傑作とは思いもよらぬところからスタートし、磨かれ、形になるのだと思い知らされる。重要な順番にテーマ、人物の彫り(本文から)、ストーリー。単なる回想録を超えた映画論、シナリオ論、評論のあり方への苦言まで含んだ汲めども尽きぬ内容。映画を少し踏み込んで見たいひとは必読。
メータ指揮、IPOのマーラー交響曲第1番(DECCA)【モリモリ迫る音塊】
突き進んだかと思えばタメを作り、念押しする。そしてまた突っ走る。メータ全盛期の才気が押し寄せる。イスラエルフィルの一段腰の下りた凝集感のあるサウンドもいい。打ち物が腹に来る好録音。#黄金の1970年代 #デッカ #decca #ユニバーサルクラシック #ズービンメータ #メータ #全盛期 #マーラー #交響曲第1番 #cd #セッション録音 #イスラエルフィルハーモニー管弦楽団 #イスラエルフィル
併録の交響曲第10番アダージョ(ロサンゼルスフィルハーモニー管弦楽団)は瑞々しい音彩の瞬く、すっきりした柔らかいハーモニーで仕上げている。作品の美しさを聴き手に近づける演奏。40代前半までのメータの表現力がどれほど豊かで拡がりのあるものだったか実感する1枚。
メータ/マーラー:交響曲第1番≪巨人≫、交響曲第10番-アダージョ<限定盤>
ズービン・メータ(指揮) ロサンジェルス・フィルハーモニック/ブルックナー:交響曲第4番「ロマンティック」
Zubin Mehta - Symphonies and Symphonic Poems
この後メータは名門ニューヨークフィルハーモニックの音楽監督に就くが40代後半から次第に色あせる。その辺りは過去のブログで取り上げたので省略。
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インチキ留学生&実習生依存からの脱却が先決【新在留資格制定に思う】
日本政府は先頃、新たな在留資格の検討に着手した。国の活力維持の観点において有為の人材が外国から来るのは素晴らしいこと。
しかし現在の日本は非常に不健全な形で外国人労働者が氾濫し、社会と当事者に双方にとって悪い状況になっている。新たな制度開始前にここを正すことが重要。
留学生とは名ばかりのアルバイト目的の若い連中がゾロゾロやってきてコンビニ、ファーストフードのみならずホテルにまで潜り込んでいる。しかもこういう連中目当てに日本語学校がバブル状態、専門学校に至ってはインチキ留学生の存在で経営が成り立っている体たらく。大体本気で勉強しようという人間が日本なんかに来るはずがない。普通新興国の向学心のある人間が目指すのはアメリカもしくはイギリスだろう。留学目的と言ってやってくる連中へのチェックを厳しくして、本当に有望な人材なら学業に専念できるよう官民でサポートすればいいし、よく分からんのは門前払い。
また技能実習生と称する人間が入り込み、日本側が安易に労働者としてこき使っているのも日本社会の恥部。最近ようやっと問題化し、整理する動きなのは好ましい。
そもそも人手不足への対応は日本人の労働者をきちんと作って供給して解決するのが筋道。やり方は簡単。
- 6-3-3の小中高の教育制度を5-4-4に改める。
- 中学の2年修了時に高等教育に進む人間と労働者になる人間に選別。前者は高等学校に行く準備をする。高等学校やその先に進めるのは原則として、
- お金のある家庭で頭のいいひと。半分程度学費自己負担。
- お金のない家庭だが頭のいいひと。学費完全無料。場合によっては生活費や海外留学費を援助。
- 頭はそこそこだがお金のある家庭のひと。試験の成績に応じて負担額を決定。
- 1.~3.にあてはまらない後者は2年間の間にどんな道で身を立てるか職業体験などで考え、方向付けを決めて4年(職種によっては5年)制の職業訓練学校に進む。ここでは前半の2年(3年)で必要な知識や資格を身につけ、後半の2年は実際の企業に勤める。学費は完全無料で後半の勤務期間は国が給料相当分を支給する。そして卒業後は当該企業に正式入社して働いていく。財源は半分国が持ち、半分は民間の負担とする。もし資金面、雇用面でこの学校に協力する企業は税制面もしくは社会保障費負担での優遇を設ける。
こうすればいわゆる教育無償化が節度ある形で実現し、人手不足の職種に即戦力の良い人材を供給できる。
一方で研究者、日本で新しいビジネスを志すひとなど高レヴェルの外国人はきちんとしたルールを定めたうえで積極的に受け入れ、日本経済や科学技術の成長につなげる。
不健全な外国人利用から脱却し、日本人と外国人が役割分担しながらかみ合って健全で活力ある日本をつくることが重要。
レナード・バーンスタインの命日に寄せて【1990年10月14日】
2018年は生誕100年。あまり盛り上がらず。
クラシックを聴き始めた1995年頃、バーンスタインの録音中でマーラーに次いで評論家筋の支持を集めていたのがWPhとのベートーヴェン、ブラームス。しかし21世紀に入ってからは殆ど見向きもされてない。
正直シンフォニーとしては弱い。部分部分できれいな成分はあるが散漫。第1、2、4楽章のどれかを肉切りして単独作品で送り出すか、再構成して20分程度の交響詩もしくは幻想曲にまとめていたら違ったかも。
逆にこの15年ほど、かつて粗っぽいと揶揄されたソニー時代の録音が「セッションなのにライヴ感がある」「熱いが晩年のようにくどくない」と再評価されている。
シューマン:交響曲第3番「ライン」&第4番他<期間生産限定盤>
ワルキューレの騎行~ワーグナー:管弦楽曲集<期間生産限定盤>
ブリュンヒルデの自己犠牲~ワーグナー名演集<期間生産限定盤>
ゴルトマルク:交響曲 第1番「田舎の婚礼」他<期間生産限定盤>
ドヴォルザーク:交響曲第7番 スメタナ:歌劇「売られた花嫁」より|交響詩「モルダウ」<期間生産限定盤>
上記CD収録のバッハ。よくこんな顔ぶれが成立したものだ。
1976年10月17日、バイエルン放送交響楽団との国際アムネスティコンサート。強靭で包容力のあるサウンド。ここから次第に苦渋の晩年。
ベートーヴェン: ピアノ協奏曲第4番, 交響曲第5番, 他<タワーレコード限定>
1983年11月、バイエルン放送交響楽団とのブタペスト演奏旅行。7年で体形が一変。
1985年9月7日、IPOを振ったザ・シンフォニーホール(大阪)でのライヴ収録。愛おしい瞬間はあれど殆ど個人的音楽。ラストのティンパニ追加はいささか悪趣味。
1985年8月6日、ECユースオーケストラを指揮した広島郵便貯金ホールでのライヴ収録。ちょっと「?」な選曲だが老眼鏡姿で楽譜に目をやりながら自作と向き合う姿に不思議な感慨を覚える。
メモで築いた危機管理の要諦【佐々淳行さんをしのぶ】
ある時期まで「現場の経験に基づいた危機管理」「国益を踏まえた治安対策」のジャンルを語れるひとは佐々さんと森本敏・拓殖大学総長くらい。従って自らの功績を誇大に語る、何でも自身の関わった事件に引き付けて話す傾向はあった。ただ佐々さんの言説には現役時代からコツコツ記録したメモとその検証が背後に潜んでおり、また専門用語をこねくり回さずに話せたので単なる「正論」以上の説得力を放った。
警察庁や内閣官房で佐々さんの上司だった後藤田正晴・元副総理は、佐々さんの言論活動に時折渋い顔をしたが自身のオーラルヒストリーであさま山荘事件を語った際に佐々さんの「メモ魔ぶり」「メモに基づいて書くことの正確性」は認めていた。
この関係のことは佐々淳行君が『連合赤軍「あさま山荘」事件』で書いていますよ。あれはいろいろ厳しいことを書いているんですが、彼はいわゆるメモ魔なんです。毎日朝からのことを全部名刺の端に書いたり、紙切れに書いたりしてあるんです。そして夜一時間かけて、それを全部整理するんです。だから彼と論争すると負けるんです。そんなことありませんと言って全部見せられる。たいへん厳しい事件ですね。
佐々君の本は間違いありませんね。
現役時代、退官後を通じて派手に立ち回った割にスキャンダルめいた話はあまり聞かなかった。知性と矜持の漂う、最後の名官僚のひとり。
佐々淳行さんは10月10日に87歳で逝去。
10/6@園田高弘Memorial Series in 2018【偉人の吸引力で集った名手たちのショパン】
ドイツと日本を中心に生涯現役で活躍したピアニスト、園田高弘(1928-2004)のことは幾度かブログに記した。
没後10年の2014年から生前接点のあったピアニストなどが「Memorial Series」と題して園田高弘に捧げるリレーリサイタルを行っている。生誕90年の2018年はショパンでかためられた。東京文化会館小ホールは殆ど満席。
〔曲目〕※全てショパン作曲※
バラード第1番:新納洋介
バラード第2番:松本和将
バラード第3番:宮谷理香
バラード第4番:大崎結真
~休憩~
3つのマズルカ作品59:川井綾子
スケルツォ第2番:髙橋望
子守歌:平井千絵
舟歌:島田彩乃
幻想ポロネーズ:三木香代
2つのワルツ作品69/マズルカ作品68-4:青柳晋
数々の国際コンクール上位入賞歴を誇る大崎結真、ショパンのエキスパートといえる1995年ショパン国際ピアノコンクール第5位の宮谷理香や1985年同コンクール(園田が審査員を務め、S.ブーニンが優勝して大フィーバーに)でマズルカの演奏が高評価を得た三木香代、ロマン派ピアノ曲の演奏・録音機会が多い松本和将と青柳晋、そして近年バッハ演奏で実力が広く認められた髙橋望まで文字通り多士済々。それぞれの方向から誠実にショパンと向き合い芯の通った音楽を聴かせた。
宮谷、大崎のシンプルで潤いのあるバラード、楽想の変転をズバッと浮き彫りにした髙橋望のスケルツォ(客席の反応は1番)、柔らかいタッチでじんわりと感興を高めた三木の幻想ポロネーズがとりわけ耳に残った。
米ゴルフPGAツアーのメモリアルトーナメントは創設者ジャック・ニクラウスの意向で毎年「顕彰選手(メモリアルオナラリー)」が選ばれる。当人が存命なら会場に招き、ニクラウスとコース内に造られたレリーフの除幕やトークショーを行う。また歌舞伎の世界では追善公演が大きな位置づけとなっている。しかし日本の特に音楽の世界では武満徹などの特別な例外を除くと先人の功績をしのびつつ、現在とこれからを担う存在が何か披露する公演は殆どない。従って「園田高弘Memorial Series」が開かれ、しかも継続しているのは素晴らしい奇跡。園田高弘という名前が持つ一種の吸引力が関係者を動かし、アーティストと聴衆を集めているのだろう。
※文中敬称略
宮谷理香(ピアノ)/音楽の玉手箱 Vol.2 -コン・アニマ-
「蔵前の星」大横綱輪島大士さん逝去
現役時代はもちろん、プロレス時代も記憶にない。ただ亡き父がファンだったらしく、相撲の話になると「輪島は強かった」と必ず言うので名前は子供の頃から知っていた。
映像で見ても右の絞り(押っ付け)、それをてこに繰り出される「黄金の左」からの強烈な下手投げや引き付けての寄りは雄大な見栄えのする相撲。カラーテレビが普及し、大相撲とプロ野球がお茶の間のスポーツ観戦の中心だった時代にふさわしい力士といえた。現役後半の金の締め込みはその象徴。
1972年秋場所ともに関脇での対決。両者の下半身の粘り、しなやかさに驚嘆。場所後同時に大関昇進。
1974年名古屋場所。本割、決定戦と次の場所に横綱昇進する北の湖を裏返し、先輩横綱の強さを刻み付けた。締め込みが金じゃないとえらく新鮮に見える。「貴輪」と言われていたのが貴ノ花が大関で止まり、一方北の湖が当時最年少で横綱に上り詰めて「輪湖」となっていく。
1977年名古屋場所。巻替えの応酬の末、半身からの寄りで北の湖を下した一番。翌年の名古屋では北の湖が水入りの熱戦の末に雪辱して全勝優勝。
豪放な挿話ばかり際立つが上半身と下半身をバランスよく鍛えて自身の型を身につけたことは理にかなっており、親方として成功する可能性も十分あったろう。醜聞、ありえない失態で指導者の道を絶ったのはもったいなかった。
角界を追われて23年余りがたった2009年初場所、好角家のデーモン閣下と当時の北の湖理事長の計らいでNHK大相撲中継への出演が実現した。いくらか心慰められたか。
この数年で初代若乃花、大鵬、北の湖、千代の富士、佐田の山、輪島など大相撲が子供たちの楽しみの中心だった時代の大横綱が鬼籍に入った。昭和の大相撲に文字通り幕が引かれた。
輪島大士さんは10月8日夜に逝去。70歳だった。