アフターアワーズ

文化・社会トピック切抜き帖

【My favorite things special】2022年クラシックCD私的ベスト10

本年もたくさんの方々に御覧頂き、ありがとうございました。

note中心になっていますが、クラシック音楽をはじめとする少し軽い話題の発信はこちらで継続できればと存じます。

皆様、よいお年をお迎え下さい。

note.com

さて今回はタイトル通り2022年(令和4年)にリリースされたクラシック音楽のCDから私の選んだベスト10を御紹介(順不同・敬称略)。

ヨーヨー・マ(チェロ)、ジョン・ウィリアムズ指揮、ニューヨーク・フィルハーモニックほか/ギャザリング・オブ・フレンズ(ソニークラシカル)

疑問の余地なく本年最も心に刻まれたアルバム

ギャザリング・オブ・フレンズ

ギャザリング・オブ・フレンズ(輸入)

アンネ・ゾフィー=ムター(ヴァイオリン)、ジョン・ウィリアムズ指揮、ボストン交響楽団/ヴァイオリン協奏曲第2番ほか(ドイツ・グラモフォン)

ボストン交響楽団はいわゆる名門のなかで一番ジョン・ウィリアムズ作品としっくりくる。

ムター・プレイズ・ジョン・ウィリアムズ

ムター・プレイズ・ジョン・ウィリアムズ(輸入)

ムター・プレイズ・ジョン・ウィリアムズ(Blu-ray Disc)

なお、ヴァイオリン協奏曲第1番はこちら。

ギル・シャハム(ヴァイオリン)/J.ウィリアムズ:≪木の歌≫、ヴァイオリン協奏曲、『シンドラーのリスト』からの3つの小品

小泉和裕指揮、名古屋フィルハーモニー交響楽団/リヒャルト・シュトラウスアルプス交響曲(オクタヴィア)

tower.jp

美麗なサウンドが縦横に拡がり、要所のソロの命中率も高い。どこのオーケストラとか抜きにライヴ録音でここまで精度と内容を両立していれば満足できる。

R.シュトラウス:アルプス交響曲

ハンナ=エリーザベト・ミュラー(ソプラノ)、クリストフ・エッシェンバッハ指揮、ケルンWDR交響楽団/リヒャルト・シュトラウス:4つの最後の歌ほか(ペンタトーン)

レコード芸術」のアホな評論家はエッシェンバッハの異常性を理解できなかった。

「象徴」~リヒャルト・シュトラウス: 管弦楽伴奏付き歌曲集

「象徴」~リヒャルト・シュトラウス:管弦楽伴奏付き歌曲集(輸入)

クリストフ・エッシェンバッハ(ピアノ)、カルロス・クライバー指揮、プラハ交響楽団/シューマン:ピアノ協奏曲ほか(Radio Servis)

カップリングのサヴァリッシュ指揮のドヴォルザーク:幽霊の花嫁(1980年ライヴ)も緊迫感のある構築のもと作品の幻想性をスケール大きく描いた名演奏。

プラハの春音楽祭ゴールド・エディション Vol.3

クリスティアン・ツィメルマン(ピアノ)/シマノフスキ:ピアノ作品集(ドイツ・グラモフォン

シマノフスキ:ピアノ作品集

シマノフスキ:ピアノ作品集(輸入)

新野見卓也(ピアノ)/Schmachtend - A Tribute to Richard Wagner(sonorite)

Schmachtend-A Tribute to Richard Wagner

ラルフ・フォークト(ピアノ&指揮)、パリ室内管弦楽団/メンデルスゾーン:ピアノ協奏曲集(ondine)

文字通りの遺作。明瞭なディテール、動きの機敏さ、きっぱりした進行から伸びる陰影は少しも揺るがなかった。

メンデルスゾーン:ピアノ協奏曲第1番&第2番

務川慧悟〔ピアノ〕/ラヴェル:ピアノ作品集(イープラス)

ラヴェル:ピアノ作品全集

ネルソン・フレイレ(ピアノ)/未発表作品集(デッカ)

Memories

生誕95年 指揮者ベルティーニ随想

 
 
 
 
 
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ガリー・ベルティーニ(1927~2005)と出会ったのは1996年11月、シュトゥットガルト放送交響楽団との来日に際してタワーレコード渋谷店で行われたインストアイヴェント。

当時16歳の私の質問に彼は目を見ながら丁寧に答えてくれた。程なく、同年12月1日に東京芸術劇場で行われた公演のテレビ放送を視聴できた。

プログラムはモーツァルト交響曲第40番とマーラー交響曲第1番。

ヴィオラからモーツァルトが始まった瞬間引き込まれた。速めのテンポを軸にシャープな音楽。

しかも、随所でサッと響きを膨らませ、ロマンというか翳の差し込む瞬間がある。その切り返しの鋭敏さに心底驚いた。

後半のマーラーは細かい箇所まではっきり見えて作品解説のよう。しかも音楽の質感はしなやかで千変万化の色彩。濃く暗い感情をにじませる箇所もあるが、決してもたれず響きの明澄さを維持していくのに敬服。さらにフィナーレでホルンを立たすシーンに初めて出くわし、文字通り圧倒された。

1998年、ベルティーニ東京都交響楽団音楽監督に就任。東京都交響楽団の会員(都響メイト)だったので一気になじみ深い存在となった。就任披露演奏会で取り上げたラヴェルの「ダフニスとクロエ」全曲の透明度が高く、情景の変化に応じて硬軟、明暗が千変万化する響きの質感とシャープなリズムの跳ねはまさに鮮烈だった。

ベルティーニと言えばマーラー

1991年にケルン放送交響楽団サントリーホールで行ったチクルスは今や伝説だし、私が聴けた都響との交響曲第6番、交響曲第7番は時が経ったいまライヴ録音を聴いても胸が熱くなる内容。行き届いた解析のうえで振幅の大きい歌いこみ、色合いの微妙な変化を加える技が冴え渡った。とりわけ弦楽器の質感の調整術は本当巧かった。

第6番のアンダンテの深淵は忘れがたい。

マーラー以外では前述のラヴェルヴェルディのレクイエム、ブラームスのドイツ・レクイエムが心に残っているコンサート。

欧州ではオペラ指揮者として名高かったベルティーニ。残念ながら彼のオペラに接する機会は無かった。幸いオペラではないが、ヴェルディのレクイエムを聴けた。奥行きある清澄な雰囲気を保ちつつ、要所ではほの暗い響きによる情念漂うドラマを表出していた。やや短い指揮棒で身体を上下、左右に動かしながら振る姿が懐かしい。

ブラームスのドイツ・レクイエムではオーケストラと声楽の織り成しの美しさ、曇りなき音の背後に浮かぶ陰翳がもたらす余韻に陶然とした。

ベルティーニほど色彩、響きの厚みや硬軟、そしてリズムに鋭い感覚を持った指揮者は稀有。この感覚によりスコアの徹底した掘り起こしはもちろん、解像度を損なわずに濃密な歌いこみ、劇性の発露もやってのけた。そしてマーラーの音楽はこうした彼の持ち味にピッタリだった。一方、あまりにマーラーのイメイジが強く、他のレパートリーの演奏に陽が当たらず残念。

東京都交響楽団との7年がベルティーニにとって幸福だったかは分からない。しかし、彼が都響に来てくれたおかげで、私は一番熱心に演奏会通いをした時期に質の高い音楽にたくさん接する機会を得られた。感謝の気持ちを持ち続けている。

ベルティーニ/ケルン放送響 ライヴ・コレクション

ベルティーニ/ケルン放送交響楽団 R.シュトラウス: 交響詩《ツァラトゥストラはかく語りき》、ブルレスケ

ベルティーニ/ケルン放送交響楽団&合唱団 Mozart: Messe KV.427

ベルティーニ/東京都交響楽団 マーラー:交響曲第7番

ベルティーニ/東京都交響楽団 ブラームス:ドイツ・レクイエム

第76回読書週間(10月27日~11月9日)に読んだ本

投稿の趣旨は昨年の記事を御覧ください。

choku-tn.hatenablog.com

 
 
 
 
 
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二代目中村吉右衛門の当たり役(熊谷直実、松王丸など)と自ら原案を創った歌舞伎(「白鷺城異聞」「藤戸」など)には、「家」「主君」「忠義」の美名のもとに不条理を強いられ、犠牲になるひとを巡る演題が目立つ。吉右衛門の心を離れないものだったようだ。「名優になること」を義務付けられ、屈折や葛藤にもがきながら、年齢を重ねてから光り、人間国宝にまで至ったひとの内面がそこに垣間見える。

2022年9月23日/角田鋼亮指揮、セントラル愛知交響楽団【演奏以外で大波乱】

 
 
 
 
 
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名古屋在住の若い友人(大学院生)の存在に背中を押され、朝比奈隆:大阪フィルの愛知芸術劇場公演以来、23年ぶりにコンサートで名古屋遠征した。

上記投稿の通り、演奏内容は申し分なし。角田鋼亮のプレトークも簡潔に作品のさわりを説明し、ソリストとの縁、オーケストラのアピールまで押さえた上々の内容。

しかし、会場の三井住友海上しらかわホールで困った点が2つ。

①2階の最前列を取ったが客席前の柵の上にアクリル板が設置されていた。こんなホール初めて。コンサートで板越しにアーティストを見る羽目になろうとは。

②ホール内に飲み物の自販機が1台もない。当日は後述するように大雨だったが、わざわざ休憩時間に傘をラックから取ってコンビニへ行った。

このホールは2024年2月末に閉館するが、いますぐなくなっていい。上記のように利用者を愚弄する作りだから誰も使わず、経営が成り立たないのだ。感染症禍とは別の次元の問題を抱えた欠陥施設である。

さて、公演自体には満足して夕方、名古屋から新幹線で帰京しようとしたら、線状降水帯の影響により東海道新幹線が運休。長時間並んで払い戻しはできたが、翌日の予定もあったので途方に暮れかけた。

その時思い出したのが学生時代、熱田神宮に参拝した時のこと。名古屋からの夜行バスは混むので名鉄知立発のバスに乗ったのだ。さっそく検索したところ知立発の自宅沿線の近くまで行く夜行バスにまだ空きがあったので、急ぎ名古屋駅から名鉄知立に移動。無事バスに乗れた。バスも東名・第2東名の通行止めの影響を受けて遅れたが、幸い翌朝に東名江田のバス停で降りることができた。大雨のなか、夜間の長時間運転をこなした運転手の方にこの場を借りて感謝の意を表したいと思う。

2022年8月10日/現田茂夫指揮、日本フィルハーモニー交響楽団【入門者には好適だったが】

 
 
 
 
 
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毎年ミューザ川崎コンサートホールをメイン会場に行われる「フェスタサマーミューザ」は、著名指揮者が振る主に在京オーケストラの名曲プログラムの演奏会を適正価格で聴ける「日本版プロムス」。2022年は3年ぶりにほぼ通常の形で開催された。

会期終盤の平日午後のコンサートながら幅広く活躍してきた指揮者の人脈、最近注目のソプラノ歌手の出演、そしてメインが大人気曲であることが相まって1階、2階は大体埋まり、全体を見ても6割の入り。

ちなみに別の日の公演だと筆者が聴いた井上道義指揮の読響は殆ど満席、だが知人の報告によると神奈川フィルの公演は半分近く空席だったらしい。この催しは指揮者、オーケストラの動員力の差がくっきり出る。

《プログラム》

J.S.バッハ管弦楽組曲第3番からアリア

リヒャルト・シュトラウス:4つの最後の歌(森谷真理〔ソプラノ〕)

~休憩~

ブラームス交響曲第1番

指揮/現田茂夫

管弦楽/日本フィルハーモニー交響楽団

コンサートマスター/田野倉雅秋

冒頭の曲はヴァイオリンのG線を使うようにヴィルヘルミが移調編曲した版の通称「G線上のアリア」で知られるが、原曲はG線を使わない。いまこの曲をモダン楽器のオーケストラコンサートで聴く機会は誰か亡くなった時の献奏もしくは大災害の犠牲者を悼む時くらいだから不思議な気分。

続いてはリヒャルト・シュトラウス最晩年の歌曲「4つの最後の歌」。

タイトルは死後の出版、初演の際に出版社がつけたもので、実際のシュトラウスによる最後の歌曲は長らく封印され、1985年1月にデイム・キリ・テ・カナワ(ソプラノ)、ズービン・メータ(指揮〔スコアの初演権確保に動いた〕)が初演した「あおい」。

「4つの最後の歌」はあらゆる歌曲の中で筆者が最も好む作品だが、実演で聴いたのは今回初めて。森谷真理は基礎のしっかりした通りのいい声で歌い、オーケストラも破綻なく支えるが、何とも物足りない。

とりわけオーケストラのいかにも「楽器を操作しています」という感じの音色は聴いていて気持ちが悪くなった。コンサートマスターの田野倉雅秋のソロは澄んだしなやかに伸びる音で流石だが、トップとそれ以外に断層があるのは二流楽団の証。

予習で聴いた下記音源との大きな差にがっくりきた。

 
 
 
 
 
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こうなるとブラームスに懸念が膨らみ(しかも現田茂夫のシンフォニーは初体験)、2,000円だし帰ろうかと考えたが、貧乏性ゆえ最後まで聴いた。ゆったり目のテンポで淡々と進んだがそれなりに歌われ、骨格もちゃんとしている。オーボエのトップは急遽登板だったらしい元新日本フォル首席の古部賢一がつとめ、格の違う玄妙な情感の音色と表現力を第2楽章のソロで示した。日本フィルの演奏会にOBとはいえ新日本フィルの人間が出演できたのは分裂から半世紀という時の経過のなせる業。

アンコールのハンガリー舞曲第4番(お気に入り!)は得意の小品だけあって骨太の響きで堂々と鳴らし込み、纏綿たるロマンをにじませて心動かされた。

やや辛いレビューとなったが2,000円のチケット代を考えればそれなりに満足できた。初めてオーケストラを聴く向きには好適だったろう。かつてカラヤンがいわゆる自閉症の子供たちと関係者を招待したコンサートでプログラムのひとつに「4つの最後の歌」を含めていたことを思い出した。

【2022年7月】読書メーターまとめ

7月の読書メーター
読んだ本の数:2
読んだページ数:563
ナイス数:8

海の家族海の家族感想
表題の通り海、家族の絡み合う業が綴られた短編集。シンプルな文体に潜む棘のある余韻。遭難者からヤマトタケルまで想像の幅は広いが、いずれの作品も死に対する視座、死の香りが濃く流れる。
読了日:07月18日 著者:石原 慎太郎


わが人生の時の時 (新潮文庫)わが人生の時の時 (新潮文庫)感想
久々の再読。作家、石原愼太郎の持ち味が最も発揮されたのは身体的実体験から削り出された短編や掌編。 本作は「業」「死」「孤独」が交錯する瞬間を切り取った佳品が並ぶ。著者にとって前記三要素の象徴は海なのでそこを舞台とした作品が多く、沈潜する影が垂れ込めるシンプルな筆捌きが際立つ。 「あと書きにかえて」に1982年のベルリンで大江健三郎に海での体験を語ったところ、書き残すよう勧められたことが執筆のきっかけと記している。 ラストの「虹」は実弟裕次郎の最期を描いたもので後に『弟』に事実上転用した。
読了日:07月14日 著者:石原 慎太郎

読書メーター

2022年7月9日/髙橋望ピアノ・リサイタル【新たな一歩で聴かせた内なる熱】

 
 
 
 
 
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ドレスデンでペーターレーゼルの薫陶を受けたピアニスト髙橋望については幾度か取り上げてきた。

choku-tn.hatenablog.com

体系的な活動を重ねる彼が今回スタートさせたのはリサイタルシリーズ「バッハとシューベルト」。前半に2021年リリースのCDが好評だったバッハのパルティータなどを置き、後半はシューベルトソナタが来るプログラム。

mikiki.tokyo.jp

冒頭のイタリア協奏曲は電車遅延のためモニター鑑賞だったので省略。2曲目のパルティータ第2番は既発のディスク同様、アップダウンの再現やリズム表出の緻密さに楽曲の論理を見透かす高い分析力が感じられる一方、全体はベーゼンドルファーサウンドを生かした潤いのある進行で聴き手を作品世界の中で心地よく呼吸させる。終盤はライヴ特有の追い込みや揺れもあっていつも引き締まった表情を崩さない彼の内に波打つものが覗いた。

シューベルトのピアノ・ソナタについてかつて俵孝太郎はこんなことを書いている。

可愛らしい楽想を中断するように、時としてピアニスティックな響きが割って入って、木に竹を接いだようになりやすい面がある。

『CDちょっと凝り屋の楽しみ方』(コスモの本;1993年)より

俵孝太郎シューベルト好きらしく上掲書にシューベルトの作品が複数回登場するが、筆者はいくつかの作品を除いてシューベルトが大の苦手。その理由の一つが先の俵孝太郎の著書から引いた要素。いいメロディだと思ったら急に出来の悪いリストみたいなガチャガチャした動きが立ちふさがり、感興を削がれる。大作曲家への失礼は重々承知の上で断じるなら作品(楽章)全体の論理性を確保しつつ、楽想を展開させることが苦手だったようだ。

本リサイタルで髙橋望が弾いた第18番「幻想」も鬱蒼たる情景に浸っていると突然屈折した明るさが割り込んでくる。これをいかに処理するかでピアニストの引き出しが試されるが髙橋望はやたらとコントラストを打ち出したり、あるいは無理やり流れに押し込めたりせず、いつの間にか音楽の硬度や色合いをスルっと変化させてシューベルトの不思議さを可視化する。レーゼル譲りの音と音の間の濃密さがあるからできる技。アンコールの即興曲でもその長所が反映され、またバッハ同様響きの奥に焔が揺れていた。

分析眼を発揮しながら聴き手の開放性を忘れない持ち味に加えて、ふつふつと伝わる熱が加わった髙橋望。リサイタルシリーズの今後に期待が膨らむ。

※文中敬称略※