料金を出し物が画期的なら客受けもするはずだと、今思えばとんでもない企画を立てたが、それがまんまと図に当たり結果として大成功だった。
とにかくあの有名なベルリン・オペラを丸ごと呼ぼう、裏方も何かもすべてのスタッフを呼び寄せてやって来ないのはオペラハウスだけという規模の、完璧なベルリン・オペラを東京で実現しようということになり、現地の有力新聞も旨く乗せてしまってドイツ政府も動き出し、結果全スタッフに加えてリュプケ・ドイツ大領領の来日までも決まり、その答礼に日本側では天皇陛下の来臨行幸とまでなった。
(中略)初日当日の出し物のオペラはベートーベン作の「フィデリオ」で、最終章に検察官役の当時世界最高、全盛期のバリトン歌手のフィッシャー・ディスカウが辺りを払って登場するクライマクスには皆痺れたものだが、その前の前、両国元首を迎えての国歌吹奏でベルリン・オペラフィルが演奏した国歌「君が代」の印象はなぜか日本のいかなるオーケストラの演奏ともひと味ふた味違っていて、きわめて印象的だった。
その印象は一人私だけのものではなかったようで、幕間に出会った文藝春秋新社の池島信平氏が、
「いやあ石原君、オペラもいいがなんたってひさしぶりに君が代らしい君が代を聞いたよ」
と相好崩してくれたのが嬉しかった。
劇場のこけら落としに絶対にワグナーを、それも必ず「トリスタンとイゾルデ」をと主張したのは企画担当の私のエゴだったのだが、やはり満喫させられた。
何度か上演されたこのレパートリーに限っては役得で、そのたび劇場のどこかで眺め鑑賞したものだが、そのたび印象的だったのは三幕最後のあのイゾルデの絶唱「愛の死」の折に、当時売り出し中の、今では世界のグラン・マエストロに成りおおせた指揮者のローリン・マゼールが、指揮しながら曲のクライマクスで大きく腕を振り体をのけぞらせて斜め後ろを振り向くと、そこに新婚早々の夫人が両手で胸を抱くようにしうっとりと彼を見上げているのだった。
実はこれには厄介な伏線があって、なにしろ評判の興行だったからオペラの券はたちまち完売してしまったが、マゼールが指揮する際の指揮者の左斜め後ろの席は夫人専用と決まっているのだそうな。ところがそれを知らずに切符を売り尽くしてしまい、もちろん指揮者の奥さんのための席はしかるべく準備はしてあったのだが、マゼールにいわせると彼等二人のためにその席は絶対に必要なのであって、熱烈な恋愛の後結婚した夫人がいつもの席に座っていないのなら自分は指揮はしない、出来ないという。
しかしその席はとうに熱烈なオペラファンの手に入っていて、当人は絶対にこの席をゆずる訳にはいかないと。といっても肝心の指揮者が指揮しない、指揮出来ないのでは話にならず、くだんのお客を懸命に口説き落とし、その引き換えに劇場の大事な関係者のためにとっておいたグランド・サークルの一番前の桟敷をただで提供さぜるを得なかった。
ということでいよいよ本番となりあの甘美な「トリスタンとイゾルデ」の上演、そして最後の最後の、私にとっては世界の音楽の中で一番官能的な「愛の死」の絶唱で、あのうねっては押し寄せ、砕け落ちては引いていき、そしてまた切りなくうねっては押し寄せる輝く波のような甘美極まりない旋律の中で、指揮の棒を振る当人も、眺める彼女の方も共に相重なったエクスタジーの中にいるだろうから、眺めていてもむべなるかなという感じではあった。
最近また久し振りに東京でマゼール指揮の演奏を聞いたが、その指揮ぶりは彼がさらに円熟しきってまさしく世界のトップの中のトップの巨匠に成りおおせたのを証していたと思う。演奏の後楽屋を訪ね敬意を表したが、
「あなたは実に見事に円熟しましたね」
私がいったら昔のことを覚えていて、とても嬉しそうにしてくれたのも嬉しかった。
しかしそこで紹介された奥さんは、あの日生劇場のこけら落としの折、彼がかなでさせる「愛の死」にうっとりと聞きほれていた件の女性とは違っていたが。
(文春文庫版、pp.429-pp.434、表記は原文のまま)
1963年当時のマゼール夫人はレザー会社の相続人の女性のはず。ただこの方は三浦淳史氏の『演奏家ショートショート』(音楽之友社)によれば「決して劇場にいかない人だった」らしいので別の女性あるいは石原氏が話を盛った可能性もある。最後の落ちで登場する「奥さん」は3人目のディットリンダ夫人だろう。
なお石原氏は後年「現代の《トリスタンとイゾルデ》」と自称する小説『火の島』(幻冬舎)をものした。これは氏を代表する奇作として名高い。
ときにベルリン・ドイツ・オペラの初来日公演のうちベーム指揮の「フィデリオ」(初日ではない)・「フィガロの結婚」・ベートーヴェンの第9交響曲、ホルライザー指揮の「ヴォツェック」は後年ライヴ録音が発売された。一方、事実上の日本初演だった「トリスタンとイゾルデ」の演奏内容はずっと想像するしかなかった。
2019年11月、その「トリスタンとイゾルデ」のCD化がついに実現した。思いのほか良い音質で当時33歳のマゼールの躍動感あふれる音楽作りがしっかり聴ける。ぐわぐわと高まる響きは強いエネルギーを発し、その場の空気の揺れを感じられるほど。なかでも第3幕前奏曲の地の底から現れる重く翳の濃い音楽は日本のオーケストラでは今なお聴けない質感であり、当時の日本の聴衆にはショックだったろう。
冷戦下、国立歌劇場が東ベルリン側へ行った状況を想うと、ベルリン・ドイツ・オペラのメンバーは西ベルリンを背負う存在として自由世界の日本において高いテンションで演奏に臨んだと思うし、そういった政治的背景も招聘実現の理由だと推測する。
日生劇場では現在、日本の団体によるオペラ興行が定期的に催されている。かつてベルリン・ドイツ・オペラが日本のオペラの歴史を拓いた場所にふさわしい水準の上演であることを切に望みたい。
ワーグナー:楽劇「トリスタンとイゾルデ」(全曲) ロリン・マゼール 、 ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団
ワーグナー名曲集 ロリン・マゼール 、 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 、 ピッツバーグ交響楽団 、 ヘスス・ロペス=コボス 、 シンシナティ交響楽団
マーラー: 交響曲第2番「復活」 ロリン・マゼール 、 読売日本交響楽団