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文化・社会トピック切抜き帖

2022年1月28日/井上道義指揮、読売日本交響楽団【明澄な響きにたちこめる翳の深淵】

 
 
 
 
 
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A post shared by Tadashi Nakagawa (@choku_nakagawa)

2018年10月3日が第8番、2019年12月6日は第3番と東京芸術劇場主催のコンサートでマーラーの声楽付きの交響曲を演奏した井上道義と読響。今回、約2年ぶりに行われたこの顔合わせの公演で取り上げたのは「大地の歌」。これまでの2作品とは異なり、舞台や照明などの演出はない通常のスタイルのコンサートでしかも初めて前半にマーラー以外の作品が置かれる構成となった。

最初は藤倉大の「Entwine」。Instagramで記したように「要素の配置や時間軸の取り方から才能があるのは分かるがどうも音楽としての芯が見えづらい」と感じる作曲家だが、この作品は複数のオーケストラからの国際共同委嘱という性格ゆえか、冒頭の小さい要素からの浮き沈みのある展開、最後の微かな光の射し込み様など方向性の受容しやすい音楽だった。オーケストラの全セクションにまんべんなく仕事させる作りで読響の対応力の高さが発揮された。

前半最後のシベリウス交響曲第7番は井上道義が近年好んでプログラムに載せており、NHK交響楽団との演奏も記憶に新しいところ。シベリウスの特に後期の作品をやる場合、とかくクールさや無為を意識した演奏が大半で、悪くするとただクリアなだけの空っぽの音楽で時間が過ぎてしまう場合もしばしば。

井上道義のアプローチは澄んだ質感を大事にしながら、オーケストラの細部の動きを鋭利に掘り起こし、大きく波打たせながら語っていく。単一楽章の作品全体にかかるアーチが力強く浮かび、明暗のコントラストも際立つ。シベリウスの持つ複雑さ、ある種の屈折まで内包する深いサウンドが胸にずっしりきた。うねりつつ変にベトつかせなかった読響の弦のパフォーマンスが見事。

メインの「大地の歌」はInstagram投稿の通り、歌詞と音楽のイメイジが醸し出す厭世的想念を変に絡めず、まずスコアに記された音楽の位置取りをきちんとオーケストラにやらせた上で眩さ、沈潜、諦念といった要素を音彩の繊細な配合の変化で透かし彫りにする。その中でラストの「告別」は相当積極的なドライブをかけていたが、指揮者の見通し力とオーケストラのポテンシャルがうまくかみ合って、高い凝集性のもとに音楽は進み、永遠の終結までがひと息に感じられた。アルトの池田香織の歌唱は終始安定感があり、言葉とフレーズの扱いの調和に長けていた。テノールの池田直樹は序盤ちょっと硬かったが次第に調子を上げた。元々生演奏ではオーケストラとのバランスが難しい(第1曲はどうしたってオーケストラが被り気味になる)作品なので両独唱者は大健闘だと思う。

この演奏会のチケット代は内容を考えれば極めてリーズナブル。「オールジャパン」で演奏会をやるならこうあって欲しい。現実は高いカネ取る割にちんけな音楽を時間だけやって済んじゃったみたいな演奏会ばかり。危機感を持って常に最高の内容を適正な価格で提供できなければオーケストラの存在理由は全くなくなる。

マーラー:交響曲第4番、第5番、第6番「悲劇的」/井上道義(指揮) ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団 イヴォンヌ・ケニー(ソプラノ)

ショスタコーヴィチ:交響曲全集 at 日比谷公会堂/井上道義(指揮)

ショスタコーヴィチ:交響曲 第8番ほか/井上道義(指揮) 新日本フィルハーモニー交響楽団