初詣。#靖国神社 #靖國神社 #初詣 #令和2年 #2019年 #1月3日 #子年
ジャンボ絵馬 #靖国神社 #靖國神社 #ジャンボ絵馬 #子年 #2019年 #令和2年 #1月3日 #初詣
2020年(令和2年)初買い物。永冨和子さん(1929-2010)。品のある光彩を纏うくっきりした歯切れのいいサウンドはフランス音楽(とモーツァルト)にピッタリ。#永冨和子 #ピアニスト #ピアノ #ピアノソロ #セッション録音 #プラハ #ドビュッシー #ラヴェル #ソネチネ #日本コロムビア #denon #亜麻色の髪の乙女 #沈める寺 #月の光 #debussy #ravel #piano #pianist #cd #CD #cd紹介 #初買い物 #2020年 #令和2年 #1月2日 #クリアランスセール #8割引 #クラシック音楽 #classicalmusic #suitebergamasque
昔、務めていた店でイヴェントをして下さった。いかにも上品な御婦人の雰囲気から、ルビーやサファイア鳥の澄んだ輝きを放つ音が紡がれるさまは心に刻まれている。ドビュッシーは個人的に少し苦手だがこのひと(と遠山慶子さん)の演奏はドキドキする魅力を感じた。
永冨和子 最後のリサイタル! 2007.10.4 王子ホール
ドビュッシー:映像第1集/ベルガマスク組曲/前奏曲第1集より/ラヴェル:ソナチネ:永冨和子(p)
モーツァルト ベートーヴェン:ピアノ五重奏曲 永冨和子、プラハ木管五重奏団
ドビュッシー:ピアノと管弦楽のための幻想曲 遠山慶子、ドビュッシーを弾く
ドビュッシー:映像/ラヴェル:高雅にして感傷的なワルツ 遠山慶子
モーツァルト:ピアノ作品集 遠山慶子、Vienna String Quartet members
謹賀新年2020【2019ラスト鑑賞「現代印象派画家KOH」「金田正一追悼展示」】
光の粒の凹凸や構図の引き出しが増え、一層魅力ある画家に進化したと思う。KOHさんは2019年12月28日のフジテレビ系「ぶらぶらサタデー有吉くんの正直さんぽ!」で取り上げられた。
野球殿堂博物館① #2019年 #12月26日 #令和元年 #金田正一 #追悼 #野球殿堂博物館 #プロ野球 #日本プロ野球 #NPB #東京ドーム #カネやん
殆どが金田家の提供による貴重な資料を拝見できた。
CBSソニーは1970年代の日本コロムビアのひそみにならったか、1980年代前半にランパル、ヨー・ヨー・マ、スターンといった超一流アーティストを使い、間宮芳生などの編曲による日本の旋律を録音した。
春の海~日本の旋律/ジャン=ピエール・ランパル(フルート)リリー・ラスキーヌ(hp)
Japanese Melodies (Remastered) ヨーヨー・マ
ニューイヤー・コンサート2020/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 指揮:アンドリス・ネルソンス
ニューイヤー・コンサート2020(SICC-2157)/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 指揮:アンドリス・ネルソンス
【Blu-ray Disc】ニューイヤー・コンサート2020/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 指揮:アンドリス・ネルソンス
【LPレコード】 ニューイヤー・コンサート2020<完全生産限定盤>/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 指揮:アンドリス・ネルソンス
ベートーヴェン:交響曲全集他/アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ サー・ネヴィル・マリナー(指揮)
ベートーヴェン:交響曲全集他/マイケル・ティルソン・トーマス ウィーンの古き佳き舞曲集他/ウィリー・ボスコフスキー(指揮とヴァイオリン)
Lorin Maazel - Milestones Of A Legend
今週のお題「2020年の抱負」
①減量72kg→65kg
②レビューなどの仕事をもう少し取る
③「積読」撲滅
【My Favorite Things Special:2019年〔令和元年〕Classical Music CD 私的 best10+1】
※順不同・敬称略
☆ユージン・オーマンディ指揮、フィラデルフィア管弦楽団/ヒンデミット:交響曲「画家マティス」、バルトーク:管弦楽のための協奏曲ほか(キングインターナショナル)
バルトーク: 管弦楽のための協奏曲、ヒンデミット: 交響曲「画家マチス」/ユージン・オーマンディ、フィラデルフィア管弦楽団
☆ユージン・オーマンディ指揮、フィラデルフィア管弦楽団/シベリウス:交響曲第2番ほか(キングインターナショナル)
シベリウス: 交響曲第2番ニ長調、バーバー: 弦楽のためのアダージョ/ユージン・オーマンディ、フィラデルフィア管弦楽団
→量感と光沢のある弦に麗々しく上品な管がブレンドされたオーケストラ芸術の頂点を記録したライヴ録音。シベリウスのフィナーレの改変も効果的。
☆ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー指揮、読売日本交響楽団/ブルックナー:交響曲第5番〔シャルク版〕(Altus)
ブルックナー: 交響曲第5番(シャルク版)/ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー、読売日本交響楽団
☆ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー指揮、読売日本交響楽団/チャイコフスキー:バレエ音楽集(Altus)
チャイコフスキー:バレエ音楽集/ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー、読売日本交響楽団
☆ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー指揮、読売日本交響楽団/ショスタコーヴィチ:交響曲第10番(Altus)
ショスタコーヴィチ:交響曲第10番ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー、読売日本交響楽団
→異才ロジェストヴェンスキーの魔術をまるごと味わえる3タイトル。たちこめるほの暗い透明感が心に残る。
ときにチャイコフスキーのライナーノーツを書いた許光俊は『200CD指揮者とオーケストラ』(立風書房;1995年)で「(ロジェストヴェンスキーは)ふだん読売日響なんてヘタクソなオーケストラを振って損をしている」「本来ならウマイ楽団を限界まで操ってスリル満点のドライブを楽しませてくれる人」と記した。つまり読響はロジェストヴェンスキーの良き共演者とは言えないという主張。しかし本盤のライナーノーツにこのCDでも読響はヘタクソでロジェストヴェンスキーは損をしているのか、あるいは20年ほどを経て読響が進歩してロジェストヴェンスキーの音楽を伝えているのか、何も書いていない。自らの審美眼や過去の言説に関してこのように無責任な人間だから佐村河内守を礼賛する過ちを犯すのだ。
☆ロリン・マゼール指揮、読売日本交響楽団/マーラー:交響曲第2番(読売日本交響楽団・東武レコーディング)
ロリン・マゼール指揮、読売日本交響楽団/マーラー:交響曲第2番
https://mikiki.tokyo.jp/articles/-/22264
http://choku-tn.hatenablog.com/entry/2019/08/09/133519
☆イシュトヴァン・ケルテス指揮、ロンドン交響楽団/ショスタコーヴィチ:交響曲第5番ほか(キングインターナショナル)
→ロンドン交響楽団のノリが絶好調。パワフルで筋肉質の響きが冴え(そういう要素の生きるプログラムになっている)、要所の命中率も高い。当時30代のケルテスは猛者の集団をうまく方向付けする。1973年に不慮の事故で早世したケルテスはもし健在なら2019年で90歳。熟成を見たかったひと。アンコールの締め括りはなんと「蛍の光」。
イシュトヴァン・ケルテス指揮、ロンドン交響楽団/ショスタコーヴィチ:交響曲第5番ほか
☆遠山慶子〔ピアノ〕ほか/ドビュッシー作品集(カメラータ・トウキョウ)
遠山慶子、ドビュッシーを弾く
https://mikiki.tokyo.jp/articles/-/23305
☆ルドルフ・フィルクシュニー〔ピアノ〕/ショパン:ピアノ・ソナタ第3番ほか(Weitblick)
フィルクシュニー ベルン・リサイタル1976年3月16日
https://mikiki.tokyo.jp/articles/-/22449
☆ライナー・キュッヒル〔ヴァイオリン〕、加藤洋之〔ピアノ〕/
→最高の楽器で奏でる凛とした美音。プフィッツナーのソナタはブラームスを口調はもっとガチで言うことはもっとねちっこくした雰囲気。キュッヒルの鋭い質感のアプローチが曲想を分かりやすく伝える。余白のクライスラーや「薔薇の騎士」のワルツもシャープなタッチの好演。
ハンス・プフィッツナー:ヴァイオリン・ソナタ/ライナー・キュッヒルhttps://mikiki.tokyo.jp/articles/-/22449
★ロリン・マゼール指揮、ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団/ワーグナー:楽劇「トリスタンとイゾルデ」(キングインターナショナル)
ワーグナー:楽劇「トリスタンとイゾルデ」(全曲)/ロリン・マゼール、ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団
石原慎太郎が呼んだ!?マゼール指揮の「トリスタンとイゾルデ」【ほの暗い響きのうねり】 - アフターアワーズ
https://tower.jp/article/campaign/2019/12/02/01/13
今年も読んで下さり、ありがとうございました。皆様、よいお年をお迎えください。
11/29:菊地裕介ピアノリサイタル2019【鍵盤で昇華された「夢と幻想」】
夢と幻想で結ばれたプログラム。くるみ割り人形が子供のメルヘンなら、幻想交響曲は大人のちょっと危険なもの。もっともくるみ割り人形にも探れば妖しい要素はある。
ピアノで接するとチャイコフスキーの一部がフランス近代っぽく聴こえたり、ベルリオーズの各所にベートーヴェンのエコーを感じるかと思えば、ワーグナーやドビュッシーへ繋がるものが浮かぶ。 こうした感じ様は菊地裕介さんの曲芸的にやらず、愚直なほど誠実に諸要素を解きほぐしたアプローチによるところが大きかったと思う。
ベートーヴェン:3大ソナタ≪悲愴≫≪月光≫≪熱情≫ 菊地裕介
チャイコフスキー=プレトニョフ: 演奏会用組曲「くるみ割り人形」/黒岩航紀 Tchaikovsky: Sleeping Beauty Op.66, Nutcracker Op.71, Children's Album Op.39 アンナ・マリコヴァ
石原慎太郎が呼んだ!?マゼール指揮の「トリスタンとイゾルデ」【ほの暗い響きのうねり】
日生劇場の誕生にあたって石原慎太郎氏と浅利慶太氏がいわばオープニングプロデューサーを務めたことは以前に記した。
そしてこけら落とし公演として招聘されたのはベルリン・ドイツ・オペラ。海外オペラハウスの引っ越し公演は史上初、日本洋楽受容史上に残る快挙だった。石原氏は『わが人生の時の人々』(文藝春秋;2002年〔文春文庫;2005年〕)に次のように記している。
さてその劇場のこけら落としの出し物だが、多少の金がかかってもその分の料金を出し物が画期的なら客受けもするはずだと、今思えばとんでもない企画を立てたが、それがまんまと図に当たり結果として大成功だった。
とにかくあの有名なベルリン・オペラを丸ごと呼ぼう、裏方も何かもすべてのスタッフを呼び寄せてやって来ないのはオペラハウスだけという規模の、完璧なベルリン・オペラを東京で実現しようということになり、現地の有力新聞も旨く乗せてしまってドイツ政府も動き出し、結果全スタッフに加えてリュプケ・ドイツ大領領の来日までも決まり、その答礼に日本側では天皇陛下の来臨行幸とまでなった。
(中略)初日当日の出し物のオペラはベートーベン作の「フィデリオ」で、最終章に検察官役の当時世界最高、全盛期のバリトン歌手のフィッシャー・ディスカウが辺りを払って登場するクライマクスには皆痺れたものだが、その前の前、両国元首を迎えての国歌吹奏でベルリン・オペラフィルが演奏した国歌「君が代」の印象はなぜか日本のいかなるオーケストラの演奏ともひと味ふた味違っていて、きわめて印象的だった。
その印象は一人私だけのものではなかったようで、幕間に出会った文藝春秋新社の池島信平氏が、
「いやあ石原君、オペラもいいがなんたってひさしぶりに君が代らしい君が代を聞いたよ」
と相好崩してくれたのが嬉しかった。
劇場のこけら落としに絶対にワグナーを、それも必ず「トリスタンとイゾルデ」をと主張したのは企画担当の私のエゴだったのだが、やはり満喫させられた。
何度か上演されたこのレパートリーに限っては役得で、そのたび劇場のどこかで眺め鑑賞したものだが、そのたび印象的だったのは三幕最後のあのイゾルデの絶唱「愛の死」の折に、当時売り出し中の、今では世界のグラン・マエストロに成りおおせた指揮者のローリン・マゼールが、指揮しながら曲のクライマクスで大きく腕を振り体をのけぞらせて斜め後ろを振り向くと、そこに新婚早々の夫人が両手で胸を抱くようにしうっとりと彼を見上げているのだった。
実はこれには厄介な伏線があって、なにしろ評判の興行だったからオペラの券はたちまち完売してしまったが、マゼールが指揮する際の指揮者の左斜め後ろの席は夫人専用と決まっているのだそうな。ところがそれを知らずに切符を売り尽くしてしまい、もちろん指揮者の奥さんのための席はしかるべく準備はしてあったのだが、マゼールにいわせると彼等二人のためにその席は絶対に必要なのであって、熱烈な恋愛の後結婚した夫人がいつもの席に座っていないのなら自分は指揮はしない、出来ないという。
しかしその席はとうに熱烈なオペラファンの手に入っていて、当人は絶対にこの席をゆずる訳にはいかないと。といっても肝心の指揮者が指揮しない、指揮出来ないのでは話にならず、くだんのお客を懸命に口説き落とし、その引き換えに劇場の大事な関係者のためにとっておいたグランド・サークルの一番前の桟敷をただで提供さぜるを得なかった。
ということでいよいよ本番となりあの甘美な「トリスタンとイゾルデ」の上演、そして最後の最後の、私にとっては世界の音楽の中で一番官能的な「愛の死」の絶唱で、あのうねっては押し寄せ、砕け落ちては引いていき、そしてまた切りなくうねっては押し寄せる輝く波のような甘美極まりない旋律の中で、指揮の棒を振る当人も、眺める彼女の方も共に相重なったエクスタジーの中にいるだろうから、眺めていてもむべなるかなという感じではあった。
最近また久し振りに東京でマゼール指揮の演奏を聞いたが、その指揮ぶりは彼がさらに円熟しきってまさしく世界のトップの中のトップの巨匠に成りおおせたのを証していたと思う。演奏の後楽屋を訪ね敬意を表したが、
「あなたは実に見事に円熟しましたね」
私がいったら昔のことを覚えていて、とても嬉しそうにしてくれたのも嬉しかった。
しかしそこで紹介された奥さんは、あの日生劇場のこけら落としの折、彼がかなでさせる「愛の死」にうっとりと聞きほれていた件の女性とは違っていたが。
(文春文庫版、pp.429-pp.434、表記は原文のまま)
1963年当時のマゼール夫人はレザー会社の相続人の女性のはず。ただこの方は三浦淳史氏の『演奏家ショートショート』(音楽之友社)によれば「決して劇場にいかない人だった」らしいので別の女性あるいは石原氏が話を盛った可能性もある。最後の落ちで登場する「奥さん」は3人目のディットリンダ夫人だろう。
なお石原氏は後年「現代の《トリスタンとイゾルデ》」と自称する小説『火の島』(幻冬舎)をものした。これは氏を代表する奇作として名高い。
ときにベルリン・ドイツ・オペラの初来日公演のうちベーム指揮の「フィデリオ」(初日ではない)・「フィガロの結婚」・ベートーヴェンの第9交響曲、ホルライザー指揮の「ヴォツェック」は後年ライヴ録音が発売された。一方、事実上の日本初演だった「トリスタンとイゾルデ」の演奏内容はずっと想像するしかなかった。
2019年11月、その「トリスタンとイゾルデ」のCD化がついに実現した。思いのほか良い音質で当時33歳のマゼールの躍動感あふれる音楽作りがしっかり聴ける。ぐわぐわと高まる響きは強いエネルギーを発し、その場の空気の揺れを感じられるほど。なかでも第3幕前奏曲の地の底から現れる重く翳の濃い音楽は日本のオーケストラでは今なお聴けない質感であり、当時の日本の聴衆にはショックだったろう。
冷戦下、国立歌劇場が東ベルリン側へ行った状況を想うと、ベルリン・ドイツ・オペラのメンバーは西ベルリンを背負う存在として自由世界の日本において高いテンションで演奏に臨んだと思うし、そういった政治的背景も招聘実現の理由だと推測する。
日生劇場では現在、日本の団体によるオペラ興行が定期的に催されている。かつてベルリン・ドイツ・オペラが日本のオペラの歴史を拓いた場所にふさわしい水準の上演であることを切に望みたい。
ワーグナー:楽劇「トリスタンとイゾルデ」(全曲) ロリン・マゼール 、 ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団
ワーグナー名曲集 ロリン・マゼール 、 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 、 ピッツバーグ交響楽団 、 ヘスス・ロペス=コボス 、 シンシナティ交響楽団
マーラー: 交響曲第2番「復活」 ロリン・マゼール 、 読売日本交響楽団
11/2:コクミンテキギロン☆しようSP@shibuyacast【党派性を超えた共通認識】
イヴェントの主催者はこちら。
テーマ「どうする?どうなる?憲法9条どことんギロン」
《討議者》※50音順※
石破茂(衆議院議員〔自由民主党・鳥取県第1区〕・元国務大臣・元自由民主党幹事長)
玉木雄一郎(衆議院議員〔国民民主党・香川県第2区〕国民民主党代表)
《コーディネーター》※当日の紹介順※
水上貴央(弁護士)
倉持麟太郎(弁護士)
序論:立法から考える現在の日本の本質的課題
水上氏から3氏に対して国家観を探る意図として以下の質問を行い、回答を求めた。
「もし自由に法律を1本作れるもしくは改正できるとしたら何をしますか」
山尾氏は「(皇室典範を改正して)女性が天皇になれるようにしたい。日本は(憲法の最初に記される)天皇の権威と内閣総理大臣を頂点とする権力の2つの中心がある楕円の構造になっている。これはいいことだと思う。なぜなから権力側は基本的に多数決の論理だがそれが良くないこと、間違いを犯すケースもある。もうひとつ多数決の論理に縛られずに存在する要素があったほうが国として健全。しかし現在の男系男子に皇位継承が限定される状況では皇室が先細り、いずれなくなるのは明らか。女性天皇、女系天皇、女性宮家の道を開き、皇室が続くようにしたい」と述べた。
この意見を伺っていて中曾根康弘氏の『自省録-歴史法廷の被告として』(新潮社;2004年〔新潮文庫;2017年〕)の一節を思い出した。
日本の国家構造は、象徴天皇の権威と、現実的権力の運営者である内閣総理大臣との二重構造です。かたや超越、こなた俗界の二重構造なのです。まず伝統的権威、国民統合の中心としての象徴天皇をいただく構造があり、現実の国家権力は、立法、司法、行政の三権の間のチェック・アンド・バランスで運用され、その中心に首相がいるもう一つの構造がある。この二重構造は日本の特徴であり、見事に機能しています。
政治とは、お世辞と生死の間を往復するものです。どぶ板を踏み、時に間違って道端の地蔵にまでお辞儀をするくらいお世辞を振りまかなければ、大衆民主主義の現代では当選はおぼつかないです。俗物と言えば俗物ですが、当選した議員には、人間の生死に関わる重大な案件を処理する厳粛な職務があるのです。
加えて首相は、与野党の攻防、ジャーナリズムの批判、世論の毀誉褒貶の真っただ中に身を置いて、政権を運用しています。権力に近づき、それによって自己の理想を実現しようとする者は、”俗物中の練達者”であり、俗物の一員である首相は、傷つき倒れることもあります。政治家には汚辱と栄光がつきものです。
しかし、政権が汚辱で倒れても、日本には超越的存在としての天皇陛下がおられます。俗界の飛沫は天皇には及ばない。否、及ぼさせてはならないのです。この二重構造によって、日本の伝統と民主主義との調和があり、求心力と遠心力の均衡、いわば歴史的知恵の作用で、日本の自由民主主義は維持されていることを認識すべきなのです。(pp.39より)
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皇室と皇位継承の維持は大切だが女性天皇、女系天皇、女性宮家を取り入れた場合、外戚が大幅に増えるなど皇室は相当大きく変容する。そうしてまで皇室を維持するのか文字通り「コクミンテキギロン」に値するテーマだろう。
玉木氏は「財政法を見直し、国債の発行対象を適正化する一方、”こども国債”を発行して教育や科学技術に必要な財源を確保する。平成最初の予算と最後の予算を比較したとき、公共事業や社会保障への支出は大幅に増え、それに伴う国債発行を賄う国債費も増大した。一方で文教や科学技術関連予算は約5兆円で殆ど動いていない。アメリカやチャイナを見ると大幅増、軍事関連の研究開発費も入れたらまさにけた違い。社会保障は安定財源で賄い、文教や科学技術にお金を注げるようにしたい」と提案した。
石破氏は「安全保障基本法が必要だ。日本に基本法は現在50ある。なのに安全保障の基本法がないのはおかしい。重要問題には基本法のもとに手続法があるのが当たり前なのにそうなっていない。あと付け加えるなら日本の東京一極集中は世界的に特異。是正法を作るべき状況」と持論を展開した。
期せずして皇室、財政、安全保障と憲法を論ずる以前に日本の抱える本質的課題が三氏から明確に提起された。秀逸な質問だったと思う。
本論:憲法9条をめぐる問題
山尾氏は「個別的自衛権の保持を憲法9条に書き込む。それによって日本が持つ防衛力の質的制限をある程度かけられる。アメリカの戦争にそのまま付き合うことはしないというスタンスを取る。仮に日本が将来集団安全保障の枠組みに加わったとしても進んで武器を取って出ていくことは困難であり、求められもしないと考える。戦争が終わった後の平和構築、維持における貢献がメインだろうし、そこに注力するのが妥当」と述べた。
石破氏は「憲法9条第2項は削除し安全保障基本法を定める。(憲法9条)第1項はパリ不戦条約などに起源をもち、似た内容の条文を持つ国もあり、さほど特殊なものではない。しかし第2項は現在の自衛隊を考えれば”必要最小限”だから”陸海空軍のその他の戦力”にあたらないと言うのは無理だし、交戦権を認めないとはなんのこっちゃという話。領土、統治機構、国民を守らなければならない事態に自衛隊は出動する。その時規範となるのは国際法、ここに基準を置かないと(前述の目的のために)組織的殺人を許されているのに(警察のような話では)自衛隊員個人の判断に委ねられることになり、成り立たない。憲法9条を守ると言うひとほど日本の外交、安全保障政策を”アメリカ言いなり”と批判する。おかしな話。自らの国を自ら守れない状況でどうやってアメリカ言いなりから脱するのか。
(自衛隊の活動範囲、集団的自衛権の問題は)我が国にとって死活的利益が懸かっていれば地球の裏側でも行く。なければ隣でも行かない。アメリカが唯一の同盟国と言うが裏返せば一か国しか同盟してくれないとは情けない話。集団安全保障の枠組みにどう入っていくか考えなければいけないし、まず基本として自らの国は自ら守ることだ」と改めて生来の主張を整理して述べた。
玉木氏は「現在の憲法9条には規範性がないのが問題。ライオンがいて檻が必要なのに全然機能していない。きちんと檻を作る必要がある。規範性のない状況を存続させる意味で憲法9条をそのまま守り続ける主張と安倍首相の言う”第3項を設けて自衛隊を書き込む”案は一緒の話。防衛の質的、空間的な拡大を踏まえた規範性を憲法に持たせないと危うくなる」と教条的護憲論の危うさも含めて指摘した。
はっきり言葉にした玉木氏はもとより他の二氏も安倍首相の提起する「第3項加憲案」を否定した。また序論と本論の間に水上氏と行われたやり取りの中で政局に関係なく憲法調査会の議論を行うのが妥当だという一定の共通認識が示された。
僭越だが本ブログ筆者の憲法9条に関する見解は下記リンクに記載している。
補論:第9条以外の憲法改正の論点
山尾氏は今の三権のバランスが行政に偏っていることを指摘し、衆議院解散権の制約や憲法裁判所の設置を提唱。そして政権交代の必要性を主張し、同一選挙区からの立候補制限も提案した。
石破氏は最高裁判所裁判官の国民審査を見直すことや参議院を真のチェック機関、本来の上院の在り方に近づける二院制の改革が必要とした。また原爆投下の意図や占領期の法執行などに触れつつ「知れば知るほど怖い国だ」との対米認識を示し、自主防衛の必要性を強調した。他の二氏も対米関係の再検討について触れ、玉木氏は日米地位協定の見直しに言及した。さらに石破氏は世界の人口が増えるなか日本は人口が減る現実を指摘し、危機感とともに婚姻率と出生率を上げるための政策実現を説いた。
玉木氏は食糧安全保障の明文化と全議員の4分の1以上の要求があった場合の臨時国会開会の義務化を主張。石破氏は後者に関して先に自身が述べた点と合わせて2012年の自民党案に入っていると同調した。
エピローグ
国会の委員会やテレビの討論会と異なり、三氏がお互いの話をしっかり聞いたうえで論理的に自らの立ち位置を明らかにした時間だった。各氏の放った磁場を検討すると違いがある反面、共通項も見いだせた。例えば安全保障政策に関する規範の必要性、日米関係の重要性は押さえつつ、自律自助の要素を高めなければならないことなど。
憲法9条にまつわる話題は政治家はもとより一般人の間でも党派性むき出しの不毛なやり取りになりがちだが、よく解きほぐして話し、相手の話に耳を傾ければ、主張の背後にあるものが浮かび、そこから現状に対する問題意識が共有される可能性はあろう。石破氏は「9条を一言一句変えないと言うひととこそ話したい」と仰った。見識だと思う。また個人的なことだがずっと心にためてきた最高裁判所の国民審査について石破氏が言及して下さったのはありがたかった。
ただ現状として憲法9条がすぐ改正される、安全保障基本法が直ちに作られることはない。ホルムズ海峡への自衛隊派遣が検討中のなかで憲法の文言との整合性ではなく、日本の国益との整合性に基づく安全保障政策の議論が国会で行われることを強く要望したい。
最後に三氏はもちろんイヴェントを開催、円滑に運営なさったコクミンテキギロンの主催者カルテットとコーディネーターの水上、倉持両弁護士に心から感謝申し上げます。
※文中一部敬称略※
10/27:黒田玲兎11周年live「ウサギノユメ11」【成熟の異空間】
黒田玲兎は作曲、ピアノ、ヴォーカル、空間演出の全てを手掛け、あふれる色彩と陰翳の交錯する音楽詩情世界を繰り広げるアーティスト。
約半年ぶりにライヴ(夜の部)へ足を運んだ。
《セットリスト》
-SE:Distance-
WANT
A loof flower
アイムソーリーアイムレイト
kandy
チョコレイトリップ
-impro-
夜に想う、二月
貴方の腕(かいな)が降りるとき(弾き語り)
yuutenji
Piano
Don't know 'bout wine
Rock'n'roll Rabbit
※アンコール※
三拍子のうた(弾き語り)
僕たちの合言葉
ピアノの放つ閃光から抉りのきいたヴォーカルが舞い上がるのが黒田玲兎の世界。そうした予定調和的思い込みは最初の2曲でするりとかわされた。あまり耳にしないナンバーをまろやかな質感の重心の低いピアノの上に線の太いヴォーカルがじっくりと響き合い、地に足の着いた音空間を構築していく。名刺代わりの曲「ウェザーニュース」でそのコンセプトはより明確になった。いったん曲を解きほぐし、一から組み上げており、通り一遍の答えを出さないメッセイジの面白さ、それが醸し出す余韻を丁寧に描く。
キーボードへ移って奏でるナンバーも以前のライヴで聴けた強い吸引力により空間と聞き手を否応なしに巻き込む雰囲気から、それぞれに滲み込むタッチの音楽でおのずからひとつの音空間が生まれるスタイルに転換していた。
それは決して持ち前の艶やエネルギーが薄らいだわけではなくより熟した、聴き手としなやかに響き合う良さ。improの煌めきを経ての3曲のたちこめる翳の濃さ、静々と聴き手を異世界へ誘う音詩のさざ波の魅力は素晴らしく、ラストからアンコールまでの温かな盛り上がりへと繋げた。またドラムスの上岡憲外が少し重めの押し引きで支えたのも今までと違った充実感に貢献した。
熟れた味わいを身につけたサウンドに黒田玲兎の深まりと挑戦心を垣間見た一夜だった。