実演でこそわかる魅力と難しさ【2019/4/12@信時潔:交声曲「海道東征」コンサート】
本日はこちら。#4月12日 #平成31年 #信時潔 #海道東征 #大友直人 #東京フィルハーモニー交響楽団 #東京芸術劇場 #クラシックコンサート #クラシック音楽
チラシの通りの名目で行われた演奏会のため、神社関係者や政治家、保守系の学者などがズラリと客席に居並び独特の雰囲気。
メインの「海道東征」は皇紀2600年(1940年)を記念して書かれた一種のカンタータで古事記の神武東征をテーマとしたもの。時節や題材から勇ましい作品を連想するが殆どそうした色はなく、伸びやかで潤いのあるしなやかなサウンドが基調の約50分の作品。オーケストラの規模は二管編成にピアノが入る。
確かに古事記・日本書紀を基にした北原白秋の歌詞(字幕あり)は天皇や皇室を称える色が強いが言葉の重々しさを別にすればよほど反皇室のひと以外には概ね受け入れられると感じた。格調高い内容の歌詞のところでバックに木管をあてるケースが多かったのは興味深く、これは実演でこそ視覚的に実感できたこと。
豪華な顔ぶれの独唱陣、合唱団はともに好演で慣れない古語の歌詞にうまく対応、凹凸もきれいにつけていた。こういう式典系コンサートの常連である大友直人の指揮はそつなく流麗なまとまりを構築。ただオーケストラは作品に不慣れなためか、さほど難しいスコアじゃないのによろめく場面が若干あった。英国のように自国作品大好きのお国柄ならありえない話だが仕方ない。こういう作品が近年になって時々実演にかかっている状況をありがたく思わなければ罰当たり。
声とピアノのダイヤモンドが輝き合う【2019/7/18:西村悟&阪田知樹デュオリサイタル】
2016年フランツ・リスト国際ピアノコンクール優勝以降、進境著しいピアニスト阪田知樹については幾度か取り上げた。
そして元号も「令和」に変わって迎える7月、テノールの若手注目株の西村悟とのデュオリサイタルを行う。
今月2日より7月18日(木)神奈川県立音楽堂での公演が発売となりました‼️「傑作オペラのハイライトをピアノソロと歌で」や日本歌曲にショパンやリストの名曲など盛りだくさんのスペシャルプログラムとなっております💡お楽しみ頂けること間違いなしです!!
— Tomoki Sakata 阪田 知樹 (@TomokiSakata) April 4, 2019
詳細👇https://t.co/IYg8LXYAop pic.twitter.com/AuDWUTQojV
単に歌とピアノソロを並べず、ビゼーの歌劇「カルメン」の「花の歌」とブゾーニ編の「カルメン・パラフレーズ」、ヴェルディの歌劇「リゴレット」の「女心の歌」とリストの「リゴレット・パラフレーズ」という具合に対称性も絡めたプログラム。人気急上昇中の両者がどんな化学反応を響かせるか、大注目。
「予習病」が災いして【2019/3/10@坂入健司郎指揮、東京ユヴェントス】
ソリスト、指揮共に奇妙でない清新な表現を打ち出し、面白い部分は多かったが事前に過去の名演奏を聴きこみすぎ、お腹いっぱい状態だったせいかいまいち入り込めず。ひとを迎えに行く予定があったので最終和音が鳴り終わると同時に席を立った。
クラシックを聴き始めて約25年、予習し過ぎで痛い目に度々あってきたが未だに懲りない。もはや不治の病か。
intoxicate#138「俵孝太郎のクラシックな人々」【”ドボコン”の思い出】
タワーレコードのフリーマガジン「intoxicate」の名物コラム「俵孝太郎のクラシックな人々」。過去幾度が取り上げた。
choku-tn.hatenablog.com2019February(#138)のテーマはドヴォルザークのチェロ協奏曲。俵氏は学生時代の記憶と絡めて作品や演奏に対する思いをシンプルかつ余剰のにじむ言葉で綴る。詳細は誌面を御覧頂くとしてL.ヘルシャー(vc.)+カイルベルト指揮、ハンブルク国立フィルをベストワンに挙げているのはいかにも「らしい」。絶対音楽評論家からは出てこない発想。なお本文前半の主役カサド(vc.)+イッセルシュテット指揮、BPh盤の録音年を俵氏は1931年と記憶しているが実際は1935年。
ヨーゼフ・カイルベルト/テレフンケン録音集1953-1963 (ICON)
Ludwig Hoelscher - The Complete Telefunken Recordings
この作品のことは拙稿でもかつて掲載した。
上記リンク記事以降に聴いたものではレナード・ローズのライヴ録音(DOREMI)が良かった。やや渋めの伸びのいい音で要所を押さえながらしみじみ上品に語る。壮年期のデュトワの指揮はシャープで充実、音質も鑑賞しやすい。
Leonard Rose plays Dvorak, Tchaikovsky, Beethoven &Saint-Saens
Leoanrd Rose: The Complete Concerto & Sonata Recordings<完全生産限定盤>
違う土俵に立つ相手との対話は無益【沖縄県+沖縄県民/韓国】
日米両政府は普天間飛行場と那覇空港から那覇市内までの米軍施設を日本側へ返還するために既に米軍施設のあるキャンプシュワブを拡張して移設することにした。何もないところに基地が作られるわけではないし、基地が増えるわけでもない。
一方、沖縄県と沖縄県民は「辺野古新基地」という言葉を使って移設に反対している。まるで何もないところに新しい基地が作られるみたいだ。
つまり日米両政府と沖縄県や沖縄県民は立っている土俵が全く違う。違う土俵にいるもの同士は対話できないので話し合いは無意味。
これは安全保障や日米の提携関係の将来に関する問題だから「賛成」「反対」「どちらでもない」という文脈で県民投票する話ではなく、日米両政府が「日米や極東の安全保証にとって返還と移設が効果的かそうでないか」「移設と返還の実現が日米の提携関係の将来を考えたときに価値があるかないか」で判断すること。ぶれずに普天間飛行場と那覇空港から那覇市内までの米軍施設の返還が実現するよう、移設を進め続けることだ。
韓国についても似た状況。
日本と日本国民の多数は過去の反省を踏まえつつ、日韓基本条約や日韓請求権協定で国交正常化と一定の清算を図り、経済支援を行い、友好関係を積み上げた歴史を肯定的に評価し、今後もこの延長線上で相互協力の維持発展を図りたいと考えてきた。
一方、いま韓国と韓国国民は日本との国交正常化から現在に至るまでの歴史を否定し、不当な事後処理を強いられ、それに基づく関係を引きずらされてきたと評価している。だから国力が増進した今、「負の関係」の是正に躍起なのだ。
どんな合意にもこぼれるひと、ものは必ず出てくる。そういう部分はお互いが自国の中でうまく収めるか、民間同士の知恵で和していく事柄で外交問題化させるものではない。しかし韓国と韓国国民は全く違う座標軸でものを考えているのだから、両国間の歴史に連なる問題は対話しても成算のない話。
この状況で日本が頭を低くすれば韓国はどんどん踏み込んでくる。というより日本以外の全ての国や国民は普通そう。韓国や韓国国民が云々と言うより日本は自らがそうじゃないから相手も同じだと勘違いしている。さらにまずいことに韓国や韓国国民に余計な知恵をつけて日韓関係を混乱させているのは日本人。学生運動で挫折した欠陥世代とその子供連中が憂さ晴らしに母国の国際的地位を損なう活動に熱心なのだ。
日本政府はこうした現実を冷静に受け止め、韓国政府に現在までの対日関係の積み重ねをどう総括するのか正面から問い、今後どう動くつもりか質すこと。まともな答えがなければ韓国政府との関わりあいをできるだけ希薄にする。政府間でやりとりが無くなっても利害の一致する民間のやり取りは続くし、少なくとも日本に実害はない。変に国・政府同士の友好、協力関係は求めず、割り切った付き合い方をすれば、お互い幸せだろう。
2019/3/10【坂入健司郎指揮、東京ユヴェントスvsベートーヴェン:交響曲第8番】
入念な解析で作品の論理と核心に宿す風土感を瑞々しく響かせる俊英指揮者、坂入健司郎のことは幾度か取り上げた。
2019年3月10日、彼らが再びベートーヴェンの交響曲に対峙する。第5番と第8番。前者は「運命」「ジャジャジャジャーン」のキャッチとともにあまりに有名。
一方、第8番は「のだめ」の第7番と「歓喜の歌」の第9番に挟まれて咲く月見草だが実のところは結構な毒饅頭。とりわけフィナーレの激しい響きのパンチの応酬は現代の一流オーケストラでもかなりの難物。
岩城宏之さんの音楽エッセイ集『音の影』(文春文庫)にこんな一節が。
ぼくがオランダのハーグ・フィルハーモニーの指揮者だったころ、コンセルトヘボー・オーケストラが、ハーグに演奏しにきた。指揮はブルーノ・マデルナだった。素晴らしい作曲家で、そして現代音楽専門の指揮者だった。彼は、ベートーヴェンの書いたメトロノームの指定数字がどんなに変であるか、という世界中の常識を無視して、作曲者の書いた通り、忠実に演奏するので有名だった。
そんな勇気を持つ指揮者は、非常に数少ないのである。だから実際の演奏に節することは、普通あり得ないので、ぼくは楽しみにして客席にいた。
特に第四楽章のベートーヴェンの指定は、一小節、つまり全音符が○=84であり、メチャメチャに速すぎる。コンセルトヘボーのヴァイオリン奏者たちは、なんとかマデルナのベートーヴェンへの忠実な演奏解釈に従おうとしても、半拍で六つ音がある六連音符を、手を痙攣させて四つ弾くのがやっとだった。
ぼくは一生に一度だけこのテンポで聴いたわけだ。勇気をもって信念を実行したマデルナを、ぼくは好きだった。
いまだに論争の絶えないベートーヴェンのメトロノーム指定のなかでもこの○=84は常軌を逸したものとされる。ただ近年は音楽学的解析とオーケストラの演奏技術の相互作用で結構近いところを狙う指揮者も増えてきた。果たして坂入、東京ユヴェントスはどこまでキレた音楽を聴かせるか、ワクワクする。